「TIBETAN BULLETIN」 1999/10 チベット亡命政権発行

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外国政府役人がダプチの抗議デモを確認

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子供達に対する厳しい取締りチベットにおける「政治思想教育」 | 外国政府役人がダプチの抗議デモを確認

1998/10 チベット亡命政権発行「TIBETAN BULLETIN」

中国当局は、5月1日の平和裏に行われた抗議デモでダプチ刑務所の看守がチベット人に発砲したことを認めたが、少なくとも10人の死者をだしたというTINの報告については否定した。5月1日と4日の抗議デモから3ヶ月後、西欧諸国政府は中国役人に対し問題提起していたが、中国政府側の、今回の事件について唯一内容の伴った回答といえるのは、それだけである。

5月4日に予定されていた欧州連合代表団の刑務所訪問を機に、囚人達は抗議デモをする。ことを思い立ったらしい。

ラサの司法省の役人は、欧州民主連合(EDU)の政治家の代表団が訪問したときのことを語った。それは、5月1日、セレモニーで旗があがっている最中に、囚人達が「チベットに自由を!」「ダライ・ラマ法王万歳!」とスローガンを叫び始めたというのである。ラサの司法省によると、そのために看守は大変な恐怖を感じたため、「刑務所の外にいる警官に知らせよう」と空中に銃を発射したというのだ。中国側のこの声明は、看守が銃を携帯していることを明らかにしているが、もしそうなら、囚人がスローガンを叫んだことに何故それほどまで威嚇しなければなかったのか、という点については明らかにしていない。

「司法省の説明する事件の状況は、大変奇妙で全く信じがたいものだ」と語ったのは、この代表団の1人、ノルウエー人ボルグ・ブレンデ氏である。

今回の抗議デモは、1989年3月の戒厳令実施以来、チベットで起きた重大事件である。依然として囚人の死亡を認めないのは、中国政府が抗議デモの状況に関する情報の漏洩を阻止するために下した決定の1例である。チベットからの最近の報告では、事件後何週間かのうちに、尼僧6人、僧侶4人、一般人1人、の合計11人が死亡したと指摘している。チベットの非公式筋の報告によれば、その11人は手厳しい措置を取られて亡くなった、ということである。

オーストリア人民党の議員グループのリーダー、アンドレア・コール率いるEDUチベット代表団は、8月27日〜31日までのラサ訪問中に、死亡したとされる11人の名前のリストをラサ司法省に提出した。中国側は、今回の事件で死亡者が出たことについて否定した。

8月のデンマーク代表団、ちょうど1ヶ月前のイタリア上院議員グループを含む5月以降チベットを公式訪問した代表達は、いずれも11人の囚人の死に関する状況について何の情報も得られていない。ダプチ刑務所所長はラサを訪問したデンマーク政府代表に、「5月1日と4日は何もここで起きてはいない」と語ったが、一方、同副所長は「事件は起きた」と語ったのである。

2度目の抗議デモが起こった5月4日、ダプチ刑務所を訪問しているころ、英国は欧州連合の議長国だった。司法省の役人が伝えた例の旗揚式は、欧州連合のトロイカ—北京駐在の英国大使、オーストリア大使、ルクセンブルク大使—の刑務所到着の準備として行われたものである。英国政府がダプチでの死者の有無についての問題を中国当局に提起するまで3ヶ月かかったが、まだそれに対する中国側の回答はない。英国は、10月21日北京で、中国側と人権について会談を始めた。

EDU代表団のメンバーだったノルウエーのMPボルグ・ブレンド氏は、中国国営新華社通信に対し、代表団のチベット訪問について誤った表記があった、として批判した。
「代表団は様々な場所を訪問し、チベット人が信教の自由を満喫している姿を目にして喜ばしく思った、とコール氏(代表団のリーダー)は語った」と8月30日の新華社通信は伝えたのだ。
「これは間違いだ」とTINに語るブレンド氏。

「チベット人が僧院で参拝している姿を見かけるため、一見、彼らに何らかの信教の自由がある様に見える。しかし、同時に愛国教育キャンペーンによりチベット中の僧侶や尼僧がダライ・ラマ法王を非難するよう強制されており、もし拒否すれば追放されてしまうのだ。これは、信教の自由があるとはいえない」

6人目の尼僧死亡


ラサの司法省が否定したことを受け、TINは、ダプチ事件におけるチベット人囚人の死亡について報告した。

チベットから最近入った未確認情報によると、今回の抗議デモで6人の尼僧が死亡した。チベット自治区ルンドルップ地方ペンポ出身の26歳の尼僧ナワン・チョイキは、6月7日、他の5人の尼僧と共に亡くなったということだ。他の5人の尼僧とは、非公式な情報源ではあるが、5年の刑に服していたルンドルップ地方ペンポ出身のロプサン・ワンモ(26歳)、4年の刑に服していたネモ地方出身のデキ・ヤンゾン(20歳)、5年の刑に服していたペンモ出身のチョキー・ワンモ(23歳)、5年の刑に服していたネモ出身のクンドン・ヨンテン(25歳)、5年の刑に服していたネモ出身のタシー・ラモ(20歳前半)である。

抗議デモによる尼僧や僧侶、一般人の死亡に関する公式説明は、一切ない。刑務所関係者が「尼僧達は自殺した」と話した、という非公式筋の情報があったにもかかわらず、である。

囚人の危ぶまれる健康状態


信用度の高いある非公式筋の報告書によると、囚人のギヤルツエン・チョペルは、6人の尼僧の自殺について当局に申し立てした後、激しく殴打され、現在、彼の健康状態が危ぶまれている、ということだ。

この報告によれば、彼は、治療のため仮釈放になったということである。このギャルツエン・チョペルは、1998年収監され、中国人警官殺害容疑で15年の刑に服していた。

また、囚人達に食べ物を差し入れたということで彼の母親アマ・プンブも逮捕されたことを同報告書は報じている。以前、彼女は、ラサで亡くなったチベット独立運動家達の追悼式をとりおこなったとして、1989年から3年間収監されたことがある。

ギャルツエン・チョペルの家族には、チベットにおける中国支配に対する抵抗運動に関わった歴史がある。1991年のチベット独立活動家検挙の最中、彼の兄は短期間の拘束、父親も政治犯として収監された。尼僧である彼の姉ツエラは、セイトゥ刑務所に期限未定のまま収容されていたが、激しく殴られたのち治療目的のため仮釈放された。

チベット人官吏亡命


11月6日、BBCワールド・サービスは、「チベット人上級官吏がチベットを去り、アメリカに亡命した」ことを伝えた。この役人アギャ・リンポチェは、1959年のダライ・ラマ法王亡命以降、チベットを去った上級官吏の1人となる。彼は,チベット仏教の最も重要な僧院の1つの大僧院長であったが、中国の階層でも高い地位にあった。

BBCは、チベット亡命政権のある情報筋から、その大僧院長は中国の宗教政策に異議を唱え、その4ヶ月後にチベットを去った、という知らせを得た。BBCのリポートは、この事件は中国政府にとってこの上ない不名誉になり得る、と締めくくっている。

 


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