チベットの人権問題

⑥逮捕と科刑

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イェシ・チュドゥン医師


チベット人で定年退職した元医師イエシィ・チョドン氏(54)は、2008年3月、ラサで行われたチベット人の平和的抗議活動に参加し、逮捕された。拘禁中、家族は面会を許されなかった。11月7日にスパイ罪によりラサの中級人民法院によって禁固15年を言い渡された。2008年3月の平和的抗議活動中に外部への情報漏洩したとの罪である。

イエシィ・チョドン元医師の消息については、2016年の時点で、刑務所内で拷問を受けたために重病を患い、緊急治療のために2度入院したと報告されている。2012年にも入院している。2016年以後、健康状態や居場所については明らかになっていない。

 

 

ドルジェー・タシ氏


チベットで最も豊かなビジネスマンの一人であるドルジェー・タシ氏は、2003年に与党共産党に加わった。中国政府は、タシ氏を「10名の有望なチベット人青年たち」のひとりに位置付けた。

タシ氏は2010年に終身刑を言い渡された。「違法な商取引」を行った容疑で、秘密裏に裁判が行われ、判決が下された。タシ氏が行った寄付に対するダライ・ラマ法王からの感謝状を所持していたために逮捕されたと考えられている。判決後、彼の消息についての情報はない。

 

中国裁判所がダライ・ラマ法王の誕生日を祝ったことで科刑


ンガバ県バークハムの中等人民裁判所は、四川省内ンガバ県でチベット人の精神的指導者ダライ・ラマ法王80歳の誕生日祝賀会に参加した僧侶と在家信者合計10人のチベット人に対し、5年から14年の懲役を言い渡した。
判決が下ったチベット人は下記の10名。

 

 

 

番号 名前 年齢 性別 服役期間
1 Drukdra 50 男性 14年
2 Lobsang Khedrup 44 男性 13年
3 Lobsang Gepel 29 男性 12年
4 Lodro 41 男性 9年
5 Tare Key 不明 男性 8年
6 Wonkho Kyi 48 男性 7年
7 Bonko Kyi 48 男性 7年
8 Tsultrim 32 男性 6年
9 Ajaya 不明 男性 5年
10 A Kyakya 35 男性 5年

刑務所で拷問を受け死亡:テンジン・デレク・リンポチェ


テンジン・デレク・リンポチェ (65)は絶大な尊敬を集めるチベットの精神的指導者であり、チベット人政治犯として知られた。チベット本土の中国政府下の獄中で、2015年7月12日に死亡した。死亡の状況には疑惑が残る。チベット人、世界の指導者や政治家たちが死因について「国際的な検察」を求めている。

テンジン・デレク・リンポチェは、成都での爆弾テロ事件に関与した容疑で、2002年4月に自身の僧院で拘束された。2002年に、不当な罪名により死刑が言い渡され、公平な裁判の求めも退けられた。

テンジン・デレク・リンポチェは、仏教指導者であり、福祉に尽力していた。1987年にダライ・ラマ法王への謁見の後インドから帰国したときに初めて中国政府に取り調べを受けた。

精神的指導者としてのテンジン・デレク・リンポチェの影響は広範囲に及んだ。しかし、中国が脅威を感じたのは、リンポチェがチベットの文化的アイデンティティと環境の保護を提唱したことだ。無計画な森林伐採や鉱山開発に声をあげ、老人福祉施設や児童養護施設の建設に尽力したことで、リンポチェは精神的指導者としてだけでなく、環境保護活動家、社会活動家、意見番として尊敬を集めた。

チベット人や世界の指導者、政治家たちは、リンポチェの死因について「国際的な調査」を求めた。2004年に、ヒューマン・ライツ・ウォッチがテンジン・デレク・リンポチェの「逮捕に至る法的手続きの不備」と「チベット仏教の保護とチベット人社会と文化の発展の活動」の事実が歪曲され罪に問われたことを公表し、これによりリンポチェの無罪であると意見が高まった。

テンジン・デレク・リンポチェの故郷、チベット東部の成都(リタン)に暮らすチベット人は、リンポチェの釈放を求めて果敢に活動を行った。2009年に、逮捕や死も覚悟の上で、赤インクで親指を染め拇印し、リンポチェの釈放を陳情した。

死亡の数カ月前、テンジン・デレク・リンポチェの投獄13年の機に、世界中のチベット人が、リンポチェの医療的ケアの目的で釈放を要求した。家族も中国の法律、特に仮釈放を認める中国の監獄法に基づき、医療目的による仮釈放を求めた。この活動には国際社会からの支持が高まった。ジム・マクガヴァン米国会議員は米国務省に医療目的の仮釈放は最優先されるべきだと主張した。チベット人たちはこの動きに希望を持ったが、それは長くは続かなかった。

遺体の返還を求める活動で、多くの地元のチベット人が銃口を向けられ怪我を負った。妹のドルカー・ラモ氏は、受刑者の家族は遺体の火葬中止を求めることができる権利を謳った法律を提示し、中国当局に求める五点を記した書簡を作成した。ラモ氏は兄の死が自然死ではないのではないか懸念を表明している。

その数日後、当局は、警備体制が堅固な刑務所内施設で、極秘裏に遺体の火葬を行った。これには家族も同席したが、その際に遺体の唇と爪が黒く変色していたことに気づき、死亡原因についての家族の疑念が高まった。

刑務所当局者は支援者らに遺灰を手渡したが、その直後、警察がLundingのホテルで支援者らを銃で脅して遺灰を没収し、近くの川に投げ捨てるよう指示した。その数日後、妹と姪が行方不明になった。姪のニーマ・ラモ氏はその後インドに逃げ伸び、テンジン・デレク・リンポチェの死亡にまつわる疑惑について、各種国際委員会の場で証言した。

テンジン・デレク・リンポチェの死亡は、中国が世界人権宣言の原則を著しく違反していることを示すものだ。第1回犯罪予防及び犯罪者処遇に関する国際連合会議で決議された被拘禁者処遇最低基準規則には「特別医療を要する疾病のある被拘禁者は特別施設または一般の病院に移転させるものとする」と定められている。

チベット本土における焼身抗議


「……我々の置かれる状況について、真実を語る自由がないため、世界に対し、特に中国政府と国民に対し、真実の証人となるべくこの身を犠牲にせざるを得ませんでした……」

ソナム・トプギャル、男性、26歳、2015年7月9日に焼身抗議後に死亡。

2009年2月27日以降、チベットで152人のチベット人が焼身抗議を行った。
男性126人、女性26人。合計152人のうち、130人は抗議後に死亡が報告されている。
焼身抗議を行ったチベット人のうち、26名は18歳以下である。

2009年以降、152人のチベット人がチベットで焼身抗議を行った(2018年7月現在)。126人が負傷した。生き残った抗議者の所在と状況は現在も不明である。抗議者たちは全員が「チベットに自由を」「ダライ・ラマ法王のチベット帰国を」と訴えた。 しかし、中国当局は焼身抗議を行ったチベット人たちの根底にある不満に対処するどころか、チベット人居住区における抑圧政策を強化し、焼身抗議を「テロ行為」と呼び、抗議者の家族や友人らを逮捕して重い刑に処した。

中国当局は、焼身抗議を「ダライ・クリーク」によって誘発された「テロ行為」とし、チベット人焼身抗議者の家族や親族をも罰することを目的としたガイドライン(付録3)を発行した。このガイドラインは、焼身抗議者の家族が、旅行やローン、免許、雇用、政府の援助を申請することを禁じている。

今日まで、50人以上のチベット人が焼身抗議に関係した罪でさまざまな刑に処せられている。中国はチベット本土のチベット人の当たり前の不満に対処するどころか焼身抗議者に科刑し、状況は悪化の一途をたどっている。

「基本的人権を認められないチベット人の苦しみは、私たちが自身に火を放った苦しみよりもはるかに強い…」ソナム氏とチョーパク・キャブ氏の両名は、2012年4月19日に焼身抗議を行った後、死亡した。

(付録3)ゾルゲ郡の焼身抗議に関する規則


ゾルゲ郡人民政府による焼身抗議に対する暫定的規制に関する通知

郡内の政府職員および市民各位

郡全体が経済の経済の拡大と長期的安定化を促進するために最大限尽力すべきこの重要な時期に、一般市民、僧院、僧侶は中国共産党のリーダーシップに従い、社会主義システムを遵守し、少数民族地方自治制度の遵守が求められる。

共産党のリーダーシップは 、郡の全土にわたって国家の統一と社会の安定を守るために積極的な役割を果たしてきた。しかし、不当な考えを持つ者や罪を犯す者の属する少数民族は、邪悪な目的を達成するために全体的な安定と統一を意図的に破壊した。次々と焼身抗議を行い、大きな影響を与えた。大多数の市民の生産的な日常や普通の生活が中断された事態は深刻である。経済や社会の健全な発展は阻害された。犯罪と戦うため、美徳を称えて悪を罰するため、社会環境の調和と安定を維持するために、そして一般市民の基本的利益を保護するために、研究が重ねられ、規則が設定された。

  1. 焼身抗議者の直系親族(親、配偶者、子供、いとこ)は、国家公務員、企業職員、労働者、医療従事者、および軍隊への入隊を失格とする。
  2. 直系親族は、全国人民代表大会の代表、中国人民政治諮問会議のメンバー、村落グループ(地域社会)のスタッフメンバーなどの選挙の参加について、不適格とする。
  3. 国家公務員、企業職員および労働者は、意識的に親族の教育を強化するものとする。直系親族が焼身抗議を行った場合、関連規則に従って厳罰に処す。
  4. 焼身抗議者の家族は、3年の間、福祉政策の恩恵を得る資格を失い、焼身抗議者が居住する村の住民は、1年の間、福祉政策の恩恵を受ける資格を失うものとする。
  5. 焼身抗議者が所属する村および僧院は、国家投資プロジェクト対象として不適格または保留とする。焼身抗議者が暮らす村からはすべての投資、社会的および農村資本プロジェクトを撤退させるものとする。
  6. 焼身抗議者または積極的参加者の家族(世帯)は不正直家庭としてリストに記載する。焼身抗議者が暮らした村および僧院は不正直村および僧院としてリストに記載する。これらに対しては3年にわたり貸付金を禁止する。金融機関よりすでに貸付金がある場合はこれを回収し、新たな貸し付けを行ってはならない。
  7. 焼身抗議が発生した村または僧院はその後の焼身抗議に対する保証金として1万元〜50万元を支払うものとする。その後 2年間焼身抗議が発生しなかった場合はこの保証金は返還される。焼身抗議が発生した場合は、この保証金は国庫として没収されるが、同時に保証金は継続するものとする。
  8. 焼身抗議は、同地域内の団体、僧院民主管理委員会、師僧の信頼性に関わるものとし、その年の優秀賞の受賞対象から除外する。
  9. 土地および牧草地の使用権は、焼身抗議者から没収するものとする。焼身抗議者が居住する村の土地および牧草地の管理の権利はこれを凍結する。
  10. 焼身抗議者および直系親族、その他積極的関係者の居住する土地家屋については所有権のみがみとめられるが、その証明書の発行は行われない。商業活動は3年間認められない。
  11. チベット自治区からの出国または入国の申請は、焼身抗議者の直系家族に対し3年にわたって認めないものとする。
  12. 焼身抗議が起こった場合、厳格な取締りおよび処罰が行われるものとする。また同時に包括的な管理の法の執行を行う。
  13. 焼身抗議が発生した村および僧院の村人ならびに僧侶、尼僧、宗教指導者、および焼身抗議者の出身地である町および僧院および修道院の住民に対し、法律理解講座を開講する。焼身抗議が比較的軽度であり、違法でなく、治安を脅かさないと判断された場合は、焼身抗議者の直系の親族および積極的関係者は別の場所で行われる15日以上の法律教育を受講するものとする。
  14. 焼身抗議が発生した僧院においては、僧院や地域間での仏教行事は一時的に厳しく制限されるものとする。
  15. 法律に従い、焼身抗議が発生した僧院の財務について監査と整理を行うものとする。僧院の運営を停止し、整理を行う。会計収支および寄付金の受領と運用の計算書は僧院管理委員会(部門)に報告し、定期的に僧侶、尼僧、信者に報告するものとする。
  16. 焼身抗議発生の手がかりや情報を報告し、その情報が真実であると確認できた場合、情報提供者は情報の内容により2,000〜500,000元の報酬を与えられるものとする。そのプロセスは極秘に扱うこととする。本規則は、公布の日より効力を発するものとする。他の規則が本規則に反する場合は本規則を基準とする。

2013年4月8日 ゾルゲ郡人民政府

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