チベットの商業と経済

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「チベット政治史」(亜細亜大学アジア研究所)より抜粋

古代チベットは相当量の金を保有していたと考えられる。チベット人たちがインドやネパールより熱狂的に仏教をとりいれていた際、かなりの量の純金が贈物として両国の寺やパンディットたちに捧げられた。またチベット人たちは購買の際、金で支払ことも多かった。

近世におけるチベットの主なる輸出品は、羊毛、ヤクの尾(サンタクロースの髭としてアメリカに輸出されていた)、硼砂、塩などである。動物の毛皮、麝香、香料、薬用植物や熊の肝や鹿の乾燥血液といった薬類も輸出品目の中に含まれた。また、馬、羊、山羊、ロバ、ラバも毎年インド、ネパール。中国に輸出されていた。

インドからの輸入品は羊毛製品、綿布、質の劣る絹、綿、羊毛、灯油、ガラス、機械製品等である。鉄や銅も、米や果物や薬などの生活必需品と同様に輸入されていた。中国からの輸入品は磚茶、絹、陶器、琺瑯、儀式用スカーフ(カター)である。ネパールからの輸入品は銅製品と米。共産中国によって占領される以前、チベットには飢餓が存在しなかったことは明記しておくべきだろう。それというのも余剰の食料は貯蓄しておくシステムがあったからである。税金は一般に物品の形で支払われ、余剰の食糧、特に穀類は政府の穀倉に貯蔵していた。三年つづきの飢餓にも対処できるだけの穀類が貯蔵されていたと見積もられている。米、磚茶、果物、菓子類を除けば、チベットでは食料の自給自足体制ができあがっていた。

チベット政府は銀行を有しておらず、また外国為替のコントロールも行っていなかった。輸出入には何の制限もなく、為替レートは外国交易の収支によって変動した。市場は需要と供給によって左右されていた。チベット内の交易は季節によって大幅に左右されていた。例えば、ラサで馬とラバを売るココノール地方(現在の中国の青海省)の交易商人たちは、動物たちのエサとして新鮮な草が確保できるようにココノール地方を四月に出発しなければならない。彼らはラサに八月に到着し、二月までに故郷に帰還する。彼らが連れてかえるヤクには買い付けた商品が載せられている。またこのヤクは冬の間の肉も供給する。チベットの旅行者たちは盗賊対策として大きなキャラバン隊を組み、鉄砲を携帯していく。鉄砲の携帯は法的に禁じられていなかった。

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