亡命チベット人憲章

1992年1月

ダライ・ラマ法王による「将来におけるチベットの政治形態の指針と憲法の基本要点」

解説

亡命チベット人憲章は、中央チベット政権(CTA)の機能を統括する最高法規である。憲法草案再作成委員会によって起草され、亡命チベット代表者議会に承認を求めて提出された。これを同議会が1991年6月14日に採択したものである。

憲章は、国際連合の世界人権宣言を遵守することを宣言し、すべてのチベット人に対して、法のもとでの平等と、性別、宗教、人種、言語、出自による差別なき人権と自由とを保証するものである。

憲法草案再作成委員会は、ダライ・ラマ法王によって1990年に設置された。同委員会は、未来のチベットのための民主的憲法案であると同時に、亡命チベット人の権利を保証する憲章を作成するという二重の任務を与えられた。
憲章草案は108の条文から成るもので、一般の意見や提案を求めるために、1991年初め、憲法草案再作成委員会によって広く回覧に供された。委員会はその後、憲章最終案を作成し、第11回亡命チベット人代表議会会議とダライ・ラマ法王に提出して承認を求めた。憲章は、司法、立法、行政の3組織の分権を明確に規定している。

この憲章が施行される前には、チベット亡命政権の機能は、1963年3月10日、ダライ・ラマ法王によって交付された未来のチベットのための民主的憲法草案の条文に、概ね従って行われていた。

序説

もとより未来を予見する事は誰にも出来ないが、それに対する計画を立てて準備する事は、災難を免れ幸福を願うすべての人の努めである。チベットを襲った悲しむべき出来事の結果、チベット人には今もっていかなる人権もないが、このような忌まわしい事態が長く続く事はあり得ない。チベットは2000年以上の歴史を有する国家であり、独自の文化・言語・服装・習慣等を発展させてきた。チベットは、宗教と政治を巧みに調和させた制度の下で、歴代の王とダライ・ラマによって統治されてきた。そしてこの制度が国民と平和と繁栄さらに幸せの享受を保証していた。

今世紀半ばに、中国の共産党政権がチベット東部のドトゥー(カム)、ドメー(アムド)を越えてチベットに侵入し、日毎に抑圧の度合いを強めるに至って、チベットの政治状況は極めて深刻な事態を迎えた。その結果、私は望むところでは無かったが、16歳という若さでチベットの政治的かつ宗教的指導者となる事を余儀なくされた。私は、チベット国民が今後とも平和と幸福を享受し続けられるように、侵略の機会を窺っていた狂信的な中国共産党の指導者達と何とか友好的な関係を築こうと必死の努力を重ねた。それと同時に、どのような事であれ必要ならば、チベットの既存の制度を改革しようと努めていた。

段階的に民主主義を導入すべく50名からなる改革委員会が発足し、その提案に基づいて社会福祉の面で幾つかの点が改善された。さらに改革を推進しようとした私の努力も、ついに中国の植民地主義的な圧迫に抗し切れなくなり、挫折せざるを得なかった。十分な兵力をチベットに展開し終えるや、中国共産党は私達に対する以前の友好的態度をかなぐり捨て、露骨に圧力を加えはじめた。ついに1959年、チベット史上初めて全土が征服されるに至り、私はチベットの国家・宗教の遺産を破壊から守るため亡命する他はなかった。そしてインドに着いてからは、以前にも増してチベットの政治体制の民主化が極めて重要であると考えるようになった。

この考えに従って私は1960年にチベット人民代表会議を設立し、これまでに11回の会議が開催された。また私は1961年に、将来のチベットに適用されるべき民主主義の基本的諸原則に合致した憲法を公布した。その後、この憲法に対する亡命チベット人の間の意見が求められたが、憲法の全条項は圧倒的な支持を受けた。但し、環境が整えば法的手続きに則りダライ・ラマの権力を廃止することが出来るという条項だけは別であった。

1963年には出来る限りチベット亡命政権を民主化する目的で、より包括的な憲法草案が公布された。この憲法草案に基づき、チベット人民代表会議は僧俗の官僚指名に関する以前の制度を廃止し、民主的な政府機構に合わせて新しく政府職員が指名された。この憲法草案では、国益の観点からダライ・ラマの権力を摂政会議に委任することが出来るとしているが、全般的な状況を勘案してダライ・ラマには引き続き最高行政権力が付与された。しかしながら私は、この体制が十分に民主主義を実現しているとは思えなかった。

1969年3月の演説で私は、チベット人が自ら政治的運命を決することが出来るようになれば、その時点でチベット国民は自ら望む政治形態を決定するであろうと述べた。私はまた、ダライ・ラマを最高権力者とする政府形態の存続については予測することが出来ないとも述べた。

1963年に憲法草案が公布されて以来かなりの歳月が経過し、その間民主主義・自由・正義の重要性が世界中でますます認識されつつある。とりわけ全体主義的な独裁体制の下にあった東欧諸国がすべて自由と民主主義に向かって行進している。抑圧的な体制の下で暮していた人々がついに念願の自由と独立を獲得し、今や大きな変革が始まっている。その一方40年間に及ぶ圧政に苦しみ、今もってあらゆる自由を奪われているチベット人は、自由と独立を獲得するために不屈の精神で抑圧に抗して闘い続けている。また亡命チベット人社会では政府も一般人も祖国の独立を目指して活動する一方、民主主義の実際的な経験を精一杯重ねつつある。今日、チベット人の運動の正当化がますます国際社会に認められつつあり、各国政府・民間団体・個人のチベットとその人々に対する関心と支援も一層高まった。これらすべてを考慮すれば、今から十数年もすれば国内外のチベット人の正当な願望が実現することは疑う余地がない。

国内外のチベット人が念願の再会を果した暁には、チベットはその固有の3州から構成される単一国家となるだろう。そしてその国は自由と民主主義の諸原則に基づき、慈悲つまり愛と共感を大切にする釈尊の教えに導かれる国家であろう。また国家の政策は公正と平等の原則に従うべきである。チベットは十分な環境保全が計られた平和地帯となる。チベットの政体は立法・司法・行政の各機関が独立し、それぞれ平等の権力と権威が付与される。またチベットは複数政党制の議会制民主主義国家となるだろう。この議会制民主主義制度に基づき正当に選出されたチベット市民が国家元首となり、国家に対して責を負うことになる。既に繰り返し述べたように、チベットはチベット人のものである。とりわけ現在チベットに居住しているチベット人のものである。従って将来の民主化されたチベットにおいては一般的に言って、現在チベットに住んでいる人達は経験・知識に富んでいるため、将来の政府の運営に関して重要な役割を演ずることになろう。してみれば、彼等も将来に対する不安や疑念を捨て去り、当面は行政の質の向上を目指しつつも、チベットの自由を回復すべく献身することが求められる。

威圧的な中国人の支配化では、意に反することを口にし行わざるを得なかったチベット人もいるであろう。しかしながら、そうした過去の行いを追求しても何も得るものは無いと私は考える。チベット人全体の幸福こそが大切であり、これを実現するため私達は一丸となる必要がある。

すべてのチベット人は、実質的にあらゆる自由を奪っている現在の全体主義を、大多数のチベット人が望んでいる民主主義的なチベット政府の下では旧来の制度で保証されていた政治的地位は一切引き受けない決心をしている。

これには理由が無いわけではない。チベット人一般が私に大きな信頼と希望を寄せ、私もまた政治的にも宗教的にもチベット人のために献身する決意を抱いていることはよく知られている。将来、政府の中ではいかなる地位を占めないとしても、やはり私は一種の公人であり、既存の政治制度によっては解決できない特別に困難な問題の解決に寄与することができるだろう。また国際社会の中で他の諸国と対等の地位を占めるためにも、チベットは1人の特別な人物ではなく国民の集団的意思に基づく国であることが肝要である。チベット人は自らの政治的運命を自分達全員で決しなければならない。それ故、チベット人一般の長短期の利益を考え、また決定的な重要性を有する多岐にわたる諸問題を考慮して、私はこの決意を固めたのである。従ってチベット人の人々は、私がチベット人共通の利益を実現するために尽力すべき責務を放棄したのではないかと気に病む必要はない。

抑圧的な中国の支配を脱してチベットがその自由を回復した後も、憲法が制定されるまでの移行期間においては、既存のチベット政府が職員そのままに活動を続けるだろう。この移行期間の暫定国家主席として大統領が任命される。この大統領には私が現在有している政治権力がすべて付与されるであろう。それと同時に亡命チベット政権はその昨日を停止して解体され、その職員はチベットの問題に関して一般チベット人と同様の責任を有するに過ぎなくなる。

亡命チベット政権の職員は以前の役職により何ら特別な権限を与えられはしないが、暫定政権において職務を務めることが適当と考えられ役職を提供された場合にはこれを受けることが出来る。暫定政府の主要任務は憲法制定議会を召集することである。憲法制定会議はすべてチベットの各地域を代表する議員により構成され、議員は、暫定大統領の同意の下に私が任命するチベット憲法草案作成委員会が当地(亡命先)で作成する憲法草案に基づき憲法を完成させる。この憲法草案の規定に従い大統領は自ら独立機関を設立する権限を与えられ、これらの機関の多くは、新政権の選挙後に法律に従い制度化されるだろう。選挙委員会の設立に当たっても委員長は暫定大統領が指名する。

現在、自由チベットのための総合的な民主憲法草案が作成されつつある。これを完成するのはチベット各地の代表者からなる自由チベットの憲法制定議会である。チベットがどのような民主主義政府を作ろうとしているのか知ってもらい、それに対する様々な意見を喚起する目的で、私はここに自由チベット憲法の概要を発表する。

移行期間中の暫定措置

中国占領軍の撤退後、新たに発布される民主憲法に基づき新政府が成立するまでの移行期間が存在する。

  1. チベットが自由を回復して上に云う移行期間に入るや直ちに暫定大統領に行政権が委ねられる。チベットの様々な行政区の指導者の協議を経て、現チベット自治区はチベット全域の地区(ゾン)以上の行政区の代表から構成される緊急会議を召集する。この会議は7名の暫定大統領候補を選出し、私がその中から暫定大統領を指名する。大統領候補の選出が不適切もしくは困難な事態が生じた場合には、私が直接大統領を指名する。
  2. 選出あるいは任命された暫定大統領は私の前で職務遂行に関する誓約を行う。
  3. 暫定大統領はその後、それまで私に属していたすべての政治上の権力・責任を付与される。
  4. この責任の一環として暫定大統領はチベット憲法制定議会を召集する。この憲法制定議会は1年以内に、憲法草案の審議を経てチベット憲法の作成を完了しなければならない。
  5. 上に概説した手続きに則り憲法が発行した日から、「選挙管理委員会」の責任において適切に選出されるチベット国民議会議員と大統領が宣誓を行う日までを1年以内とする。従って移行期間が2年を越えることは許されない。
  6. チベット憲法制定議会はチベットの各行政単位を代表する250名以上の議員により構成される。
  7. チベット憲法制定議会その召集後直ちに、適切に規定された作業規則に従って審議を開始する。
  8. 暫定大統領は、憲法制定議会により適切に発行せられた憲法に基づきチベット国民議会議員とその議長、さらに大統領を選出する選挙を実施する暫定選挙管理委員会の委員長と各委員を直接任命する。
  9. 憲法制定議会は、適切に発布せられた憲法の下に国民議会議員が宣誓を行うことにより自動的に解散する。
  10. 第1回選挙の後、暫定選挙管理委員会と暫定大統領は、国民議会議員・その議長・大統領がその職務に関する誓約を行うことにより解消される。この時点において、民主的に選出された自由チベット政府は法律に基づき活動を開始する。

自由チベット民主憲法の概要

憲法の目的と意義
  1. この憲法はチベット国の基礎であり、かつ国家の最高法規である。
国家の基本性格
  1. チベットは自国のみならず、その隣国および世界の利益と福祉のために貢献する。
    チベットは、非暴力の原則と仏の真理(ダルマ)に導かれた政策を基調とし、自由にして社会福祉を大切にする連邦制民主主義国家である。
    チベットは平和地帯であり、環境保全を保証する。
政府の基本政策
  1. チベット国政府は、国際連合の世界人権宣言を順守し、自国民の精神的・物質的生活の向上を目指す。
暴力ならびに武力使用の放棄
  1. チベットは、非暴力・愛・共感の原則に基づく平和地帯であり、環境保護の中心とならねばならない。チベットは中立国家であり、いかなる目的のためであれ武力の使用と暴力を回避しなければならない。
基本的権利
  1. すべてのチベット国民は法の前に平等であり、また性別・民族・言語・宗教・膚の色・身分さらに僧俗の別に関係なく法が定める権利を享受することができる。
その他の基本的権利
  1. すべてのチベット国民は生活・自由・財産権を有し、また表現の自由・土地を含む資産の売買と所有・結社の自由・報道と出版の自由に関する権利と、政府とあらゆる政府機関に雇用される権利を有する。
選挙・被選挙権
  1. すべてのチベット国民は性別に関係なく、法律の規定に従って選挙・被選挙権を有する。
土地所有権
  1. チベット領土内のすべての土地は、環境に対する適切な配慮を行った上で、国民の住居と利益のために配分・使用される。チベット国民に対して住居・農業・牧畜・建築・工場・事務所・その他の私的事業のために土地を供給する場合、政府は個々の案件をしかるべく検討して、富が少数者の手に集中することを制限しなければならない。私的所有が行われていない土地はすべて政府が管理する。
経済制度
  1. チベットは、極端な資本主義あるいは社会主義に陥らず、チベットの諸条件に合致した独自の経済制度を有すべきである。課税制度は累進税を基本とする。
教育と文化
  1. 社会の進歩と国民の道徳心の向上は基本的に教育水準に依存することから、健全な文教政策に基づき、高等教育・専門教育を含むあらゆる段階の教育と科学・技術・研究のための適切な施設を提供する努力がなされねばならない。
健康
  1. 地域住民に適切な保健と医療を提供すべく、公共の保健・医療制度が設立されなければならない。
立法権
  1. 立法権は、二院制のチベット国民議会と大統領に属する。議会の上下両院を通過した法案は、大統領の承認を得なければならない。チベット国民議会下院は、有数者数に応じて区画された選挙区において有権者の直接投票により選出される議員より構成される最高立法機関である。
    チベット国民議会上院は、地方議会が選出した議員と、大統領が指名した議員より構成される。
行政権
    1. 行政権は、大統領と、チベット国民議会上下両院が法律に基づき選出する副大統領に属する。
    2. チベット国民議会の過半数を占める正当あるいは会派が首相を選任する。
      しかしながら、この事をなし得ない場合には、チベット国民議会全議員の選挙により首相を選出する。行政権は基本的に、首相が組閣する内閣がこれを有する。
司法権
  1. 最終上訴審理機関として、立法・行政府から独立したチベット最高裁判所がなければならない。
    最高裁判所は、正義の構成にして平等な配分を保証すべく、政府あるいは国民の法律違反容疑に関し、憲法の条文解釈により判決を下す司法の最高機関である。
地方組織
  1. チベット国民議会は、運輸施設・人口・地理等の諸条件を勘案した上、チベットを適切に区画して各州を設立する。各州は、その有権者により選出される議員により構成される州の立法権を有する州議会、大統領が任命する知事、州議会が選出する首相を首班とする内閣、州の司法権を有する高等裁判所を持つ。州議会は、各州の必要に応じて立法活動を行う。一部の最重要問題を除き、各州は、州内のすべての問題に関する最終権限を有す。

結び

自由チベットの民主憲法は発布後の適切な時期に、機能の実態と世論に基づき再検討して改正することができる。

要約すれば、アジアの中心部、中国・インド間の「世界の屋根」に位置し、正直・平和愛好心・高い道徳心に恵まれた国民を有するチベットは将来、自由と民主主義に基づく平和と非暴力、大気・水汚染に脅かされない健康な国民生活を実現する国家となるであろう。チベットにはその環境を保全する十分な体制が調っているであろう。チベットは、攻撃的な軍隊や破壊兵器の基地を所有しない、平和と調和の国家とならなければならない。

今日、世界の1部地域においてはあらゆる種類の物質的施設がありながら人間性や自由が大きく損なわれ、人々は機会の奴隷とも云うべき状態に陥っている。しかしながら、大半の諸国においては人々は貧困のために生活必需品にも事欠く有り様である。チベットはこのような両極端に陥ることなく、その経済は国民の必要物資を提供しなければならない。チベットは、国民の基本的必要を満たす公正な開発を目指すであろう。

チベットは他国の政策とイデオロギーに翻弄されない、言葉の真の意味における中立国家となる。チベットは平等互恵の原則に立ち、近隣諸国と調和のとれた関係を保つ。チベットはすべての国家と、あらゆる敵意と憎しみを排した誠実な友愛関係を保つ。正しく考え行動するすべてのチベット人は、喜々たる献身の念と決意に燃えてこのような理想を実現すべく努力しなければならない。

願わくば、すべての人々に幸せあらんことを。

1992年1月/チベット歴2118年6月17日
ダライ・ラマ

政権組織の紹介

亡命チベット人憲章