真実のレポート〜2008年3月の蜂起から現在までの拷問の実態〜(1/8) ICT作成/国連拷問禁止委員会提出資料

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2008年9月 The International Campaign for Tibet(ICT)

このレポートは、第41回 拷問禁止委員会会議において、中国における審議に向けて提出された第4回定期報告書である。ここには、2008年3月から9月までの間にチベット本土で行われた人権蹂躙の事実が記されている。

2. 過度の強制行為、勾留中の処置と拷問の使用について

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私たちが入手した情報によると、3月14日以降の取り締まりによって100人のチベット人がラサまたは近郊で殺されました。
その他のチベット地域でも、少なくとも40人のチベット人が、抗議活動に対する弾圧によって、射殺されるか、暴行により死亡しています。

当局は、武器を持たない抗議活動の一般人参加者を武力で弾圧し、銃で撃つことについて「国家に対する脅威」を働いたとして正当化してきました。

チベットでは平和的な抗議運動の正当性が認められないばかりか、抗議参加による死亡状況に対るす調査もなされておらず、さらに、中国はチベット高原全土に対して事実情報の隠蔽を強制するべく、あらゆる処置を取りました。

様々な報告によると、抗議活動の起こった各地域で、当局はチベット人の一般家庭に対して以下のような情報隠蔽行為を実行しています。携帯電話とパソコンを没収、携帯電話の中継を停止、電話回線を遮断、インターネットへのアクセスを困難にするなどの事例が届けられています。

その他、地域住民である一般チベット人家庭から寄せられた報告によると、亡命先の友人や家族からの電話をとったというだけで公安から即時訪問を受け、ある若いチベット人女性は電話をとったことによる刑罰として暴行を受け、入院を余儀なくされています。

3月以降、中国はチベットの人々を圧伏し沈黙させるために、それまでより辛辣な処置をとるようになり、その結果、国外に伝わる情報量に劇的な影響を与えています。

公式ホームページ上にて、ラサ当局はチベット人に対し、「分裂主義者」として政治的運動をし、<噂を広め社会を混乱させ規律を乱す者>に対しては厳重な処罰があると警告しています。

動乱勃発後からチベット高原で射殺または拷問で死亡したチベット人の詳細を把握し確認することは、中国の情報閉鎖によって外界から遮断され恐怖に包まれたチベットにおいては不可能に近い状態です。
付録Aとして、抗議活動に参加して武力弾圧に遭い、死亡が確認されたチベット人のリスト(包括的ではない一部分)を添付します。

ICTでは 信頼性の高い推測と言われている約125以上にも及ぶチベット内の抗議活動を記録しました。

3月14日のラサ市街地の抗議活動を除いては、3月10日(この日は、1959年ダライ・ラマをチベットから失うきっかけとなった「民族蜂起抗議活動の日」)のデプン寺の僧によるラサ中心地を始めとして、抗議は圧倒的に一貫して非暴力的でした。

以下に挙げた事例では、治安部隊が武器を持たないデモ参加者に対して発砲、殺害または負傷させたと言われています。

ラサ(3月14日)、チベット自治区のペンポ(3月10日または15日の説あり)、ンガバ(3月16日)。

チベットの亡命新聞(チベットエクスプレス)は 4月8日にチベット自治区ジョムダ(シプダ)での抗議活動中、14才の男の子が射殺、他の多くの者が負傷したと伝えています。

また3月24日に、治安部隊が四川省ダンゴ(中国名:炉霍)県の抗議活動の際、群衆に向かって発砲した事実が Tibetan Center for Human Rights and Democracy (TCHRD)によって報告されています。

同センターの情報によると、4月5日にタウでも武器を持たない群衆に向かって、治安部隊による発砲が同様にあり、クンガという名前の僧が死亡したとされています。チベット自治区メルド・グンカルでの抗議活動では25才の尼僧ツェリン・ドルカが死亡したとされています。

マチュ(甘粛省)での3月16日の抗議活動の際には、建物への被害は確認されましたが、抗議運動に参加している群衆に向かって治安部隊による発砲はなかった模様です。しかし、これは武装制御の結果ではなく、多数の参加者が、ひどく殴られるなどして暴行を受け、抗議活動に参加した後逮捕され、収容所内で拷問を与えられているという報告が寄せられています。(註3)

ラプラン地方での状況も同様といえます。
有名なチベット知識人のウーセル(Woeser:註4)のブログで発表された目撃談は以下のように語っています。

「私は、多くの人々と共におびえていました。そして、我々はバルコル北街の入口からあまり遠くないバルコル街へ退きました。そこで、十代の女の子が石を拾って投げようとしたとき、特殊警察が彼女に発砲しました。弾丸は彼女ののどを貫きました。彼女は、すぐに地面に倒れました。そのとき、私は彼女から10または20メートル以上離れたところにいて、一緒にいた他の多くの人とともに非常にはっきりと、その瞬間を目撃したのです。それは、本当に恐ろしい光景でした。

女の子は17、18才位だったと思います。その女の子は地面に倒れ、ひきつリながら出血していました。すぐに特殊警察の車がやってきました。彼らの車は暗色でトヨタ4500のように見えました。

車は女の子が倒れている目の前で止まりました。そして、2人の特殊警官が車から飛び降りて女の子の死体を車に放り込みました。車は、再び少し前に進み、そして引き返しました。車が前後に動いたあと、不思議なことに地面にあった血痕は跡形もなくなっていました。」

武力による鎮圧の強化は同情を生み、僧や学生によるさらなる抗議活動を引き起こしました。
3月16日には青海省ラプギャ寺で、3月17日には青海省チクディル(ルンカル)で追悼法要が催され、3月17日には四川省セルタで、3月25日には四川省ダンゴで、抗議行進が行われました。3月21日には中国東部沿岸地帯の遼寧省大連で、3月30日には青海省チャプチャでチベット人学生が抗議の座り込みを行いました。

3月17日には、成都の西南民族大学にて平和的な抗議活動があり、北京の中央民族大学の学生は中国首都では初のチベット人による抗議活動として、6時間に渡りサイレントデモを行いました。

3月18日、四川省(チベットのカム地方)カンゼ州カンゼ県での抗議活動への武力鎮圧の目撃者はこう証言しています。

「抗議活動は全く平穏なままでした。石の一つも投げられませんでした。にも関わらず警察は、かけ声とともに到着すると、こん棒で彼らの頭を狙って殴り、少なくとも12人を逮捕しました。彼らは残忍に人々を殴りつけました。一人か二人はその場で殺害されたかもしれないか、致命傷を受けたかもしれません。今となっては誰にも真実はわかりません」

ラジオ・フリー・アジアの広東語放送に語られた証言によると、武装警察が群衆に向かって発砲し、少なくとも8人のチベット人が死亡したと伝えられました。

「僧1人と民間人7人が殺されました。翌朝警察が来て、亡くなったチベット人を弔わないように言いつけていきました。ダライ・ラマの写真を飾ることも禁止されました。その後、再び警察と衝突してたくさんの人が殴られ逮捕されました。」(ラジオ・フリー・アジア チベット放送レポート4月4日付)

虐待の事実を促進した中国当局によるチベット人に対する過剰反応について焦点をあてると、4月29日にンガバ州司法局で行われた養成指導訓練の際に、当局はこう主張しています。

「全ての司法関係者は、<法的権限を最大限に活用してンガバの調和の建設と継続>を優先し、社会的安定の継続のための基準を注意深く定めるべきである。

彼らには、現在の紛争によって与えられる終わることのない過酷な現状、困難な状況、また問題の長期性を、はっきりと認識させなければなりません。彼らの思考に一切の不明確さをも与えず、行動には一切の躊躇もないようにしなければなりません。彼らの決議はひるむことがなく 明白な愛国心の誇示と成功を可能にするべく党中央指導部と州・県機関の意志とともに分裂主義者との戦いに向けての決意を固め、ンガバ州の政情安定を守るため、個々の責任を強化させるのです。」(4月30日、ンガバ州人民政府HP発表)

目撃者の証言では、逮捕や捜査においても 恣意的で非常に残忍な行為が行われており、抑留者にわざと障害を持たせるような行為(四肢を折る、内蔵損傷を起こさせるなど)が挙げられています。

ある報告では「釈放後も、多くの者が重い身体的障害や精神障害に苦しむ」とあり、同じレポートで、未確認ながら、残忍な拷問行為の使用や暴力的な尋問に対して抗議を訴えたラサのチベット人警察官ら数人が「蒸発」したとの情報も寄せられています。