3月以降チベット全土で起こったデモに対応して実施されている上記のような強硬策は、当地でのさらなる騒乱を煽っています。これらの対策によってもたらされる苦痛が次なる抗議を誘い、ときには精神的苦痛と屈辱から絶望に陥って自殺をするケースも伝えられています。
抗議後に自殺を図ったチベット人の中には、抑圧に直面することを回避するために自らの命を絶ったと見られる者もおり、甘粛省ルチュ(碌曲)県の遊牧民地域出身のラポという50代のチベット人男性は「仲間のチベット人に対する中国側の抑圧に耐えられなかった」ために自殺を図ったと報告されています。
ロルン尼僧院の31歳の尼僧、ロサン・ツォモは、4月12日のメルド・グンカルの抗議が弾圧される際に目にしたことがトラウマになり、同日自殺したと報告されています。
自殺の多くは、愛国教育キャンペーンと激化した弾圧に関係しており、4月10日にチベット自治区チャムドのパシュ県出身で40代の医師タロが自殺をした件についても、「ダライ・ラマ法王を非難するように強制されたことに耐えられなかった」ことが原因であると報告されています。
カンゼ県トンコル郷で起こったデモの後、多くの抗議者が逮捕を逃れるため山中に逃走し、それに対し軍は寺院を破壊・封鎖し、抗議者達に自首するよう最後通告を発しました。あるソースによると、その後ドゥグ・ゴナという地方寺院の3人の僧侶が、弾圧とそれに次いで行われたダライ・ラマ非難の強制に抗議したと見られる形で自殺を遂げました。
3月18日のカンゼでの抗議を目撃したチベット情報筋は、亡命チベット新聞「プーキ・バンチェン」にこう語っています。「彼ら(抗議者達、とりわけ自殺した僧侶達)はこれ以上の抑圧に耐えられなかったのだろう。中国側がチベット人にダライ・ラマ法王を非難するよう毎日強いていることが、チベット人を命がけの抗議に駆り立てるのだ。」
同ソースの報告によると、その地域に住む尼僧がカンゼの抗議に参加する前に親戚に手紙を残していました。「私は絶えず続いているダライ・ラマ法王誹謗キャンペーンにこれ以上耐えることができません。祈りに集中することさえできません。500元(72米ドル)を持っていますので、50元を他の人にやり、残りは私の死んだ後のお祈りの費用に取っておいて下さい。」
4月上旬、ンガバ北部のケシ出身で74歳のゴマン寺の僧レクツォクが自殺しました。3月30日に中国軍がゴマン寺に来たとき、レクツォクは2人の後輩僧と共に、その地方に住むある家族のために法要を営む道中にいたと報告されています。
中国の武装警官が移動中の彼らと路上で遭遇し、ひどく殴りつけ、数日間拘束し、その後寺院に送還しました。レクツォクは仲間に繰り返し「耐えられないことだ」と述べており、自身の銀行口座から全額を引き落とし、生徒と親戚にお金を渡すように教え子の僧侶の1人にお金を託し、教え子がそのお金を届けるために出発するのを待ち、自らの命を絶ちました。
チベット人を震撼させ、威嚇するため中国政府は囚人の公開陳列を行っています。
文化大革命時の威嚇と同様の手立てであり、3月16日に、背中で手錠をかけられた立ったままの約40人の拘束者(ほとんどが若い男女のチベット人)を載せた4台のトラック集団が、ラサの通りを徐行したことを目撃者が語っています。(3月17日付のロンドンタイムズで報じられました)
「兵士が各囚人の後ろに立ち、首の後ろに手を置き、頭を下げさせていた」タイムズの北京特派員、ジェーン・マッカートニーはこう報じました。
「トラックに付けられた拡声器は、漢民族とイスラム教徒が刺され、かつ殴打され、商店と会社が放火された金曜日の暴動に加わった者に自首するように呼びかけていた。自首すれば寛大な措置が取られるであろうが、そうしなければ厳重に処罰されると述べていた。」