ニュース

ニュース

最新ニュース

これから開催するイベント

ダライ・ラマ法王、オレゴン州訪問: メイトリパ・カレッジにおけるシンポジウム『Life after Life』、 ユージーンにおける講演『平和と幸福への道』 

Print Friendly, PDF & Email

(2013年5月11日 dalailama.com

2013年5月11日、アメリカオレゴン州ポートランド

メイトリパ・カレッジは2005年、オレゴン州のポートランドに設立されたチベット仏教の大学で、2008年以降卒業生を世に送り出している。ダライ・ラマ法王は特別ゲストとして本日の学位授与式に出席された。明るい陽が射す通りには大勢の人々が詰めかけ、法王に手を振り声をかけた。入り口でヤンスィ・リンポチェ初代学長の歓迎を受けた法王は、構内の様々な設備をご覧になった後本堂に入り、仏像に礼拝されると席にお着きになった。オレゴン州学位認可局代表、ジェニファー・ディアロ氏が歓迎の挨拶をし、メイトリパ・カレッジの紹介と正規の学位認可基準についての説明を行った。

その後『Life after Life』のテーマで短い討論会が行われた。初めに、神経科学者で『Proof of Heaven: A Neurosurgeon’s Journey in the Afterlife 天国の証明:神経外科医の死後の世界への旅』の著者であるエーベン・アレグザンダー医師が自身の経験を語った。4年半前、彼は急性髄膜炎を発症して昏睡状態に陥ったが、その時彼には鮮明な意識があったという。それは心が一時的に脳の限界から解放されたことによって起きたのだと医師は説明した。その体験によって、前世および来世、そして心のもつ潜在能力に対する彼の考え方は以前とはすっかり違うものとなっていた。

His Holiness the Dalai Lama speaking at Mairtripa College in Portland, Oregon on May 10, 2013. Photo/Jeremy Russell/OHHDL

続いて仏教学者のホセ・カベソン博士が学問的見地から転生について語った。インドでは生まれ変わりが広く信じられているが、ヴェーダと呼ばれる古代の宗教文書にもそれについての記述はほとんど無い。概念としては紀元前8世紀から存在が認められてきた転生だが、それについて明記しているのは後の仏教の文献である。インド人学者の中には生まれ変わりについて理性と経験に基づいて証明を試みた人たちもいる。例えばダルマキールティは、物質主義者の異論に対し、意識は物質とは性質の異なるものでありそれ自身の連続性の中に存在するものだ、と主張している。前世の経験に関する記録はインドにはほとんど存在しない。11世紀にチベットに行ったインドの高僧アティーシャによると、それらの経験はあくまでも個人的なものであり公にされるものではなかったという。それに対してチベット民族は異なる立場をとっている。博士は、カルマパ三世が書いた初代カルマパ、トゥースム・キェンパの体験記録を紹介した。

ダライ・ラマ法王は科学的リサーチの信頼性を高く評価する一方、転生もそのうちの一つかもしれないが、科学的リサーチが及ばない現象が存在すると指摘された。現象には三種類、つまり明らかな現象、隠れた現象、さらに深層に存在する現象があり、科学は一般的に明らかな現象を対象にするが、推論に基づいて隠れた現象について論ずることもある、と法王は述べられた。三つ目の深層に潜む現象に分類される『心』は個人の主観的経験にのみ伴うものであり、それは証言でしかないため、その信頼性も証言者がいかに信用できるかに依っている。ある現象が現代科学で解明されていないということは、その現象が科学の領域を越えていると科学的に証明されたということと同義ではないと法王は注意深く指摘された。

「科学は人間のさまざまな精神状態の重大性にも注目し始めていると私は考えています。私が科学者たちと真剣に交流するようになって30年以上になりますが、この分野の研究はまだ始まったばかりです。極めて難解な現象である意識についての理論を系統化するには、意識に大きく関わる器官である脳の研究を基盤にするしか方法はありませんが、それにも多くの課題があります。人間の脳とは異なる、ずっと小さい他の動物の脳の研究についてもそれは同様です。」

法王は、300巻にものぼるチベット語の仏教に関する文書について言及された。そのほとんどはサンスクリット語から翻訳されたもので、仏教科学および哲学、そして仏教の実践について書かれている。仏教の実践について書かれた本は仏教徒だけに重要なものであるが、科学および哲学に関する本はそれだけで学問として研究できる。そして、これらの文献こそ現代科学の対象になり得る心とその機能、そして感情の働きに関する知識の宝庫なのだと、法王はお話になった。

メイトリパ・カレッジが、古代インドのナーランダ大学がかつでそうだったように、学びの中心になったことを歓迎して法王は話しを終えられた。ヤンスィ・リンポチェから法王に名誉学位が贈られた。

His Holiness the Dalai Lama during a luncheon to mark
the launch of the Palmo Peace Center at the University of Oregon in Eugene, Oregon on May 10, 2013. Photo/Jeremy Russell/OHHDL

その後法王はポートランドからユージーンに移動され、空港で出迎えたサキャ・ ゴンマ・リンポチェ、ンガリ・ リンポチェ、そしてジグメ・リンポチェと共に車でオレゴン大学へと向かわれた。オレゴン大学およびニンギュ・サムテン・チョリン主催でパルモ・ピース・センター開設記念昼食会が催され、法王も招待された。食事の後挨拶をされた法王は次のように述べられた。「皆さまとこの場にいられますことを大変嬉しく思います。このピース・センターが目指すのは善きものであり、必ずしもあからさまな仏教の教えにとらわれることなく平和のために役立ってくれることを望んでいます。重要なメッセージは、宗教の種類や信仰の有無に関係なく、愛と慈悲の重要性から学ぶことができるのです。」

マシュー・ナイト・アリーナでトゥルク・ジグメ尊師の歓迎を受けた法王は、オレゴン大学のマイケル・R・ゴットフレッドソン学長によって1万人の聴衆に紹介され、メダル(President’s Medal)を授与された。

「私はいつも、兄弟姉妹の皆さまへの挨拶から話しを始めます。私たちは皆同じ人類だと意識することが重要だと思うからです。」「見かけは違っても、肉体、精神、そして感情の機能において、私たちに差異はないのです。皆さんにはよい感情、そして悪い感情を働かせる能力が備わっています。それは私も同じです。私たちは誰もが困難や障害を避けて幸福な生活を送りたいと願っているし、誰もがそうする権利をもっています。」

「私は人類の単一性を強く信じており、どこでもそれを訴えるようにしています。自然災害が私たち人間の力で防げないことは世界で起きている事象を見れば分かります。しかし多くの人々が直面している暴力や不正、そして貧困は私たち自身が作り出した問題です。」

「私がこの中の一人を前にした時、私はその人を一人の人間として捉えます。でももし私がその人を外国人として見たら、あるいは私が私自身をチベット人、仏教徒あるいはダライ・ラマという名の高僧といった二次的な要素に注目して捉えたなら、私たちの間には壁ができ、孤立や孤独を生じかねません。」

私たちの認識と現実の間にはしばしば大きなギャップがあり、もし認識にだけ頼れば私たちの行動は非現実的なものになる。だから私たちは物事をもっとホリスティックに捉えなければいけない。それには訓練と教育が必要だ、と法王は話された。

認識と現実のギャップの例に人間の自己中心的になりやすい傾向が挙げられる。法王が出席されたニューヨークで行われた会議で、ある科学者が、単語 I、my、mineなど「私」 を使う頻度が高い人は心臓発作を起こしやすいという調査結果を発表した。自己中心の対極にあるのは慈悲と他者への思いやりの心であり、それは私たちの内面の強さと自信を強化するものでもある。さらに内面の強さと自信によって誠実さや率直さが育まれ、それがより温かで親しみやすい雰囲気作りに役立つのだ。慈悲が宗教の実践だけに関わるものだというのは誤った考えだ。それは人間の基本的な特性であり、子どもの頃に母親から受ける愛情から育まれるものだ。

His Holiness the Dalai Lama waving to the audience of over 10,000 people at University of Oregon’s Matthew Knight Arena in Eugene, Oregon on May 10, 2013. Photo/Kurt Smith

次に法王は聴衆に年齢を尋ねられた。15歳未満の人、20歳未満の人、30歳未満の人、70を越える人、60を越える人、という法王の質問に聴衆が挙手で答えた。法王と同じように60歳を越えている人は20世紀の、過ぎ去った世紀の人間であり、30よりも若い人たちは正に21世紀の人間で、この新しい時代をかたち作る機会を与えられている人たちだ、と法王は述べられた。20世紀に成し遂げられた多くの偉業を讃えると同時に、それが計り知れない暴力と流血の時代であり、2億人以上が犠牲になったと推測する歴史家もいる、そんな時代であったことも法王は指摘された。その時代の大きな誤りは、問題解決の唯一の方法である対話を選ばずに武力で対処しようとしたことにある。

「今日の若い世代の人たちには未来のかたちを変え、より親しみ深く、平和で幸せな世界を作るチャンスが与えられています。私は僧侶なので当然祈りや瞑想の実践をしますが、それだけでは未来を変えることはできません。現実的な目標と現実的な展望をもって行動する必要があります。非武装化された世界への可能性はそういった目標の一つです。」

それに関連し、私たちは教育制度の見直しをする必要があると法王は述べられた。今の教育は知的能力だけを重視しており、心への配慮を欠いている。今こそ内面的な価値に注目するべきだ。日常的に慈悲を役立てることを奨励していく必要があるし、それには女性がリーダーとしてもっと活躍しなければいけない。法王ご自身がもっている慈悲のすべては母親の優しさに根差している、と法王は確信を持っておっしゃった。そして皆も同様に子どもたちに愛情を注ぎ、より多くの時間を彼らと共に過ごすように、と勧められた。

「皆さまとひとときを過ごせたことを大変光栄に思っています。」「皆さんの未来が当然明るいものになるだろうと軽く考えてはいけません。より大きな展望をもって、他者の幸福をも視野に入れたホリスティックな視点を身につけてください。決意をもって前向きな姿勢で取り組まなければいけません。やる気のなさと悲観的な態度は失敗を招きます。智恵と温かい思いやりの心こそが成功の秘訣です。」
アリーナ中の人々に手を振りながら、大歓声と拍手の中、ダライ・ラマ法王はステージを後にされた。


(翻訳:中村高子)