「チベットでの中国の存在と人権の侵害」 1997 TCHRD発行

チベット本土の基本情報と歴史

チベットの文化と習慣

チベット仏教

拷問

Print Friendly, PDF & Email

TCHRD(チベット人権・民主センター)1997年発行

パルデン・ギャツォが亡命時に 持ち出した、実際に刑務所内で 使用されていた拷問用具 (PHOTO / KUNIHIKO TANAKA)

1997年に虐待と警官の拷問の結果として、チベット人が死んでいると6つの報告が届けられた。これらの中から、ジャムヤン・ティンレー(25)は、監守のひどい拷問により4ヶ月後に死んだ。彼の死体は、電気刑棒によって受けた水疱や打撲傷だらけで、身体は血で覆われていた。ケルサン・ダワ(29)は、2年半の監獄拷問の中で自分の両耳を両手で押さえて叫び出し始めた。
「彼らが僕の耳の中に電気棒を押し込んでいる」と。そして、彼が発見された時には、すでに天井からぶら下がって死んでいた。プンツォク・ヤンキー(20)は、中国人医師らによって身体から体液を抜き取られた後、昏睡状態に陥った。さらに彼女の爪や舌や唇は、黒い紺色に変わってから死亡した。

監守と警官によって残酷な拷問の方法が何十件もあるという説が、1997年に手許に届いた。被害者らの回想によれば、棒や銃床で打たれたり、全身を拳骨で打ったり、足で蹴飛ばされたり、電気牛突き棒でショックを与えたり、鉄の棒を口中へ詰め込んだり、闇の中に放置されたり、狭い凍結独房の中に監禁されたり、そして、血液を強制的に抜き取ったりして、非常にいやな目に会わされている。ある囚人の証言によれば、彼は両腕を煙突の回りに手錠を掛けられて、水も食べ物もなしで1日中おかれた。その熱い煙突の灼熱の結果、彼は身体中水疱だらけになった。1人の尼僧は、監獄内でお経を唱えているのが見つかったことで、電気棒で口の中にショックを与えられ、さらに五体投地を行ったことで、水と氷の中で五体投地をするように強制された。