立法:亡命チベット代表者議会

チベット亡命議会の進化

序文

「1959年3月のチベット出国よりも以前に、私は現代社会を取り巻く状況の変化に伴って、人民によって選ばれた議員たちが国家の社会的・経済的政策を牽引し形作るために、もっと効果的な役割が果たせるよう統治体制が改正されるべきであるという結論に至っていました。また、それは社会的・経済的公正を通してのみ成し得ると固く信じていました。」

1963年 ダライ・ラマ法王14世から寄せられたチベット憲法への草稿

紹介

チベット亡命議会 ―
中央チベット議会は最高立法権を持つ中央チベット政権(CTA)の機関であり、
チベットの民主主義的統治の三本柱である、司法、立法、内閣(行政府)の三つである。

設立

チベットの政治形態の民主化は、長い間ダライ・ラマ法王14世のたっての願いでした。実際にご自身がチベットの改革を主導されていたにも関わらず、1949年と1950年に起きた中国による侵略で中断を余儀なくされてしまったのです。その中国の侵略以前は、重要事項はツクドウ(国民議会)やカロン(閣僚)で構成された組織や三つの大修道会の代表者たちが決めており、チベット国民は殆ど民主主義的な統治を経験したことはありませんでした。直接選挙も行われたことがありません。1959にインドへ脱出された後、ダライ・ラマ法王は1960年2月にインドのブッダガヤにおいて正式に民主主義的政治形態の骨子を発表され、伝統的な三つの地区から三人、四つのチベット仏教学校から一人ずつの代表者を選出して組織を結成するようチベット亡命者たちに呼びかけました。選挙は期日通り執り行われ、十三人の『代理人』と呼ばれる代表者が選ばれ『チベット人民代理人委員会(CTPD)』に指名されました。『代理人』は1960年9月2日に宣誓し、後にこの歴史的な日は『チベット民主主義の日』となりました。

チベット亡命議会は、チベット人政権の社会で最高の権限を持つ立法機関で、1960年に設立された。代議員は民主的に選出される。この亡命チベット代表者議会は、行政機関に民主的な制度を導入するためにダライ・ラマ法王が実行された主要な改革の一環として創設された。議会は、選挙に当選した45名の代議員で構成される。

チベットの3つの伝統的な州であるウ・ツァン、カム、およびアムドから、それぞれ10名の議員が選出される。また、チベット仏教の4宗派とボン教からは、それぞれ2名の議員が選出される。さらに4名が欧米から選出される(ヨーロッパより2名、アメリカ合衆国より2名)。オーストラリアから1名で、計45名で構成されています。

チベット亡命代表者議会建物

チベット亡命議会は、議長、副議長を自分たちで選出し管理を任せる。25歳以上のすべてのチベット人はチベット代表者議会の議員選挙に立候補する権利を有する。選挙は、5年ごとに実施され、18歳以上のすべてのチベット人は投票する権利を有する。

チベット亡命議会は、1年に2度、半年ごとに開会されるが、国家非常時には、ダライ・ラマ法王は特別亡命チベット代表者議会を召集することができる。議会が開会されていないときは、12名の委員による常任委員会が設置される。12名の委員は、各州から2名、各宗派から1名によって構成される。

国民の代表として、議会議員は、世界各国にあるチベット人のコミュニティーを定期的に訪問し、全体的な状況を評価する。このような訪問を終えた後、対応が必要な訴えや問題を行政機関に通知する。

チベット亡命議会は、チベット人コミュニティーに設立されている地域住民議会を通して、国民との交流をはかっている。亡命チベット人憲章では、少なくとも160名の人口を持つコミュニティーには、1つの地域住民議会を設立することが定められている。地域住民議会は、各コミュニティーの入植地・福祉担当員の活動を監視する。また、チベット人コミュニティーから条例を必要とする声が挙がった場合、各コミュニティーの条例を作成する。入植地・福祉担当員は、地域住民議会が発効した条例を遵守する義務がある。

議会の会議は、6か月の間隔で年に2回開催されます。3月予算委員会。9月通常委員会。
議会が開催されていない場合、議長と副議長を含む11人のメンバーからなる常任委員会があります。チベットの3つの地方から2人、各宗教宗派から1人。メンバーは政治、行政、金融の3つのセクションに分かれています。常任委員会は常勤として出席し、チベット内の政治状況の分析、部門の年次報告書および監査のレビュー、暫定予算の承認など、議会に関係する日常業務に関与しています。

(翻訳:M.T.)

亡命チベット人憲章

世界各国との関係