チベット問題解決の中道政策とその他の関連資料

「民族自己統治、文化的アイデンティティおよび多民族統合: チベットに関する比較経験」についての会議で主席大臣サムドン・リンポチェが提出した論文

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2009年11月16日~17日 イタリアのトレント自治県

(1)はじめに

議長閣下、著名なる学者やご参列の皆々様、紳士淑女。

冒頭に、チベットの苦しんでいる人民やチベットの大儀を常に支援することと、特にこの重要な会議を開催することでのトロント自治県のご指導に、心から感謝を表します。この会議における協議は、自己統治または自治の概念を深く理解するのに益となり助けとなるでしょう。私達は、「チベット人にとっての自己統治の必要性:真の自治に関する覚書」について説明する機会を与えられましたことにも、感謝いたします。しかし残念なことに、学者の皆様による権威ある集まりに提出できる学問的に価値ある研究論文は、私達には一つもありません。私達が提出させて頂くのは、事実主義的立場による声明の類であります。

「チベット人民にとっての真の自治に関する覚書」は、全てのチベット民族に対し中華人民共和国憲法が規定する少数民族に関する民族地区自治の事項を実施する際の総合的なアウトラインです。この覚書は、読むと一目瞭然だと思います。ですから、この覚書自体について説明が必要とは思いません。しかし自己統治や自治の概念について、また中華人民共和国憲法の条項に関する背景についてお話しいたします。そして最後に、中華人民共和国当局が覚書について表明した関心事に対して述べようと思います。

(2)自己統治あるいは自治の概念

国内の異なる民族間の抗争は、人類の歴史を通して緊張関係の源となってきました。この問題は、国民国家論を生起させるまでに至っています。にもかかわらず、世界中の様々な場所には多くの多民族国家が存在しています。一国内でも異なる民族、言語、宗教のグループは、統治が中央集権化された組織下で調和を保って共に暮らすことは出来ません。特に多数派と少数派の民族グループで構成される国家が調和のとれた社会を維持するには、関係する民族グループが、多数派グループに同化されずに、個々の民族性、言語、宗教、そして他の文化的なアイデンティティを維持出来る内部的な自由が、ある程度必要になります。

指導者や思想家達は長年民族問題を解決するために、特に多数派の民族によっていくつかの少数派民族が抑圧されている国々では、様々な解決策を展開してきました。民主的な国家では、自分達独自の言語や宗教を維持できるように、少数派民族グループに内部での自治を十分与えるのが最も良い解決法です。この制度は、異なる種類の自治が実施されている様々の国々で大いなる成功を遂げ、実証されています。このイタリアの自治県は、最も良い例の一つです。

(3)中華人民共和国憲法における民族地区自治の進化と概念

カール・マルクスは、多民族国家における民族同士の関係は完全に平等であるべきと、考えました。マルクスは、階級社会における民族性と共産社会におけるそれとを基本的に区別しました。階級社会では、多数派民族による抑圧、そして平等の欠如ゆえに、多数派民族の分離主義的活動が正当で合法と見なされます。平等が欠落すると、分離主義が国の抑圧政策への妥当な反応となります。レーニンはマルクス主義の民族に関する理論を押し進め、「一国における民族間において最大限の平等が求められる。このことだけが分離主義的な感情や活動の問題を解決するだろう。」と、述べています。彼は、政治的分離の権利を含めた自決の原則を奨励しました。しかし、自決はロシアにおける民族問題には適合せず、レーニンはこの問題を解決する方法として連邦主義を採用しています。

民族問題以外でも、社会主義の基本的原理はあらゆる不平等を排斥します。彼は少数派の民族語が少数派民族に平等と発展をもたらす重要性を強調しました。レーニンは、「民族性や言語の平等に同意せず支持しない者達や、民族抑圧や不平等に対して闘わない者達は、マルクス主義者でも社会主義者でもない。」と、述べています。スターリンは、「ある特定の民族は彼らの言語をなぜ用いるのだろうか?自分達の言語を用いることが、彼らの文化、政治、経済を発展させる唯一の方法であるからだ。」と、自問自答をしています。このようなイデオロギーを基盤にするソビエト社会主義共和国は、分離の権利と言語政策などを完全に条項化して成立したのです。

中国共産党は最初、少数派民族の自治と分離の権利に関するこのような考え方を受け継いでいました。1931年11月に採択された中華ソビエト共和国憲法は、次のように宣言しています。

「中国におけるソビエト政府は、中国における民族的少数派の自決の権利、中国から完全に分離する権利、そして各々の民族的少数派のための独立した州を形成する権利を認識している。これゆえ中国の領土内に居住するモンゴル人、イスラム教徒、チベット人、韓国人などは自決の完全な権利を謳歌し、自分達が望むように、中華ソビエト共和国連合に参加しても、それから分離しても、また自分達自身の州を形成するのも可能である。」

この宣言は、自決の概念や連邦主義に反対する中華民国(中国国民党政府)が採用した少数派民族政策とは全く逆のものでした。残念なことに、中国共産党の先に述べた政策は長続きしませんでした。1937年以降中国共産党の権力が増すにつれ、これらの考え方は全て放棄されました。毛沢東主席は次のような理由で、自決と分離の権利を急ぎ否定しています。

レーニンによる自決の理論は、モンゴルの独立を支持するために日本によって用いられた。

自決の権利は、人民が抑圧されている帝国主義や植民地主義で支配されている国々の場合でのみ付与されるべきである。

特に中国では民族がオーバーラップし、互いに依存しているので、実現可能ではない。

民族は共通の改革闘争と中国共産党への自主的な協力において、自決の権利を既にきちんと用いている。

これらは屈従的な言い訳です。実際には、共産主義イデオロギーの展開において矛盾と日和見主義的アプローチが生起したのです。事実、民族問題はその性格からして階級の問題であり、階級闘争の終結が起こっているので、時間を経るに伴いこの問題は消滅する、と信じられています。ですから彼らの究極の目的は、漢という多数派民族に全ての少数派民族を同化させ、言語、文化や他のシンボルを含むあらゆる民族的アイデンティティを排除することなのです。

このような考え方にも関わらず、国内での社会的政治的理由だけではなく、国際的なイメージのせいで、中華人民共和国は民族地区自治の条項を維持せざるをえませんでした。それゆえ中華人民共和国の歴代の憲法は、民族地区自治の条項を受け継いできました。指導者達はこのような条項を設けて少数派民族の懸念をしばらく晴らそうと考えたのでしょうが、結果的には、時間の経過と共に教化と抑圧的手段によって少数派民族は同化されてしまうでしょう。多くの少数派民族は既に同化されてしまっています。満州人は、このような民族の一つです。

もし中華人民共和国憲法の条項が全うに実施されたならば、文化、言語、そして少数派民族の際立ったアイデンティティを条項が十分に維持させえたでしょう。基本的な問題は、当局の不誠実さです。憲法と自治法の条項を実施したくないのです。この文脈において覚書は、条項の実施の必要性と実施する方法を詳細に説明し、実施過程で生じるであろう障害と妨害についても指摘しています。

(4)なぜ自治または自己統治なのか?

私達は時折、独立を回復する代わりになぜ自治を選んだのかと、尋ねられます。苦境のせいで、他の選択肢がないからだと、思われているようです。実用主義の時代ではその通りであったでしょうが、自治を選択するのは他の理由からです。多くの思想家や学者達が中華人民共和国憲法の条項である民族地区自治は、理想論にすぎないと考えています。理論的には現実的に思えても実際はそうではない、と言われるのです。それゆえに自治条項の実施を求めるのと、中華人民共和国からの分離を求めるのとに、違いはないとされるのです。両方とも不可能と見なされるのです。このような議論には根拠があるのでしょうが、私達は次の理由からチベット人全てに自治条項を実施することを選択します。

チベット人全ての自由運動の目的は、政治的な利得や権力を得るためではありません。6億のチベット人に自由をもたらすためです。チベット人は自分達の普遍的な責任を効果的に成し遂げることが出来ました。自治条項が真に実施されるなら、これからもそうするのが可能でしょう

今日の国際化社会では、国々は相互に非常に依存しつつあります。多くの国々は、所謂自治権や権力のいくらかを犠牲にしてまでも、より大きな集団に自ら参加しています。これらの国々は、このようにしなくてはならないのです。

アジアおける二つの巨漢の間で、小さく狭い国が独立を維持しようとするのは実際的な意味を持ちえません。

チベットの物質的開発や資源、そして内陸の国であることが、隣り合わせの国々に大きく依存させます。それゆえ大国の一部として留まる方が、経済的により益があるのです。

何よりも六百万人のチベット人すべてが同じ文化と言語を共有し、統一を維持したいという不屈の願いを抱いています。しかし独立の回復を求めるならば、そのような統一が不可能となる恐れがあります。独立の回復は、1951年に中華人民共和国に合併されたその地域のみとなるからです。

以上は経験上の理由です。これらとは別に、自治の意味するところは自己統治により適合し、自己統治は独立よりも私達にとっては重要なのです。自己統治はインド語のSwarajに等しいのです。自己統治は他を自分達が統治する、という意味ではありません。自分達が自分達を統治する、という意味です。これは私達が尽力している究極の目的です。ガンディーは言いました「Swarajはあらゆる時代において満足出切る目標です」、と。そして「私には理解できないので、私は独立を熱望しません。しかしイギリスのくびきからの自由を切望します。」と、さらに彼は述べています。

(5)覚書

1979年に中道アプローチを採用して以来、私達の自治の概念は次第に変化してきました。1913年から1914年にさかのぼるシムラ会議の時期でさえ、「自治」という表現が使われていました。イギリス領インドはチベットに対する中国の宗主権を受け入れることをチベット人に、またチベット内の自治を受け入れることを中国人に、課そうとしました。このような自治の概念は事実上の独立として、多くの歴史家や法律専門家によって捉えられていました。1951年5月23日から1959年3月までに平和的に自由化する基準に関する、中国中央人民政府とチベット地方行政府間の「十七条協定」の結論後に実施された自治は、全く別の種類のものでした。一国に二つの制度という概念が、まさに最初に実施されたのです。現在の憲法まで受け継がれている歴代の憲法の下で1982年に採用された中華人民共和国の共通プログラムにより、中華人民共和国の法的条項は様々な修正を経てきました。今日の憲法は自治的自治体から特別行政地区にいたるまで、広範囲な条項を設けています。ですから、1988年まで私達は自治の詳細について説明をしなかったのです。

1988年にダライ・ラマ法王はストラスブール提案を示され、独立した基本的な法律や民主的な制度等を推奨されました。2002年に中華人民共和国との直接対話が再開されたのと、中国当局者と継続的に意見を交換した反応として、私達は憲法と自治法の事項の実施に関する私達の提案をついに表明したのです。これ以上でもなく、これ以下でもありません。この提案は、覚書に詳しく述べられています。覚書は7つの章で構成されています。最初は、序章。第2章はチベット民族の統合に関しています。第3章はチベット人の熱望についてです。第4章はチベット人の基本的欲求、つまり自己統治について述べられています。この章は次の11項目を網羅しています。

  1. 言語
  2. 文化
  3. 宗教
  4. 教育
  5. 環境保護
  6. 天然資源の活用
  7. 経済的発展と貿易
  8. 公衆衛生
  9. 社会保障
  10. 移住規則
  11. 他国との文化、教育、宗教における交流

これらの項目は、憲法と自治法の約款に則って述べられています。法的根拠は明らかで、私達の要求は憲法と自治法の関係する約款の文章と精神にきちんと基づいています。

第5章は、中華人民共和国内のチベット民族を唯一の行政府が管轄することに関しています。第6章は、自治の性質と構造についてです。そして最終章は、自治をどのように推進するかに関しています。私達の考えでは、この覚書のどの文章も憲法条項に反していませんし、中華人民共和国の現行制度をも侵害していません。

(6)中華人民共和国の関心事

覚書に対する即座の反応やその後の様々なプレス向け声明で、中華人民共和国はいくつかの関心事を表明してきました。これらの関心事を調べますと、覚書に含まれているポイントとは関連していないことが分かるでしょう。これらの関心事は、中華人民共和国が持ち続けている疑いと不信です。多くが妄想による問題です。私達はこれらに対し、次のように簡単に反論しましょう。

中華人民共和国の主権と領土の統一への敬意、中華人民共和国憲法への敬意、中央行政府の三つの厳守事項と権威への敬意は、明白に覚書に反映されています。隠されたアジェンダなどありません。

覚書の次のような章に関して、誤解または曲解がいくらかあるように思えます。

(7)社会保障

憲法第120条と民族地区自治法第24条による国内の社会秩序や社会保障について覚書は特に、言及しています。ですから、社会保障は国防と混同されるべきではありません。最初からダライ・ラマ法王は、国外の出来事や防衛は中央行政府だけの管轄であるのを明らかにし、このことを繰り返し述べておられます。

(8)言語

覚書で私達は、チベット語が主要言語であるべきと強調しました。中国語とチベット語に同等の重要性を与える点も強調しています。チベット語は、中国語で代用されるべきではありません。これは、中国語の排除であると曲解されるべきではありません。

(9)移住規則

覚書には、チベット地区でチベット人以外が訪問したり移住するのを禁止するということは決して述べられていません。民族地区自治法第43条による人口の移住制限の方法を見出すのが、私達の論点です。規則がなければ、人口配置のバランスが著しく阻害され、それで民族地区自治はもはや無意味になってしまうでしょう。

(10)宗教

覚書が目指しているのは、中華人民共和国憲法第36条下での宗教と信条の自由です。覚書は寺院や尼寺における無政府状態や無法性を求めているのでは、決してありません。宗教と国家の分離は、多くの世俗国家によって重要とされています。共産主義中国という無神論的国家では一層そうであり、個々人の宗教生活は侵害されてはならないのです。

(11)唯一の行政府

チベット人民全体を管轄する唯一の自治行政府は、反憲法でも非合理でもありません。民族地区自治制度の基本目的と一致しています。自治地区と宣言されていない地域をチベット自治地区に包含されることを、私達は求めていません。チベット自治地区、県、国家、または区としてすでに指定されている全ての地域を管轄する一つの行政府を求めているのです。地域の境界画定を再度行う必要はありません。この件について、より情報を得たいと望まれる方はhttp://www.tibet.netに掲載されている拙著『より偉大なチベット』をご参照ください。
ありがとうございます。

(12)参考資料

  1. チベット人民のための真の自治に関する覚書
    http://www.tibet.net/en/index.php?id=589&articletype=flash&rmenuid=morenews
  2. 『より偉大なチベット』に関する基調演説(August 27, 2009, New Delhi.)
    http://www.tibet.net/en/index.php?id=104&articletype=press&tab=2&rmenuid=
  3. バオガン・へによる「チベットの自治と自己統治:虚像か現実か?」, 2000)
  4. 中国の多言語主義:少数民族言語の表記改革における政治(1949-2002. Minglang Zhou, 2003)
  5. レーニン全集第20巻
  6. スターリン全集第2巻

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