チベット問題解決の中道政策とその他の関連資料

中道政策−本質と経過、およびその成果

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(1)背景

中道政策とは、正義、慈悲の心、非暴力そして友好の原則を基盤にし、全人類の幸福の達成を願う相互に利益をもたらす政策である。それは自分自身に勝利を、他者に敗北を願うものではない。

1959年、ダライ・ラマ法王をはじめとして8万人以上のチベット人が亡命を余儀なくされた。亡命直後の数年間、私たちは若いチベット人の教育や宗教・文化の保護および亡命チベット人の社会復帰といった緊急課題に従事しなければならなかった。そのため私たちにはチベット民族の将来的、政治的立場について明確なポリシーを確立することができずにいた。しかし1967/1968年以降、ダライ・ラマ法王は世界情勢、特に中国情勢を念頭に、亡命チベット代表者議会の議長・副議長、カシャク(内閣)、当時の議会メンバーおよび知恵と経験を持つチベット支援者らと広範に渡る議論を重ねてこられた。そして1974年、中国政府との対話の実現に際し、独立ではなくチベット民族にとって意義のある自治を保障する政策を要求していくという内部決定を下すに至ったのである。時の中国最高指導者・鄧小平氏も私たちに対話を提案し、既に準備が整っていたチベット側は直ちに中国との交渉に着手したのだった。

それ以来、私たちは中道政策を堅持しながらチベット問題解決を目指して絶え間ない努力をしてきた。しかし中華人民共和国(PRC)の指導部は未だに前向きな反応を示してはいない。そればかりかチベット内部の状況は年々悪化の一途をたどっている。1987−89年のチベット民族による平和的抗議運動は徹底的に弾圧され、その後中国政府は一般のチベット人だけでなく、僧や尼僧をことさら厳しく抑圧してきた。さらに愛国キャンペーンといった数々の堪え難い政策を実施してきた。そして2008年、追い詰められたチベット民族はチベット各地で平和的抗議運動を展開したのだった。しかしこの蜂起も徹底的に鎮圧され、多くのチベット人が命を奪われ、拷問を受け投獄された。同様の非人道的な扱いは今もなお続いている。9年間の空白の後、2002年に直接交渉が再開されて以来、中国と9回の会合がもたれたにもかかわらず、何ら進展は見られていない。

このような理由からチベト内外のチベット人コミュニティは中道政策に対してもどかしさを覚え、期待も薄れてきた感がある。中道政策を疑問視するチベット人はその数を増し、チベット問題解決には別の方法を検討するべきではないかとの提案もされている。

しかし中央チベット政権は一貫して自信をもって同政策を推進している。その背景には、2008年の特別会議において同政策が圧倒的多数の支持を得たこと、また2010年3月20日に亡命チベット代表者議会も同件に関して満場一致で中道政策支持の決議を採択していることがあげられる。チベット本土の現状や中国当局の態度を鑑みれば、チベット同胞のいらだちも納得できる。しかし全体的に見れば中道政策は成果をあげてきたと言って間違いない。そこで同政策について、その本質と経過および成果を、チベット人の皆さまに再確認していただきたいと思う。

(2)イデオロギーとしての中道政策の基盤

第14世ダライ・ラマ法王は世界各地で人類が担う普遍的な責務について説いておられ、私たちが抱えるいかなる問題も友好的に相互合意をもって解決するべきだと強調してこられた。さらに法王は、20世紀は戦争の時代であったが、私たちはこの21世紀を対話に依って紛争が解決される新たな時代にするよう努力しなければいけないと忠告されている。1984年の3月10日の声明で、「発展の度合いや経済格差によらず、どの大陸、国家、社会、家族そして個人もその存在と幸福は相互に依存し合っている。誰もが幸福になりたいと願い、苦しみを望む者はない。私たちはその事実を踏まえ、相互に思いやる気持ちや慈愛の心や正義感を育んでいかなければならない。そうすれば国家間や家庭内の問題も次第に克服され、平和で調和のとれた生活の実現に向けて希望ももてるようになるだろう」と述べておられる。

世界中にこのようなメッセージを発信し続けるダライ・ラマ法王は、チベットの自由を求める闘いもまた同じように解決されるべきだとお考えである。チベットの独立を要求すれば対話も実現しなくなるだろう。そうなれば双方が納得する合意に至る可能性も失われる。だからこそ相互利益を伴う方法を取り入れることが必要であり、もし近い将来この問題が解決をみるとすれば、それは和解の精神で望む対話によるものだと考える。

(3)中道政策の本質

チベットの要求を実現するための中道政策の本質は、中国から分離しチベッとの独立回復を求めるものでも、また中華人民共和国支配下のチベットの現状を容認するものでもない。双方に利益をもたらす方法でチベット問題を解決するには、その二つの極論の間をとる必要がある。これが私たちのいう中道政策である。

チベット問題の解決のためには、中華人民共和国政府がその憲法および民族区域自治法に明記された条項全てを誠実に実施するべきであり、全チベット民族は単一の自治政府の下に統治されなければならない。そしてその実現のために暴力が行使されることは当然あってはならない。これらは中道政策において決して侵されるべきでない原則である。 チベットの歴史に関してだが、過去を書き替えることは誰にもできない。政治的意図で歪曲された歴史を受け入れるなどはもってのほかだ。しかし中道政策に従う限り、中華人民共和国の下で双方が合意する未来を共有するにあたり歴史が障害になることはない。それもまた同政策の特徴である。

(4)中道政策の必要性

  1. 現代の世の中では非実用的で現実にそぐわない政策を提案するのは無理である。
  2. 国家が自国の権利だけを追求する時代は終わった。現在多くの国々が共通の利益のために国家権利の一部を放棄し、欧州連合のような連合体に加盟している。一国家が他国に依存することなしには存続できない現実がある。
  3. 人種、文化そして言語を基準にして高度な自治を認める国が多数存在する。それらの自治機能は高度に整備されているだけでなく、国内の安定や団結強化にも一役買っている。
  4. チベットの人口は600万人に過ぎないのだが、ガンデン・ポタン政府統治の頃からチベット東部および北東部のほとんどが分割され、1951年に独立を失った時チベットに残されていたのは現在チベット自治区(TAR)と呼ばれている地域のみであった。ということは、チベットの歴史に基づいて独立を回復したところでチベット自治区以上の地域を確保するのは不可能である。つまり、短期・長期的に考えても、またチベット人口の50%以上がチベット自治区以外で生活している現実を鑑みても、一部の独立よりも全チベット民族のための意義ある自治を目指した方がいいように思えるのだがどうだろうか。これに関しては全てのチベット人が真剣に考える必要がある。
  5. チベットは海に接していない。ゆえにその経済や現代の物質的発展は強い近隣諸国に依るところが大きい。実際のところ、チベットが中国に留まればチベットにもたらされる物質的利益はより大きなものとなる。
  6. チベット問題解決のためにこれまで通り大規模な活動を継続し、世界レベルで展開するには他国の政府や組織の支援を募る必要がある。チベット問題が最終的に収束するまで中央チベット政権(CTA)を維持していくことも必要不可欠である。
  7. チベットの文化、環境、アイデンティティを守り、それらがチベット本土で破壊、抹消されるのを食い止める方策を何としても見出さなければならない。

(5)民主的なプロセスを経て採択された中道政策

  1. 中道政策はダライ・ラマ法王によって発案されたものであるが、その内容は法王お一人で直接考案されたものではない。同政策は亡命チベット代表者議会、カシャク、チベット民族を代表するあらゆる組織や個人による数々の討議を経て民主的に採択されたものである。中国政府と会合を重ねてきた結果、私たちは私たちの要求となる提案を完成したかたちで明確に示す必要性があると実感した。そこで1987年、ダライ・ラマ法王は米国議会において五項目和平案を提案し、チベットに関する長期的ビジョンを掲げられた。さらにその翌年88年には五項目和平案の第5項目に修正が加えられたものがストラスブール提案として欧州議会で発表された。これが中道政策を公にした最初の提案であり、それに先立ち1988年6月6日〜9日の4日間にわたる特別政策会議がダラムサラで事前に開催された。会議を主催したのはカシャクであり、亡命チベット代表者議会議員、公務員、NGOおよびチベット地方議会議員の代表、ダラムサラに亡命して間もないチベット人、その他のチベット人居住地域代表者や特別招待者らが参加した。会議では提案の原文について徹底的な討論が行われ、最終的に満場一致をもって承認を得た。このような提案が、亡命チベット代表者議会やカシャクだけでなく一般のチベット人の代表者の意見を直接反映して民主的に採択されるのは、これが初めてのことであった。
  2. 1993年に中国−チベット間の交渉が破綻した後、ダライ・ラマ法王は1996年および1997年の3月10日声明において、チベット問題解決の最善策はチベット民族の国民投票をもって決定されるべきだと提案された。その国民投票に先立ち、亡命チベット代表者議会およびカシャクは、チベット民族に対し4つの選択肢を提示した。これに対しチベット内外のチベット人のうち64%が、国民投票の必要性は無く、中道政策もしくは世界情勢に合わせてダライ・ラマ法王が導かれる決定を支持する、との意思を示したのだ。そこで1997年9月18日、亡命チベット代表者議会は、チベット問題に関しては中国や世界の政治情勢に応じてダライ・ラマ法王にその都度政策決定をお願いする、という決議を全員の合意をもって採択した。さらにその後、ダライ・ラマ法王のご決断は全て国民投票に依る決定と何ら相違ないものと見なすことが決議された。チベット民族の大多数、および議会全体に支持されたこの決議を知らされた法王は、1998年の3月10日声明において、中道政策の継続を発表された。こうしてチベット民族の大多数の支持と議会全員の一致をもって同政策が再度採択されることになったのである。
  3. 2002年に中国との直接交渉が再開され、7回にわたる対話を重ねた後もチベット問題について前向きな成果は得られなかった。それに加え2008年にはチベット各地で平和的な抗議運動が広がり、亡命チベット人社会内にも危機感が増した。亡命チベット人憲章第59条の規定に基づき、2008年11月17日〜22日の6日間、ダラムサラで特別総会が招集された。会議に出席したおよそ600名の代表者の見解、各地域からの意見書およびチベット内部のチベット人から収集された意見のうち、80%以上が中道政策を支持するものであった。チベット民族が民主的なプロセスにより同政策を採択したのはこれが三度目であった。
  4. 同様に2010年3月20日、亡命チベット代表者議会は法王のメッセージを受けそれを討議し、再び同政策支持の決議を満場一致で採決している。これが同政策に関して四度目の民主的採択であり、最も最近のものである。 このように1974年から2010年までの36年間、ダライ・ラマ法王は機会があるごとに人々の意見を求め、その度に中道政策は大多数から強い支持を受けてきた。人々は各々の知性に従ってその決断を下してきた。特にチベット内部のチベット人の福利のための活動に従事してきた人たちや、現在チベットの三大地方でチベット民族のために尽力している学者や活動家たちの同政策への支持はとても強い。

(6)中道政策の緩やかな変化

1979年〜1988年の中国−チベット間の対話では、私たちが要求する自治はそのアウトラインが示されるのみでその詳細が説明されることはなかった。しかし1988年のストラスブール提案は、現在別々の法制度下に置かれているチベット三大地方全土を統治する民主主義体制の自治体を要求している。言い換えれば、国防と外交以外の全ての事柄に関する政治的権限がチベット地方政府に与えられるべきだと同提案は主張しているのだ。さらに同提案には、この自治政府は中華人民共和国と協調していくものだと述べられている。ストラスブール提案は『独立、半独立あるいは偽装した独立』を狙うものだとして中国政府はこれを拒絶した。さらに彼らは、チベットの歴史や現状に関して情報を歪曲し、同提案は『中国がチベットの統治権を持つ』という事実を認めていないと私たちに伝えてきた。また、チベットは中国の不可分な一部であるとも彼らは言っている。当時の趙紫陽首相はメディアに対し、もし中国に帰還したいと思うのであれば、ダライ・ラマはチベットの独立を諦めるべきだ、と述べた。さらに同氏は「しかしダライ・ラマにはそのようなつもりはないようだ」、と付け加えた。1988年9月21日、中国政府はニューデリーの大使館を介して、ストラスブール提案はチベットの独立の考えを排除しておらず、そのため議論の出発点にはならない、とカシャクに通達してきた。この件については9月22日に声明も発表された。1988年11月18日にニューデリーの中国大使館は再度次のように通達した。

「中央政府は、ストラスブール提案が議論の出発点にはなり得ないということを繰り返し伝える。会談の条件は、ダライ・ラマが祖国の統一を受け入れ、それを支持することだ。」

このように中国政府はストラスブール提案に関して会談をもつことはあり得ないという通達を再度繰り返した。ダライ・ラマ法王は1991年の3月10日声明で、中国側が近い将来同提案に前向きな対応をしなければ、ご自身もその責務から離れる旨を表明された。翌1992年には3月10日声明および米イェール大学での講演において、ストラスブール提案はもはや無効だと法王は宣言された。

その後2008年まで中道政策に関しては新たな提案や説明はなされてこなかった。2002年に交渉が再開され、第7回会談までの期間、ダライ・ラマ法王と中央チベット政権は、国際情勢、中国政府の立場そしてチベット民族の希望を踏まえつつ、和解の精神をもって中華人民共和国憲法に則ったチベット問題解決を目指す意思を表明した。この時期に発表されたダライ・ラマ法王の3月10日声明およびカシャクの声明にそれが明示されている。さらに私たちは、ダライ・ラマ法王が時を見計らって中道政策について新ためて説明されるおつもりでいらっしゃるとも述べた。2008年に行われた第7回会談で中国側は、私たちが要求する自治がいかなるものかを定義するよう求めてきた。それに応え、私たちは草案を作成し、中華人民共和国憲法に謳われた民族区域自治が実際どのように全チベット民族のケースに適用できるのか詳細に渡る解説を中国政府に提出した。草案はまず、中国政府にチベット民族の誠実さを訴え、彼らの願いを尊重するよう求めている。私たちはさらに、チベット民族の基本要求(自治に関する11の項目)、全チベット民族を統治する単一政府の実現、自治の性質と構造、そして中国人とチベット民族のあるべき姿について説明した。同草案とストラスブール提案には大きな違いがある。草案の主要目的が、中華人民共和国憲法および民族区域自治法の規定に基づき全チベット民族を単一の自治政府の下に置くことに焦点を定めている点だ。

しかしながら中国側は同草案の内容を誤って解釈し、歪曲して捉えた。2010年1月26日の第9回会談で私たちはそれを指摘し、誤解を解くために注釈を提出した。この草案および注釈が、中道政策を詳しく説明する最近の文書ということになる。

私たちが作成した草案は、他国の政府、議会、機関、組織そして個人から道理にかなった妥当なものとして高い評価を受けてきた。中国政府がこれを受け入れられないことに彼らは驚き、その態度を非難し、草案に関して実りある対話をもつべきだと強く促している。

(7)中道政策によりもたらされた成果

相互利益を生む中道政策を採用したことでさまざまな成果が認められている。そのいくつかを紹介しよう。

  1. 1979年に中国−チベット間の交渉が開始されて以来、一連の現地調査団や代表者らがチベット各地を訪れてきた。これらの訪問が実現したことでチベット人らの間には、愛する者が死から甦ったような強い感情が生まれた。それと同時に、チベット内部のチベット人に希望と内なる強さを与えることになった。
  2. チベット内部のチベット人と亡命社会のチベット人の交流が促進され、親戚訪問も可能となった。これまでに1万人以上の学生、僧侶、尼僧が亡命社会で学ぶ機会を得ている。
  3. 亡命社会に生きるあらゆる宗派の高僧ラマ、ゲシェーそして学者ら多数がチベットを訪れ、そこで宗教・文化活動を行う機会を得た。
  4. 中央チベット政権はチベット内部の多くの有識者から承認され、彼らから確固とした支持を受けている。チベット指導者の長老であるババ・プンツォク・ワンギャルは次のように述べている。「ダライ・ラマ法王は、独立よりも、チベットにとって意義のある自治のみを目指す中道のアプローチを提唱された。現状を見守る人々はこれを、ダライ・ラマ法王が重要な責務を負う覚悟でいらっしゃることの表れだと捉えている。チベットの公共利益やその未来、そしてチベットとチベット民族の運命について熟考していく責務。そしてまた、中国、チベット双方に関わる問題を理解し、変化し続ける状況を注意深く観察する責務。彼らは法王の中道のアプローチを、現実と洞察を踏まえた考えだと捉えている。」また別の学者は、「中道のアプローチは、チベット民族に幸福をもたらす新たな状況を作り出す薬のような働きをしつつ、中国人の福利をも保障する。チベット問題に決着をつけられるのはこの方法以外にはない。独立と同等のものを要求すれば生じてくるだろう問題や疑念も超越しているのが中道のアプローチだ。理論としての中道政策は、政治的プロセスに一般大衆の参加を保障した点で、ある種の思考解放をもたらした。実際面では同政策によって私たちはより広範におよぶ事態に対応することができるようになったのだ」と言っている。
  5. 中国人の学者、民主化運動家、報道番組パーソナリティー、作家そして正義を愛する個人がチベット支援の活動に参加できるようになった。これまでに中道政策を支持する記事がおよそ900書かれている。タイトルの例を挙げてみよう。『連邦制がチベット問題解決の最善策』『問題解決の鍵を握るのはダライ・ラマ法王』『中道のアプローチは少数民族差別という病を治す万能薬』『ダライ・ラマ法王の中道のアプローチこそがチベット問題解決の最善策』などだ。同様に、一般の中国人との理解、協力が得られるようになったことで、中国−チベット友好協会が各地で立ち上げられている。
  6. ダライ・ラマ法王が支障なく世界中でさまざまな活動(宗教的/非宗教的)を行えるようになった。さらに中央チベット政権も、チベット問題解決に向け力を注いでもらえるよう国際社会に働きかけられるようになってきた。
  7. 中道政策を採用して以来、ダライ・ラマ法王はノーベル賞をはじめ多くの国際的な賞を受賞され、大勢の主要な国家指導者と会見してこられた。さらに、チベットをサポートする決議を採択し議会内にチベット支援グループを立ち上げる国も多くある。このように私たちは世界中の政府や議会から支持されているのである。
  8. 中央チベット政権はチベット問題を広く知ってもらうための活動を世界中で展開しているが、それが法的あるいは政治的制約を受けたことは未だかつてない。多くの政府が中国−チベット間の対話に大いに注目しており、実質的な交渉が行われるように仲介に入ろうという政府も数を増やしている。
  9. チベットが、中道政策および中央チベット政権が進める対話プロセスを通じて、中国とチベットの双方が納得する解決策を見出すための建設的な努力をしていることを、多くの政府が認めている。ダライ・ラマ法王に米国議会名誉黄金勲章が授与された際、ブッシュ大統領は次のように述べている。「ダライ・ラマ法王を中国にお迎えするよう、私はこれからも中国の指導者らに要請し続けるつもりだ。この素晴らしいお方は、平和と和解の人だということが彼らにもじきに分かるだろう」 オバマ大統領もホワイトハウス報道官を介して、「大統領はダライ・ラマ法王の中道のアプローチ、非暴力、中国政府との対話への努力を高く評価している」と述べている。台湾の馬英九大統領も、チベッとの自治の実現と中国との対話に従事される法王への支持を表明している。「チベット問題を解決するのはこの方法しかない」、と彼は公言している。
  10. 中国政府と会談を持てたことで、彼らが抱いている疑惑、懸念そして彼らの立場もはっきりと理解することができた。
  11. 私たちが希求するものは現実に根ざしたものだということを論証することができた。その結果、私たちの望みが正当かつ妥当なものであり、なおかつそれらを要求することは道理にかなっていると世界中に理解してもらうことができた。
  12. 『全チベット民族が名実共に自治を享受するための草案』を中国政府に提出することで、将来の交渉への確かな足掛かりができた。

(8)一般亡命チベット人へのお願い

広大なチベットは国家成立以来、素晴らしい文明と文化を誇る国として存在し続けてきた。仏教を擁護した三人のチベット護教王が四方に領土を拡張していったことも、チベット民族の勇敢さと団結力の賜物であった。
9世紀以降、チベットはそのまとまりを失い、内乱が絶えなくなった。その結果チベットはいくつもの小国に分裂し、モンゴルの支配を許すことになった。その後再び独立を得たチベットは、サキャ、パクモドゥパ、リンプン、ツァンパの政権が順次成立した。どの王朝も短命であり、チベットは独立国としてその基盤を確固としたものにはできなかった。その原因は、当時の一般チベット人の団結力の欠如と、差別のない政策導入に失敗したことにある。
ガンデン・ポタン政権が成立しチベットもある程度安定した。しかしその後チベットは再度内乱の世を経験する。今回は大臣どうしの政権争い、そしてウー地方とツァン地方の争いであった。この不安定な状況がチベットを諸外国の干渉を許す時代へと導いていった。19世紀、チベットは独立国でありながらその影は薄く、今日に至るまでそのイメージを払拭することができずにいる。これもまたチベット民族の団結力の弱さに起因している。近代チベット学者の一人が的を射た表現をしている。「国内の対立によってエネルギーと強靭さが失われ、認識の対立によって徳の道が失われる。そしてチベットは、指導者間の対立によってその歴史を失ったのだ」
このように、全チベット民族の短期および長期的な幸福実現のためには団結力が必要不可欠であることは言うまでもない。

チベット民族の蜂起は中共の弾圧を受け、私たちが築いてきた自由で民主的な体制もまた彼らの抑圧の対象となり、チベットはまさに危機的な状況にある。しかし、ダライ・ラマ法王が世界中で素晴らしい貢献をされているお陰で、亡命チベット人社会には宗教や出身地の違いによる偏見もない。そればかりか、人々は長いチベットの歴史上かつて見ることのなかった親密な繋がりと団結を謳歌している。

民主主義の価値を強く信じそれを実践し続ける中央チベット政権は、ダライ・ラマ法王に導かれ、この50年余りの間、チベットの人々が自由な考えをもち、守りそしてそれを広めていけるような環境を整えてきた。成熟した民主主義社会において、政治的思想やイデオロギーが複数存在するのは財産であり、決して人々の団結を揺るがすものではない。しかし同時に私たちは、異なるイデオロギーの力を借りて私たちの社会に不和をもたらそうとする動きに注意を払わなければならない。そこでカシャクは次の二点について説明し、皆さまにお願い申し上げる。

  1. 民主主義の社会では、異なるイデオロギーを支持する人たちの間で激しい議論がなされるのは常であり、お互いに主張したり反論したりして対立をしている。異なる意見を持つグループが全体の団結を脅かさないために重要なことは、各グループが他のグループを理解・尊重し、互いに寛容であろうと努め、またそのような姿勢を身につけるよう努力することだ。根拠に基づき調べ、吟味することに価値を認めない者は、おそらく他者を思いやることもできないだろう。どのような政治的イデオロギーを持っていようとも、しっかりした根拠がなければ意味がない。決して噂に惑わされたり、ただ盲信したり、偏見の目で見たり、簡単に騙されるようでいけない。教えよりも自身の判断を信じなさい。自分の考えについてきちんと調べ、熟考することもせずに他人の言うことに盲目的にしたがってはいけないということだ。
    一つ例を挙げてみる。宗教的あるいは世俗的なアドバイスをダライ・ラマ法王がされたとしよう。法王は誰もがそれに同意し、またそれを受け入れなければならないとは決しておっしゃらない。それどころか、それぞれの知恵と仏教の『四つの信』の教えに従い分別をもって法王の教えを検証しなさい、とおっしゃる。ダライ・ラマの望みや言葉だからといってそれを鵜呑みにしてはならないとおっしゃる。法王はこれについて、次の仏陀のお言葉を引用される。「比丘や学者よ!金が焼かれ、刻まれ、磨かれて三度試されるように、私の言葉を徹底的に吟味しなさい。私を尊敬するからといって、私の言葉を鵜呑みにしてはいけない」
    中道政策もまた、ダライ・ラマ法王ご自身が検証され、将来のチベット民族にとって最良の政策だとご判断された後、一つの意見として提案されたものだ。法王は、誰もがご自身の考えに賛同すべきだとおっしゃったことはない。中央チベット政権もまた、これについて、口頭でも文書でもいかなる声明も発表してこなかったし、将来も同じスタンスを貫くだろう。もし中道政策を支持する組織や個人の中に、同政策はダライ・ラマ法王が望まれることゆえこれに賛同しなければならないと触れ歩くものがいるとすれば、それはデマの吹聴に過ぎない。不適切で望ましくない行為だと言わねばならない。
    先にも述べた通り、同政策は一般チベット人に何度となく意見を求め、民主的なプロセスを経て採択された。しかし初めにこの政策を思いつかれ、提案されたのは他でもないダライ・ラマ法王である。同政策について説明する時、『ダライ・ラマ法王が提唱された』という言い方をするのは不適切なことではない。いや、むしろ妥当な表現だと言えよう。しかしだからと言って、そこに一般の人々にプレッシャーをかけるような意図は一切ない。
    以上のことを踏まえ、私たちは中道政策を支持し実践する人々にはっきり申し上げる。同政策については、ご自身の力でこれを吟味し判断していただけるはずだ。盲目的にダライ・ラマ法王を信じることのないように。そして同政策を他の人に薦めるときも同じルールに従うようにしていただきたい。
  2. 中道政策以外の立場をとられる方もいるが、それぞれが支持するイデオロギーを広める自由を妨げるものは何ら存在しない。自分たちの活動が上手くいかないことを、中央チベット政権が圧力をかけているせいだと言って責任転嫁しようとする者もいる。また、独立を主張する人たちのことをダライ・ラマ法王に背く者たちだと主張する人たちもいる。どちらも根拠のない言い分である。そのようなでたらめを吹聴するのは止めるべきだし、また、人々はそのような話しに惑わされないよう注意するべきである。
    チベット問題解決の方法として中道政策を採択した全行程において、他の政策を主張する人たちにも、彼らの見解を示す機会が等しく与えられてきた。その自由は将来も制約を受けることはない。中道政策を主張する人たちが同政策を支持する理由を十分に説明できなかったとしても、それを非難されるべきではない。ダライ・ラマ法王に絶対の忠誠を誓っているために、ただ盲信しているだけだとか、判断力がないとか、責任逃れだなどと非難されることがあるが、非難する側は相手に無礼であるばかりか、彼ら自身も責任逃れをしているのだと身を以て証明しているようなものだ。
    民主的な社会では基本的自由が保障されており、誰を信頼するか、あるいは誰に従うかは個人個人が決定することである。誰にもこの自由を脅かすことはできない。ダライ・ラマ法王に帰依するか否かも個人の自由である。法王に帰依することを決めた人たちの自由も奪われるべきではない。私たちは民主主義における自由と平等の範囲を見極められるようでなければいけない。
    残念ながら、ダライ・ラマ法王が実はそれとなく独立を唱える組織や個人の意見に同調し、彼らを支援しているのだという印象を植え付けようとする人たちもいる。彼らはダライ・ラマ法王が説かれる慈悲の心についても誤った情報を流したり、法王が彼らの主張を支持する声明を出したかのような話しを発信したりもする。これは大変深刻な嘘で、不正な行為だ。中道政策について、亡命チベット代表者議会が採択したものではないと公言する人たちもいる。ダライ・ラマ法王のご決断がいかなるものであっても、国民投票に依る決定と何ら相違ないものと見なすという議会の決議の後、ダライ・ラマ法王は中道政策の継続を発表された。2010年3月20日、亡命チベット代表者議会は同政策支持の議決を再度満場一致で可決し、それに加え、ダライ・ラマ法王が下されるあらゆる政治的判断を全面的に支持する意向を表明した。同政策が亡命チベット代表者議会によって採択されたものであることは明白である。他にどのような根拠が必要だというのであろうか。
    中道政策以外のイデオロギーを掲げる人たちもまた、他者を理由も無く非難したり侮辱したりといった切羽詰まったやり方に頼らず、民主的な自由とそれに伴う義務の範囲を十分認識したうえで、彼らが希求するものを正当なかたちで示すのがよかろう。さらに、彼らが主張するイデオロギーがただの希望的観測となってしまわぬよう、またメディアの派手なヘッドラインを飾るただのスローガンに成り下がってしまわないよう気をつけるべきだ。それぞれが主張するイデオロギーの目標達成のための詳しい行動計画を発表し、人々の指示を仰ぐべきだ。知恵のある人々の関心は、そのようにして初めて得られるものだ。

(9)結論

相互に利益をもたらすだろう中道政策は、ダライ・ラマ法王のご提案でその姿を現し、民主的なプロセスにより繰り返しチベット内外のチベット人の承認を得て現在まで継続されてきた。同政策はチベット民族の願いだ。チベット民族の願いが、将来何らかの理由で変化する時が来たならば、その時は中央チベット政権も無論それを受け入れることになろう。私たちは同政策を頑に堅持するつもりも、またそれを一般の人々に押し付けるつもりもない。中道政策を支持する人々は、根拠に基づいて同政策を理解したうえでそれに同意し、実践していただきたい。同政策に反対する人たちもまた、根拠のない主張をしたり他人の感情を弄ぶことなく、誠実と理性の道を歩むように。これが私たちカシャクの皆さまへの願いである。
Jai Jagat! Sarwamangalam!

注:原文はチベット語です。

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関連リンク

政権組織の紹介

亡命チベット人憲章

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