「TIBETAN BULLETIN」 1999/10 チベット亡命政権発行

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子供達に対する厳しい取締り

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子供達に対する厳しい取締り | チベットにおける「政治思想教育」 | 外国政府役人がダプチの抗議デモを確認

1998/10 チベット亡命政権発行「TIBETAN BULLETIN」

TCHRD(チベット人権・民主センター)の報告によると、自分の子供たちを亡命政府のチベット人学校に通わせている公務員に対して、またさらなる厳重取締りがあった。それは、ラサにある中国管轄の学校当局が、チベット人の両親3組に対し、子供を帰還させるか、解雇となるか、さらに他の罰則を受けるか、という命令を下したというものである。

今年10月初め、ラサ・ミドルスクールの職員は、ダラムサラで、自分の子供たち−ダラムサラのチベット子供村(Tibetan Children’s Village)にいた小学3年生のセモ・ツォと中学2年生のテンジン・ギャンセエンとツエンテン・ドルカル−を引き取った。

親達は、1998年3月発令の命令に6ヶ月間応じなかったことが判明し、一時解雇され、給料全額支払を拒否された。公安当局は、両親たちに旅行書類を提出するよう命令を出し、また子供たちが帰還したら返金することを条件として、9月に100ユアン(およそ$125)の支払いを命じた。
「子供たちも親たちも少しも戻りたくなかった。子供たちの2人は、7年前にチベットから逃れてきた。もう1人は、2年ほど前に避難してきて、長い間泣き続けていた。親も同様だ。しかし、中国当局の恐ろしい処置を恐れる親にとっては、他に選択の余地は無かった。命令に従わなければ、仕事を失うか、拘束理由のないまま刑務所に入れられてしまう」と、ダラムサラに本部を置くTCHRD所長のロプサン・ニャンダク氏は語る。

この3組の両親たちは、200名が勤務するラサ・ミドルスクールの職員である。200名のうち160名は教師で、1994年発令の規定に遵守しているかどうか中国当局の調査を受けている。「中国共産党党員及び幹部は、子供たちを逃亡者の管理運営する学校に通わせてはならない。すでにそのような学校に通わせている者は、特定期間内に子供を連れ戻さなければならない」と「チベット自治区」懲罰委員会の文書ナンバー58に記載されている。さらに当文書には、「通達後、分離主義者のいる学校に相変わらず子供を通わせている場合、共産党規約及び政府の措置により、過失の度合いに応じて厳しい罰を受けなければならない」と加えられている。

チベットを逃れた子供たちを受け入れる学校を3校運営しているTCVでも、ここ1年に40人以上が両親のもとへ連れ戻された。
「現在のところ、1994年法令で追求されているのはラサ・ミドルスクールだけである」とTCHRDの報告書は加えている。1995年に設立され、ポタラ宮殿の裏手にあるラサ・ミドルスクールとチベット大学は、「チベット自治区」の管轄にある2つだけの学校だが、その3,000人の学生の半数は中国人である。

1組の両親の報告によると、チベット自治区内の様々な管理部署が、部職員の「政治的潔白」を競いあっている。インドで子供を勉強させている職員を持つ部署は軽蔑され、またそれらの職員の「排除」措置を実行するため、個々の部署に圧力をかけている。

1998年4月にチベットを訪れ、同年7月にインドに帰国したTCV学校の生徒がTCHRDに提供した情報によると、チベットに連れ戻された15歳以下の生徒はひどい設備の小学校に通わされ、15歳以上の生徒の大半が観光ガイドに従事させられた。それでも、彼らは絶えず不信感を持たれたり、偽りの口実で差別を受けているということだ。多くは、極秘に反政府活動に参加したとして、また外部と連絡を取り合っているとして、解雇されてしまったという。
「私は、解雇された人たちがバルコル(ラサの中心に位置する)でお香や祈祷の旗やゴム製靴、マット等を売りながら細々と生活を営んでいるのを見かけました。たとえば、ダラムサラのTCVの生徒だったヌガワン・セルドンとイエツイ・ツオギャルの2人です」

さらにこの報告書は付け加えている。
「1998年5月にラサにいた時、連れ戻された生徒の1人が深酒のあと自殺を遂げたという」

TCHRD(チベット人権・民主センター)は、アムネスティやその他の国連人権擁護団体と協力し、中国政府による子供の権利侵害に取り組んできた。しかし、これまでのところ具体的な成果は得られていない。