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元『良心の囚人』ンガワン・サンドル

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数名のチベット人及び中国人の「良心の囚人」または政治犯が釈放されたことは、私たちを勇気づけてくれました。中でも、中国の対チベット政策と独立国家チベットの歴史的事実を主張したかどで40年もの長きにわたり投獄されてきたタナク・ジグメ・サンポならびにンガワン・サンドルは、チベット本土内のチベット人の歴史と強固な意志を表すものです。

ダライ・ラマ法王「2003年3月10日声明」より

ンガワン・サンドル プロフィール


ンガワン・サンドルの母ジャンパ・チョンゾム。1991年に死亡

1977年ラサ生まれ。幼くしてガル尼僧院の尼僧となる。
1987年と1988年に起きたラサでの大規模な「チベット独立デモ」に10歳足らずで参加し、グッツァ拘置所に収監される。そこで拷問を受け、一生残る傷を負う。

1992年、中国政府に対する抗議行動を企てた罪により15歳で逮捕され、「良心の囚人」となる。ダプチ(ドラプチ)刑務所で3年の懲役刑に服していた時、同じ「良心の囚人」の尼僧らと共に愛する家族や故郷への想いを歌った。
その録音テープは密かに刑務所の外に持ち出された。

音声ファイル(MP3)を聞くことができます

ナムギャル・タシ
父親のナムギャル・タシ

ンガワン・サンドルは報復として拷問を受けても抗議運動を続けた。ついに1998年ラサの中等人民裁判所は2013年までの懲役刑を言い渡した。これはチベットの女性政治囚としては最長である。拷問後の不完全な治療や刑務所の劣悪な環境などで、ンガワン・サンドルの健康状態は極めて悪化した。

2001年イタリア・フィレンツェの市議会は、残虐行為に対するンガワン・サンドルの一貫した非暴力の姿勢に、満場一致で「フィレンツェ市民栄誉賞」の授与を決定、さらにフランスでもンガワン・サンドルの伝記「囚われのチベットの少女」が出版され話題を呼ぶなど、国際社会にンガワン・サンドルを釈放させようとする新たな機運が生まれる。そこに至るまで、チベット亡命政権を始め政府関係者、TCHRDやICT等のチベット支援団体、デュイ・フア財団やアムネスティ・インターナショナル等の人権団体が、広報支援活動、折衝など様々な努力と奔走を続けてきたことは言うまでもない。
そして、EUや米国の政府レベルの中国政府に対する働きかけにより、2002年10月ンガワン・サンドルはついに仮釈放となった。

過去のンガワン・サンドルの主なニュース


2003/05/06 ンガワン・サンドル 治療のためスイスへ到着
2003/04/09 ンガワン・サンドル声明 チベット人同胞とチベット支援者の皆様へ
2003/04/02 ンガワン・サンドル ラジオ局インタビュー 内容紹介
2003/03 ンガワン・サンドル 治療のためチベットから米国へ
2002/10/17 ンガワン・サンドル釈放
2002/05/01 刑務所仲間の証言
2002/03/09 ダプチ刑務所の尼僧に名誉市民賞
2001/07/16 ンガワン・サンドルにフィレンツェ市民名誉賞
2002/06/14 ダプチ刑務所での状況
2000/10/26 中国 チベット人尼僧の受賞に対してヨーロッパに警告

尼僧らの歌った歌『雪国 Land of Snow』の翻訳


雪国 雪国
私の愛しい祖国よ
幸福の源は政治と宗教の自由から
赤い中国人が私の尊敬する師をも追いやった
十方に潜在する仏陀こそが
チベット国民が経験している苦悩の唯一の目撃者
チベットの大地が涙と血の海で溢れるほどの
恐ろしい残忍な行為に耐え忍ばなければならない
十方に潜在する仏陀たちが
雪国に住む人々の真実を見守っている
私の愛する祖国よ
私の祖国の魂よ
智慧の大海テンジン・ギャツォ様(ダライ・ラマ法王)こそ
私の尊敬する師
願いを叶えさせてくれる如意珠イシェ・ノルブ(ダライ・ラマ法王)よ
チベット国民が一体になる日が
いつか必ず訪れる
雲に隠れた太陽が現れるように