核及び毒廃棄物をチベットに埋めるという中国の政策は続いている。
1987年、中国の核計画を援助することを見返りに、西ドイツから使用済み燃料をチベットに貯蔵する契約が結ばれた。ドイツ議会の緑の党と新聞の執拗な圧力から西ドイツ及び中国政府は、この取引を単に可能性を述べたものであると言及し、続いてこのことも、大々的な新聞上での論議の結果、否定された。
チベットに核廃棄物処理場を置くという中国の政策は、1991年、米国のグリーンピースが、メリーランド州バルチモア市から150万トンの汚物沈殿物を「肥料」の名目で中国に輸出しようとする計画を示す文書を得たことによって、確認されることになった。この計画では2万トンの最初の船出に144万ドルが提出されていた。輸出ブローカーは、サンフランシスコを拠点とする企業、カリフォルニア・エンタープライズ、そして中国政府側の代理人はハイナン・サンリット・グループ(Hainan Sunlitt Group)であった。この中国側の代理人によると、中国の輸入法令では、こうした輸入は何ら政府の承認を必要としておらず、汚泥がアメリカに送り返されることはないと請け負っている。
グリーンピースは、この輸入文書は、問題の輸入物を中国語で「河泥」と記しているが、「都市の汚物沈殿は川底の泥ではなく、家庭及び企業の廃棄物で汚染されたものは、『肥料』としても使うことが出来ない。そしてアメリカでは、こうした都市汚物処理施設からの汚物沈殿は、慢性的に毒に汚染されているものだ」とコメントしている。シカゴでは、こうした汚物を庭用の肥料とすることは、含まれる重金属が土に集積することが明らかになったため打ち切られている。ミルウォーキーでは、こうした利用は、筋萎縮性側索硬化症の発症と関連付けられている。こうした廃棄物が、チベットの穀物にどのように作用するかわからない。しかし、これが「新しい」そして「効果のある」という歌い文句の肥料によって引き起こされた被害に対する農民たちの抵抗運動と関連しているように思えなくもない。
輸入とは別に、中国が国内の核廃棄物をチベットに投棄していることは疑いない。最も可能性の高い投棄場所は、中国軍によって封鎖され、中国の核実験地ニャクチュカに近い北チャンタンである。貯蔵方法は知られていないが、中国は適切な地下貯蔵施設を持たないので、地上での貯蔵であろうと思われる。アムド地方からは、原因不明の土地と水の汚染そして人間の動物の謎の死が報告されている。ジャムコックとカルコックでは、1987年以来、50人以上のチベット人が、激しい発熱、嘔吐、赤痢に冒された後、不可解な死を遂げている。アムドのンゴンポ、ウー・ツァンのニャクチュカ周辺の地域では、奇形児の出産もまた有意に多数、報告されている。
チベットへの毒廃棄物の投棄が、近隣諸国に及ぼす影響に関しては、ほとんど科学的調査がなされていない。しかし、大河の下流域の相当な距離を隔てた地域にも汚染が起きると示唆する報告がある。
また関連した問題として、チベットにおける中国の化学兵器実験の影響がある。この実験そのものについては、中国の新聞紙上で公にされているが、植物・野生動物・人間に対する影響に関しては何も述べられていない。
チベット高原の広大さに加え、中国が徹底的に廃棄物投棄に関するあらゆる情報を完全に秘密としているために、廃棄場所を特定する決定的証拠を得ることは困難である。こうした投棄へ反対する執拗なアピールが国際社会へ向けて行われてきた。ごく最近もダライ・ラマ法王は「中国による核廃棄はチベットの脆弱な生態系に恒久的な毒汚染をもたらすであろう」と述べた。
チベット亡命政権情報国際関係省1992年発行
「チベット環境と開発をめぐって」より