チベット政府発行パスポート

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チベット初のパスポート。1948年に発行されたもの。このパスポートは通商使節団が訪れたすべての国から公式に承認された。このことからも世界の国々がチベットを事実上独立国家であるとみなしていたことがわかる。

「チベットは歴史的に中国の一部である」という中国側の主張と、「1951年まではチベットは完全に独立した国家であった」と相反するチベット側の主張。今回ここに、チベットは完全な独立国であったことを立証するひとつとして、チベット政府発行のパスポートについて紹介する。

世界の屋根ラサで初めてチベットのパスポートが作成され、諸外国から認知された。このパスポートは、チベットの事実上の独立を世界が正しく認めていたことを示す証拠として、非常に大きな歴史的重要性を帯びている。そのパスポートはカリンポンで所在不明となった。

しかし、懸命の捜索活動の結果、このパスポートは2004年にネパールの骨董商の手から回収された。これは当時、チベットの財務大臣(在任1930 – 1950年)だったツィポン・シャカッパに対してチベット政府が発行したものである。

「チベットの友」のテンジン・ツゥンデュ事務局長は、ゲシェ・ペマ・ドルジェ氏のご協力により、ネパールの骨董商がこのパスポートを保有していることをつきとめた。パスポートの資料的価値が極めて高いことを悟り、購入を考えた。骨董商は、ダライ・ラマ法王に引き渡すことを条件として、安価でこのパスポートを譲渡してもよいとの意向を示した。時間をかけた交渉によって信頼関係が醸成され、骨董商は遂にパスポートと関係書類の売却に応じた。2004年3月28日、パスポートはダラムサラに向けて歴史的な旅を開始し、翌日、ダライ・ラマ法王の手に引き渡された。

発見されたパスポートは、現在、ダライ・ラマ法王のもとで大切に保管されている。チベット人にとって歴史的重要性の高いこのパスポートは、チベット支援組織「チベットの友」(インド)の尽力により発見され、同組織によって3月29日にダライ・ラマ法王に引き渡された。チベット亡命政権の首相であるサンドン・リンポチェ教授は、「我々にとって歴史的重要性の高いこのパスポートを取り戻すことができて、非常に嬉しく思う。このパスポートはチベット独立の証であり、また、シャカパ氏が訪れた国々もチベットの独立を認めていたことを物語っている」と述べている。

このパスポートは、一枚の大きな紙を畳んだ旧式のもので、チベットの伝統的な手漉きの紙で作られている。パスポートには、シャカッパに入国査証や通行許可を与えた多くの国々のスタンプが押されている。パスポートは、チベット歴の火の亥年第8月26日(西暦1947年10月10日)にラサのカシャック(チベットの内閣に相当)から発行されている。パスポートには、英国、米国、イタリア、スイス、フランスの公式の認印が押されている。

通商使節団派遣の三つの目的


「1947年10月25日、チベット政府は、インド、英国、アメリカ、中国に通商使節団を送りこんだ。使節団を率いたのは筆者、その他のメンバーは筆者の弟、僧官書記補チャンキム、将軍スルカン、四品パンダツァンであった。通商使節団派遣には三つの目的があった。

  1. チベットの非アジア諸国向け輸出品、羊毛をはじめとして麝香、毛皮、ヤクの尾は通常インド経由で売られ、インドはチベットに対しルピー立てで支払っていた。通商使節団の目的はチベットの輸出に対するインドの統制の緩和を求め、ルピーの代わりに米ドルもしくは英ポンドでの支払いを要求することにあった。それが無理ならば、外国と直接通商関係を結ぶ必要があった。また使節団は輸入目的で耕作機械と羊毛工場に使用される機械を見計らうつもりであった。
  2. 使節団はチベット通貨の裏づけになる金の延べ棒を買いつける。
  3. チベットの政治的地位は世界に正しく伝えられておらず、伝わっていることの大半は中国側の資料からである。チベットは世界諸国と正式な外交関係を拓く必要がある。チベット独立とチベットの主権を世界に宣伝するために、外交へ旅行する使節団のメンバーにパスポートを発行する(これが外国旅行用に発行された最初のバスポートである)」とシャカパ氏は「チベット政治史」に書き記している。

財務大臣シャカパ・ワンチュク・デデン氏


シャカパ氏

パスポートの持ち主は、1907年生まれのシャカパ・ワンチュク・デデン氏である。シャカパ氏は、23歳の時、チベット政府に奉職、1939〜1951年、12年間財務大臣(ツィープン)という政府の要職に在って、議会内部の有力な8名のスポークスマンの一人として活躍した。在任中の1948年には、ここで紹介するチベット政府発行の最初の旅券(パスポート)を携え、貿易代表団を率いて欧米先進国を訪問している。

向かって左からルカンワ氏シャカパ氏(財務大臣)ンガポ氏ナムセリン氏(4名の大臣)

ツィポン・シャカッパは、1966年までニューデリーのダライ・ラマ法王代表事務所において公式代表を務めた人物であり、「チベット政治史 」をはじめ著書も数冊残している。シャカパ氏は自身の著書である「チベット政治史」の前書きで「1947年末、チベット政府は5名からなる通商代表団長として私を任命した。私たちは世界の主要国を訪問し、通商、政治問題を討議するように指示されていた。インド滞在中、私たちはマハトマ・ガンディーと記念すべき会見を執り行った。非暴力という手段によってインドを独立に導いたこの偉大な人物と出会い、その有益な助言を耳にすることができたことは、私を大いに鼓舞したものである。私たち通商代表団員は訪問先のそれぞれの国において、チベットへの理解を深めてもらうべく努力した」と記している。

1951年、中国共産党が東チベットを侵略すると、政府官吏たちはダライ・ラマ法王に随行してインドとシッキム国境近くのヤトゥンに臨時政府をかまえた。北京でチベットと中国の間で17ヶ条協定が調印されるとラサに戻らず、インドに留まり、チベットの問題を世界に訴えつづけた。

ツィポン・シャカパは、1967年に「チベット政治史」を上梓した。これは洞察に富んだ名著であり、各方面から高く評価されている。シャカパはこの本の中で、チベット貿易代表団が行った旅の一部始終を語り、問題のパスポートがどれほど重要な役割を果たしたかを明らかにしている。

通商団一行とネパール人通訳

代表団は、デリーで総督マウントバッテン卿、ジャワハルラル・ネール首相、およびマハトマ・ガンジーと会見した。シャカッパはその時の模様を本の中で語っている。「私がカター(儀式に用いるスカーフ)をマハトマ・ガンジーに捧げると、ガンジーは、このスカーフはチベットで作られたものか、と訊ねた。カターの原材料は輸入している、と私が答えると、ガンジーは大変驚き、日用品を自国で生産することがいかに大事かを強調した。マハトマのこうした極めて単刀直入な助言は、チベット貿易代表団メンバー全員の心に深い感銘を与えた。」と当時の印象を書きしるしている。

シャカパ氏は、1963年、ダライ・ラマ法王亡命政権インドデリー事務所の代表職を担った後、「チベット政治史」の執筆に着手。そのかたわら合衆国やインドにおいてチベット歴史文化の講義を行いながら、一貫してチベットの現状と独立を訴え続けてきた。1989年3月23日アメリカにて、82歳で亡くなった。

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