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ダライ・ラマ法王 観音菩薩の灌頂伝授会 2日目

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2020年5月30日
インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ

法王公邸で、観音菩薩の灌頂伝授会の始めに前行修法の儀式を執り行われるダライ・ラマ法王。2020年5月30日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

ダライ・ラマ法王は灌頂授与の前行修法(準備の儀式)を今朝も執り行われた。その模様はインターネットを介して1時間近くにわたって中継され、世界中の人々が法王のされる儀軌次第の所作を視聴することができた。法王公邸から配信された画像と音声は、各地の中継拠点を経て、中国語、英語、フランス語、ドイツ語、ヒンディー語、イタリア語、日本語、韓国語、モンゴル語、ポルトガル語、ロシア語、スペイン語、ベトナム語の13ヶ国語に同時通訳され、視聴者に届けられた。

法王は次のように話を始められた。

「昨日も申し上げましたが、“オム・マニ・ペメ・フム” という観音菩薩のマントラ(真言)にはたくさんのお加持が込められています。今日の灌頂伝授会の儀軌次第の中では、菩提心と空性を理解する智慧についての瞑想もしていきます」

 

 

 

大いなる仏法の太鼓が鳴り響き
有情の苦しみが取り除かれますように
あなたが何阿僧祇劫も留まり続け
仏法を説き続けてくださいますように

そして法王は次のように続けられた。
「この千手千眼観音の灌頂は、秘密真言乗すなわち密教(タントラ)の儀式の一つであり、密教とは万人に開示された教えではなく、限られた弟子たちに授けられた教えです。釈尊は初転法輪において “四つの聖なる真理(四聖諦)” などの仏法を一般の聴衆に向けて説かれました。一方、第二法輪は空性の概念を含む般若波羅蜜(完成された智慧)の教えであり、空性の理解に対して熱意をもった、一部の優れた弟子たちにのみ説かれました。ですから、一般の弟子たちに公開されなかったという理由で、第二法輪の教えを奉じる大乗仏教は釈尊が説かれた教えではないのではないか、という疑問を呈する者が後に現われました」

観音菩薩の灌頂伝授会において、ネット中継を通して世界各地の受者たちに語りかけられるダライ・ラマ法王。2020年5月30日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「そして、秘密真言乗の修行は知性の鋭い弟子たちに対して授けられました。マントラ(真言)という言葉には “心を護る” という意味があります。ですから、世俗的なものの現れから心を護るのがマントラです。また、秘密真言乗の修行は秘密裏に実践されるべきものです」

「“私” あるいは “自我” という感覚は仏陀にもありますが、それは凡庸な人々が考える自我の感覚とは異なります。空性を体験された仏陀や菩薩たちにとっての “自我” とは、単に名前を与えられたことによって成立する概念に過ぎません。一方凡夫は、自我は固有の実体をもって存在しているという誤った認識をもっています。もし実体をもって存在しているのであれば、探求すればするほど、それは明らかになってくるはずですが、実際には、探せば探すほど、どこにも見つからないのが “自我” というものです。つまり、“自我” は通常私たちが捉えているようには存在していません。チャンキャ・ロルペー・ドルジェは、“自我とはそれ自体の力で独立して存在しているように見えるが、実はそうではない。触れられる実体がありそうに見えるが、どこを探しても見つからない” と述べられています」

法王は、ネット中継を介してオンラインで参加している受者たちを菩薩戒授与の儀式へと導かれた。そして、釈尊とその弟子たち、インドとチベットの偉大な導師たちの集まりを自分の目の前に観想し、彼らを証人として、菩提心を起こし、その実践を行うという誓いを立てるようにと促された。法王はクヌ・ラマ・リンポチェの “自利を成就するためにも菩提心が必要である。利他を為すためにも菩提心が必要である。汚れた行いを浄化するためにも菩提心が必要である” というお言葉を伝えられ、次にジェ・ツォンカパの『縁起讃』から、釈尊を礼讃する次の偈頌を引用された。

その師(仏陀)に従って出家して
勝利者の教えを少なからず学び
瑜伽行に精進する比丘である〔私は〕
その大仙(仏陀)をこのように尊敬いたします(第53偈)
観音菩薩の灌頂伝授会において、ネット中継を通して世界各地の受者たちに語りかけられるダライ・ラマ法王。2020年5月30日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

法王は菩薩戒と密教の三昧耶戒さんまやかいを毎朝新たに授かっていると述べられ、次のように続けられた。

「利己的な考えに流されることなく、一切有情に奉仕するという決意を新たにし、“有情を利益するために仏陀となることができますように” と私は毎朝唱えています。このようにして菩提心を起こし、菩薩戒について思いを巡らす実践を毎日していくならば、日を追うごとに、月を追うごとに、菩提心が心に馴染んでくることでしょう。世俗の菩提心とは、一切有情を利益するために仏陀の境地に至ることができるようにと願うことです。そして究極の菩提心とは、空を対象に瞑想することを含みます」

観音菩薩の灌頂伝授会において、ネット中継を通して世界各地の受者たちに語りかけられるダライ・ラマ法王。2020年5月30日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

 

 

 

この世のいかなる幸せも
他者の幸せを願うことから生じる
この世のいかなる苦しみも
〔自分だけを大切にして〕自分の幸せを願うことから生じる(第8章129偈)
多くを語る必要がどこにあろう
凡夫は自利を求めて〔望まぬものをすべて得て〕
成就者〔仏陀〕は利他をなして〔すべてのすばらしきものを得る〕
この二者の違いを見よ(第8章130偈)
自分の幸せと他者の苦しみを
完全に入れ替えなければ
仏陀となることはできないし
輪廻においても幸せを得ない(第8章131偈)
観音菩薩の灌頂伝授会で、法王公邸から世界各地の聴衆に向けて、ネット中継を通して語りかけられるダライ・ラマ法王。2020年5月30日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「ほとんどの人は利己的な動機に駆り立てられて行動していますので、菩提心について考えるだけでも心が落ち着き、休まるという効果が期待できます。菩提心は本当に全ての幸せと喜びの源なのです。菩薩たちには、一切有情を救済するために、その手段として自分自身が悟りの境地を得る、という2つの願いがあります。智慧に焦点を当てることで悟りを成就し、慈悲に重きを置くことで有情に利益をなすのです」

「智慧に関しては、“世俗の真理(世俗諦)” と “究極の真理(勝義諦しょうぎたい)” という “二つの真理(二諦)” が説かれています。すべての現象は現れてきますが、私たちの目に見えている通りに存在しているわけではありません。これは量子物理学で述べられているような “実体をもって成立する現象は何一つ存在しない” という概念とも合致しています。中観派は、一切の事物は単に名前を与えられたことによってのみ存在していると主張しています。中観派の偉大な導師であるナーガールジュナ(龍樹)は釈尊が説かれた教えについてより詳しく説明されました。すなわち、他のものに依存せず、独自の力で存在する事物は何一つ存在せず、全ての現象のありようを説明する王者のような見解は “縁起” である、と明白に説かれたのです。自我や個人というものも、五蘊ごうん(色・受・想・行・識)という5つの要素の集まりに対して名前を与えられただけの存在です。アーリヤデーヴァ(聖提婆)の『四百論』には次のように記されています」

 

縁起しているものは何であれ
自らの力で存在している独立した存在ではない
これらすべては独立した存在ではないので
我もまた存在しない(第348偈)
法王公邸で観音菩薩の灌頂授与の儀式を執り行われるダライ・ラマ法王。2020年5月30日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「依存と独立は両立しません。すべての事物は他の要素に依って存在しています。何も分析しなければ、事物は実体をもって自らの力で存在しているように見えます。しかし詳しく考察するならば、他に依存せず、自らの力で存在しているものなど何一つ存在しないことがわかるでしょう。それは、単に名前を与えられたことに依って、世俗的観点から存在しているに過ぎません。そこには土台となる根拠が何も存在しないため、このような無知は克服することができるのです。それゆえ菩薩たちは、苦しみを断滅した滅諦の境地に至ることは可能であると理解され、無知ゆえに、庇護なくして生きる一切有情にあわれみの心を抱かれるのです。チャンドラキールティ(月称)がおっしゃったように、菩薩は智慧と慈悲の両翼を磨いておられます」

「ですから、“私たち” と “あの人たち”、“あなた” と “私” などという区別があたかも実体をもって存在しているように見えていても、実際には、単なる名前を与えられたことによって存在する概念に過ぎません」

ここで法王は “縁起” の意味について解説された。他に依存しているので空性が論破されることはなく、生じているので因果関係が否定されることはないのである。
そして法王はジェ・ツォンカパの『修行道の三要素』からひとつの偈頌を引用された。

 

さらに、あらわれによって実在論を取り除き
空によって虚無論を取り除き
空が因や果としてあらわれるさまを知ったなら
もはや極端論にとらわれることはなくなるだろう(第13偈)

法王は、オンラインで参加している弟子たちの集まりを “一切瑜伽いっさいゆがの発菩提心” の儀式を通して、世俗の菩提心と究極の菩提心を結び合わせ、そこに焦点を当てるようにと導かれた。そして、お話の要約として、菩薩たちの様子を描写する偈文を、チャンドラキールティの『入中論』から紹介された。

世俗と勝義という大きな白い翼を広げ
この白鳥の王者を普通の白鳥の先頭に据えて
善の風の力で勝利者(仏陀)の功徳の海を越え
最勝なる彼岸へ飛んでいく(第六発心「現前」第226偈)

千手千眼観音の灌頂授与を終えられた法王は、獅子吼観音ししくかんのんの許可灌頂の伝授に移られた。そして法王は、この2日間の伝授会を通して生じた加持の力があるのなら、それがいかなるものであれ、この地球上の人類と人類以外の生きものを含む一切有情に余すところなく廻向する、という特別な決意を伝えられ、この伝授会を締めくくられた。法王は、仏法は、経典の教えと体験に基づく教えによって構成されていることに言及され、ヴァスバンドゥ(世親)のお言葉を示された。すなわち、学習と実践を通してのみ、仏法は継承されていく。仏法が存続していくためには、教えを聴聞し、経典を熟読し、そこで理解したことについて何度も繰り返し熟考し、それによって得られた確信について、瞑想を通して心に馴染ませていくことが不可欠である。

そして法王は、オンラインで視聴している聴衆に向かって、次のように述べられた。 「私は長きにわたって釈尊の教えについて瞑想してきましたが、その体験をもとに、学んだことを皆さんにお伝えしています。皆さんにも同じように、ご自身が理解したことを家族や友達と分かち合っていただきたいと思います。そしてその家族や友人たちにも、同じように他の友人と分かち合うように伝えください。そうすれば、1人から10人、10人から100人というように、教えの輪を広めていくことができます。新型コロナウィルスの世界的流行により、皆さんと直接お会いすることはできませんが、このようにインターネットを介して、オンラインによる灌頂伝授会を開催し、無事に終えることができました。皆さん、どうか気をつけてお過ごしください」

席を立たれた法王は、目の前に設置された大型モニターに映るラマや友人たちの顔をじっとご覧になり、画面に向かって微笑んだり手を振られたりしてから、自室へと戻って行かれた。