インドの亡命チベット社会の仏教

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インド・ダラムサラに再建されたネチュン寺 ©Galen Rowell

1959年、ダライ・ラマ法王がインドへ亡命すると、約10万人のチベット人がその後に続いた。これは、仏教をはじめとする純粋なチベット文化を自由の地で守り伝え、他日を期そうという悲願を込めた逃避行であった。法王は、インド北部ヒマチャル・プラデシュ州のダラムサラに仮宮殿を置き、チベット亡命政権を樹立した。また、インド南部カルナタカ州の数カ所で大規模なチベット人難民入植地が開かれ、1970年代になってから、その中にガンデン寺、セラ寺、デプン寺というチベット仏教の3大僧院が再建された。こうして、チベット仏教の本流は、インドの亡命チベット人社会で受け継がれたのである。はるか昔のチベット人たちが、ブッダの教えを求めて憧れたインド。その地へ、このようなかたちで仏教の流れが戻ってくるとは何と皮肉な巡り合わせだろうか。

中国の占領支配下にあるチベット本土では、宗教活動が著しく制約されており、仏教を本格的に学んだり修行できる環境ではない。そのため、現在でも毎年1,000人以上の規模で、僧侶や尼僧、出家を目指す若者たちが、生命の危険を冒してまでヒマラヤを越え、インドの亡命チベット人社会へ殺到している。その結果、いずれも数千人規模の僧侶を擁する南インドの3大僧院は、さらに人数が膨れ上がり台所事情は火の車となっている。慣れない酷暑の中、粗末で狭い僧房に大勢が寝泊りする生活環境は、忍耐の限度をはるかに超えている。しかも、チベット本土から単身で亡命してきた人たちは、休息のために帰る実家すらない。それでも僧侶たちは、いつの日かダライ・ラマ法王とともにチベット本土へ戻り、仏教国を復活させることを目指して、ひたすら仏道修行に励んでいるのである。

いまやインドの亡命チベット人社会は、チベット仏教という人類の貴重な財産を守るため最後の砦の役割を果たしている。かつてチベット仏教圏だったモンゴル系民族の居住地は、今世紀になって大半が共産主義の支配下に置かれ、仏教は長年にわたり抑圧の憂き目に遭ってきた。けれども、ソ連の崩壊によってこうした宗教交流を通じ、かつての広範なチベット仏教圏が、少しずつよみがえろうとしているのだ。

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