チベットでは、ダライ・ラマ法王が1959年、インドに亡命するまでは独立国家としてチベット独自の貨幣を使用していたが、古代においては、取引のすべての基準は、大麦、小麦、肉、チーズなどが中心の物々交換だった。地方はもちろんのこと、大都市のラサ、シガツェ、ギャンツェ等でも同じだった。しかし、インドに派遣される留学生は金を所持し、インドやネパールから僧侶を招く際も金で支払われた。
チベットの通貨
古代チベットでは物々交換が一般的であった。馬や布の買い付けにも貨幣代わりに青稞麦が用いられたこの物々交換制度は今なおチベットの僻地に残されている。初めのうちは重さを単位にして―後には銀が―交易に用いられるようになった。銀の重さは次第に規格化されていき、10カルマが1ショカンに、10ショカンが1サンカンに、50サンカンが1ドツェーに相当するようになると、貨幣としての形態をもつに至り、これらの銀片が硬貨として用いられることになった。
1750年より数年間、ネパールの効果がチベットで流通していたことがある。ネパールの銀貨1タムカはチベットの1ショカン5カルマに相当した。1792年、チベット人たちはネパール硬貨を手本に、チベット語による銘刻をしたチベット独自のタムカ貨を鋳造した。後に四肢の印章が浮きぼりされ、額面価格によって大きさの異なる銅貨がチベット政府によって鋳造された。これによってサンカン、ショカン、カルマは単に重さの単位であることをやめ、実際の貨幣の単位となり、ルピー、アナ、パイサ(インドのお金の単位)と等価値を有するに至った。共産中国によってチベットが占領されるまでこの通貨形態は変わらなかった。
1890年、チベット政府は紙幣を導入した。最初の紙幣の額面はそれぞれ5、10、15、25、50タムカであった。後にこれらの紙幣はサンと呼ばれ、5、10、25、100の額面で発行された。続いて銀貨が5、10、15、30、100ショカンの単位で発行された。金貨は20サンに相当した。紙幣も硬貨も発行日と獅子文様の政府印が押され、政府所有の金が発行紙幣の裏づけとなっていた。貨幣の鋳造と紙幣の印刷開始に先だち、チベット政府の役人が英国領インドに派遣されて、カルカッタの造幣局でその技術を学んだ。
チベット最初の硬貨
1750年ごろになり、ネパールやインドの銀貨が入り、チベットの貨幣として流通しはじめた。当時のチベット政府は、ネパールの銀貨を模型にして、1772年にチベット文字を刻印した独自の24銀貨を鋳造した。当時は、この銀貨一種だけで、しかも、単位が大きかったことから商人の大きな取引とか、高貴な人たちの高価な買い物など以外には使用ができなかった。そこで、その後銀貨を半分に切って12銀貨、さらに半分に分け、さらにそれを三つに分けた。
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しかし、これらの銀貨が使えるのは都市だけで、地方ではほとんど使われなかった。当時のチベット銀貨は他の国の銀貨に比べ銀の純度が高かったために、インドやネパールの商人たちはチベット銀貨を自国に持ち帰り利益を得ていた。
その後、チベット政府は、サンスゴルモ(3グルサン)とタンカ・ンガ(5タンカ)の2種類の銀貨、ショガン、カルマ、カガンの三種類の銅貨を鋳造した。年号、獅子、太陽、日月と雪山の模様が刻印された。
これらの銀貨もインド、ネパール、ブータン方面では銀そのもののとして取引きされ、溶かされ女性の装飾品として用いられた。このように、チベット銀貨の多くが外国に流れ、チベット国内で姿を消したために、チベット政府は国内の銀の払底を恐れて鋳造を制限した。
チベット最初の紙幣
現在、はっきりした紙幣製造の年月日に関する記録は見当たらないが、1890年に、チベット政府は、初めて紙幣を発行したという記述はある。実際に市場に出回ったのは、1912年のタンカという単位の紙幣である。最初の紙幣は、5、10、15、25、50タンカ(貨幣単位)の5種類で、この当時、また紙幣製造用の機械がなかったため、木版を彫って、印刷するのが普通だった。
1929年に、チベット政府は官史2名をインドのカルカッタに派遣して、貨幣の製造と紙幣の印刷の技術を研修させ、機械設備を購入した。1931年にタンカ単位をサンク(貨幣単位)と改称して、5、7、10、25、100の5種類の紙幣を発行した。このほか同年に同5種類の銀貨ショガンと20サンクに相当する金貨一種を発行したが、この時も銀貨はもとより特に金貨が急速にインドに流れてしまった。
チベット紙幣の特徴
紙幣の模様には各種あった。100サンクを見てみよう。表中央に財宝の皿を捧げている二頭の獅子の絵、その左側に宗務庁の印、右に財務省の印が押されている。上部にチベット政府の正式の名称「ナムコ・ガンデン・ポタン・チョクレ・ナムギャル」(天を定める歓喜王官全方勝利)、下部に「チョシ・インデン・ギ・ショコル・サンク・ギャタムパ」(宗教政治二者の紙幣百サンク)と記され、八吉祥(傘、黄金の魚、瓶、蓮華、法螺貝、無限の紐、勝幡、法輪)によって取り囲まれている。
紙幣発行後チベット政府は、毎年インドから金の板三百枚(トラ・重量単位)を輸入して準備金に当ててきたほか、1948年には、通商代表団をアメリカに派遣し、チベットの通貨準備金として、大量の金塊を買っている。
ラサとその他の都市には、銀行らしい金融機関はなかったものの、金の貸し借りは、自由に行われた。しかし、中国軍がチベットを侵略した1959年の10月から中国政府によって、チベット貨幣の使用は禁止され、流通不可能となり、今日に到っている。