チベット本土の仏教の現状

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破壊されたガンデン寺©Galen Rowell

第2次世界大戦の後、チベットの状況はにわかに暗転する。隣の中国で、共産党の人民解放軍が内戦に勝利し、その余勢を駆ってチベットを侵攻したのである。ダライ・ラマ14世は、事態を平和的に解決しようと懸命の努力を重ねたものの、圧倒的な軍事力を背景とする中国側の強硬姿勢の前に、全てはむなしい結果となった。そして1959年、流血の事態の拡大を防ぐため、法王は国外亡命を余儀なくされ、ヒマラヤを越えてインドへ向かったのである。

その結果、チベットの正統な政府は崩壊し、チベット全土は中国によって占領支配され、この状況は今日まで続いている。当初の侵攻及びその後の文化大革命などを通じて、約120万人のチベット人が命を落とし、約6,000ヶ所の寺院が破壊された。仏教は共産主義に反するものとして徹底的な弾圧を受けたのである。

破壊されたガンデン寺のチョルテンを 修復するボランティアたち。1987年 ©Galen Rowell

文化大革命後、改革開放路線に転じた中国は、こうした弾圧をすべて文化大革命の4人組の責任とし、現在のチベットでは信教の自由が認められているかのごとく主張している。けれども、これは海外向けの宣伝であり、実態とは大きくかけ離れている。チベット本土では、観光資源となる寺院が1部だけ修復され細々と宗教活動を許されているにすぎない。僧侶や尼僧に対する思想的な締めつけは、最近になって再び強化され、仏教の学習や修行をまともに行える状況ではない。ダライ・ラマ法王を支持したり、その肖像を拝むことは、公私の区別なく厳禁されている。チベットの独立や宗教活動の自由などを求めてデモを行えば、それが決して暴力的な行為でないのにもかかわらず、必ず投獄され生死に関わるほどの拷問を受ける場合もあるといわれる。

中国当局は大量の中国人(漢民族)をチベット本土へ流入させ、それによって人口の上でチベット人を凌駕し、中国に同化しないと生活して行けない状況を作り出している。そうした逆境下でも、チベット人たちは仏教を精神的な支柱として民族のアイデンティティーを守り抜き、過酷な境遇をかろうじて耐え忍んでいるのである。最近は、国際社会もチベット問題に注目するようになり、チベット本土における人権状況の改善、宗教活動の自由、ダライ・ラマ法王との交渉を通じた平和的な問題解決などを、中国政府に強く求めている。

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