ダライ・ラマ法王

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「仏教の芸術・文学・哲学への貢献」での講演

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(1956/11/29 インド、ニューデリー)

議長閣下、総理大臣閣下、そして友人の皆様

パンチェン・ラマ猊下と私は今日の午後の審議をしめくくる前に、このシンポジウムで講演を行うという非常な名誉を得ました。釈尊入滅2500年記念祝典に親切にも私たちをインドに招待してくださり、このすばらしいプログラムを用意して下さったインド政府とブッダ・ジャヤンティ祝典運営委員会に深く感謝したいと思います。

私たちはみな仏法の発展と伝播に興味を抱いています。ですから、皆様もチベットにおいて仏法がどのように発展をとげたか興味をもたれるところだと思います。

7世紀の初頭、ソンツェン・ガムポ王の治世、トゥンミ・サムボータをはじめ多くのチベット人学生が仏教を学ぶためにインドに派遣されました。これらの学生はカシミールのパンディット、ラ・リクパ・センゲや他の学者のもとでサンスクリット語の文法や文学を徹底的に学び、チベットに帰還しました。トゥンミ・サムボータは北方インドのナガリ文字と中央インドのシャルダ文字をもとにチベット文字を考案しました。彼らはまた多くの書物をチベット語に翻訳しています。

8世紀、ティソン・デツェン王の治世には阿闍梨シャーンタラクシタ、パドマサンバヴァ、ヴィマラミトラ、カマラシーラなどのインドの偉大なる学者たちがチベットに招聘されました。イェシェー・ワンポ、ヴァイローチャナなどのような多くのチベット人の学生たちが夥しい数の大乗や金剛乗仏教の典籍をチベット語に翻訳し、チベット青年70が比丘戒を受けました。これ以降、チベットとインドの友好的、精神的な絆は深まって行きました。

9世紀に入り、チベットのティ・レーパチェン王は、ジナミトラ、スレンドラボーディ、ラトナボーディ、ボーディダーナシーラなどの多くの学者を招聘し、彼らによって旧訳仏典がよみがえり、より標準化されたチベット語に書き直されることになったのです。残忍なるランダルマ王の治世に、仏教は衰退し、チベットの寒村に残存するのみとなりました。しかし、ラチェン・ゴンパ・ラプサルを含む多くの偉大なる人々の力によって、仏教はそのおおもとより復興することができたのです。リンチェン・サンポ、ギェンツェン・センゲ、ナクツォのツルティム・ギャルワのような多くのチベット人学者たちがインドに赴きました。ナーランダやヴィクラマシーラ僧院で勉学を終えた彼らは偉大なるスワミ・ディーパンカラシュリージュニャーナ(アティーシャ)やカシミールのシャーキャ・シュリー、スムリティジュニャーナキールティなどをチベットに招聘しました。この時期に彼らは、大蔵教カンギュル(仏説部)とテンギュル(論疏部)をチベット語に翻訳しました。こうして、仏法の太陽が暗黒の土地チベットに照り輝き始めたのです。

今日と同様、その当時もチベットからインドへ旅するのは楽なことではありませんでした。人はチベットよりネパールを経てインドに至る過酷な道のりを1歩1歩、足で踏みしめて行かなくてはならなかったのです。野生の動物や息の詰まるような夏の暑さに対処しなければならず、生き延びて故郷に戻ることができたのは100名の学生のうちのほんの3、4名にすぎませんでした。こうした人々の雄々しい努力と犠牲によってチベットは釈尊の教えを受けとることができたのです。仏法はさらにチベットの隣国にまで広まって行きました。

紀元1200年ごろから、インドにおいて仏教が衰退し始めたのは不運なことでした。僧院やヴィハーラは破壊され、典籍は流布しなくなりました。その結果仏教信者の数もまた減少していったのです。

インド人民の絶えまぬ努力の結果、インドは独立を獲得し、以降、政治的、経済的、社会的発展を遂げて行きました。あらゆる宗教に対し等しく寛容なインドは、仏教に対しても愛と尊敬のまなざしをむけており、法輪とアショカ王の石柱は国の象徴として採用されています。今年、インドは大慈の者(釈尊)が示された思いやりを記念する意味で、仏教の伝統に相応しい規模での釈尊入滅2500年を祝っています。仏教国、非仏教国を問わず多くの国々から、多くの賓客がこの祝典に招待されています。私自身はこの祝典に参加できたこできたことを非常に幸運なめぐり合わせと考えています。インドのこのような尽力は、東洋における仏教信仰を力づけるだけでなく、西洋においても不久の真理を弘めるのに役立つことでしょう。

ある経典に、釈尊入滅2500年後、仏法は“赤い顔の人々の国”に栄えるであろうと予言されています。この予言はチベットのことを指していると解釈したチベット人学者もいないではありませんでしたが、シャーキャ・シュリーのような学者は別の解釈をとっています。彼によると、これは将来、仏法が栄えるに違いないヨーロッパの国々を指しているのです。この徴候はすでにいくつかあらわれています。もし仏法が全世界にひろまったならば、まちがいなく私たちの来生に善き果がもたらされることでしょうし、今生の間にも、憎怒、暴力行為や暴力手段、他者への搾取のない、誰もが幸福と反映を享受できる時代が到来することでしょう。多くの平和を愛する大国が、小国に自由をもたらし、戦争や侵略をなくすために尽力されていることに対し、ここでささやかなる賞賛の意を表明する機会を得たことをうれしく思います。古の多くの学者たちが多大なる努力をはらってチベットにもたらした仏法が滅びるならば、私たちの人生は完全に目的を失ってしまうでしょう。私自身、力のおよぶ範囲で仏法を保持すべく努力しておりますし、仏法を不久のものとするこの企てに支援や助言して下さった皆様方に深く感謝いたします。

友人の皆様方に、このすばらしい集会で講話を行う特権を与えて下さったことに再度謝意を表すとともに、仏教のこのシンポジウムのためにここに集われた方々の努力が実らんことを、また全宇宙の生きとし生けるものすべてに幸福と繁栄がもたらされるよう祈念いたします。

「チベット政治史」(亜細亜大学アジア研究所)より抜粋