「テールズ・オブ・テラー チベットでの拷問」 1999 TCHRD発行

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年少者に対する拷問

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1992年4月1日、中国で、国連の「子供の権利条約」が施行された。 この条約では、子供の拘留、逮捕は最終手段として訴える以外認めていない。 1994年、中国が国連に提出した最初の報告書によれば、中国は「首尾一貫して子供の人権を擁護し尊重する」としてこの「子供の権利条約」に支持を表明している。

しかし、現在知られているだけでも39人もの年少者が政治囚としてチベット内の刑務所に拘留されている。多くは逮捕時には18歳以下だった。

これらの若者は「フリーチベット!」と叫び、表現の自由の権利を行使したため逮捕されたのだった。彼らは成人用の刑務所に拘留され、弁護士や家族との連絡を禁じられ、他の成人の囚人たちと一緒に厳しい強制労働に耐えねばならず、拷問、虐待も同じように受ける。

拷問による精神的影響は若者にとって、特にはかりしれないものがある。幽閉の期間、たとえそれが1ヶ月の間でも、始終拷問を体験し、子供たちは拘留により理性を働かせる能力を失うことが多い。

政治囚、シェーラブ・ンガワンは15歳の若さで亡くなった。彼女はティサム刑務所から釈放された2ヶ月後、1995年4月17日に亡くなった。獄中で自由を求める歌を他の尼僧たちと歌っていたため、電気棒、砂を詰めたプラスティックの管で殴られたらしい。 ある筋によると、「看守たちにひどく暴行され、誰だかわからないくらい体中が打撲傷だらけになっていた」
また別のある筋によると、独房に3日間監禁された後、シェーラップは背中に鋭い痛みを感じるようになる。腎臓も悪くなっていたらしい。 記憶喪失にもなり、普通に食べることさえ困難になっていた。 囚人仲間が中国当局に懇願し、ようやく2度病院に運ばれた。

「釈放された時、拷問といい加減な治療で重体になっていた彼女は、ラサの他の病院に運ばれた」とあるラサの非公式の情報筋は語る。彼女を診断した医者たちによると、彼女は腎臓の機能不全及び肺に損傷を受けていたらしい。