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サッカーとアイデンティティー:チベット女性代表サッカーチーム

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(2014年7月24日)

これから紹介する内気な少女たちは、以前は自分の心の内を表現することができなかった。今では、少女たちと電話で話をすると疑いようのない自信がその声から感じ取ることができる。「サッカーは単なる遊びじゃないの。私にとっては虹のようなもの。悲しいときはサッカーをするの。幸せな気分になれるから。」ラダック在住ナワン・ラドン(Ngawang Lhadon15)の言葉だ。

ラドンはチベット少女選抜サッカーチームのメンバーである。選抜チームは、あらゆるスポーツの中で、チベットで初めて結成された女性代表チームであり、21名の学生で構成されている。チームに参加することは、少女たちの人生に対するものの見方に変化をもたらした。ラドンも以前の彼女とは違い、学校でのチームキャプテンを務め、年下の少女たちを鼓舞する存在となっている。下級生のテンジン・ペマ(Tenzin Pema14) はラドンに続くことを願っている。「私も代表チームに選ばれたいの。選抜メンバーがもうすぐ発表になるから、選ばれるように祈ってるわ。」

インド中のチベット人女子学生にとって、「サッカー」と「幸せ」という言葉はラドンに結び付けられる。サッカーはスキルをつけるだけではなく、民族性、性差別、亡命に苦しむコミュニティに影響を与える事柄にたいする見方をはっきりさせる。「チームにいることで、コミュニケーションの仕方や人生を楽しむってことがわかったわ。未来に対する勇気や自信がでてきたの。」ダラムサラの代表チーム副キャプテンのツェリン・ハモ(Tesering Lhamo)は言う。

チベットではチベット国旗の掲揚、政治的・宗教的リーダー・ダライラマの写真の展示により、600万人にわたるチベット人が逮捕されるであろうことを、彼女は知っている。しかし、彼女たちは試合ではプライドを持って、チベットのナショナルカラーを身に着ける。コミュニティの多くの人の夢を象徴していることを知っているのだ。ただ女性の地位向上を心に描いているだけで、政治的声明を表しているわけではないのかもしれない。それでも、サッカーは民族性を繰り返し表明する平和的な方法になっているのだ。13~18歳のプレーヤーは「サッカーをするのは、チベットのため。」と信じている。

「彼女たちにとって、チームは男性や政治家によって作られた社会的制限を壊すものなのです。」デリーに拠点を置くIrshal Isuはこう述べる。Irshal Isuは映画製作者であり、無償でチベット人の子供を教育している。彼の最新作「限界を蹴っ飛ばせ(Kicking Boundaries)」はチームについてのドキュメンタリーである。「限界を蹴っ飛ばせ」は6月13日にフィンランドで行われたIWG World Conference on Women and Soports(国際女性スポーツワーキンググループ)での公式上映に招待されたが、中国の政治的圧力によりキャンセルせざるを得なかった。

Cassie Childersはチーム結成の発案者である。2011年、TNSA(Tibetan National Sports Association、チベットスポーツ協会)の後援で、ダラムサラで行われた写真展を見て、アメリカ人教師である彼女は、このチベット人コミュニティでは女性がスポーツに参加していないことに気付いた。「自分自身、サッカーをするし、コーチもするので、チベット人女性の地位向上をもたらすような代表チームの構想が思い浮かんだんです。」Childerはチベット女性サッカーチームを設立し、TNSAと協力して若い世代のトレーニングプログラムを導入した。

TNSA会長(執行委員)ケルサン・ドントップ(Kalsang Dhondup)によると、代表チームメンバーは冬に選抜され、1ヶ月にわたる練習を行う。「インドで休暇を過ごすサッカーコーチがボランティアで練習を行ってくれます。」現在このプログラムには、インド中の13のチベット人学校からの500名が参加。キャンプは、午前中のヨガ、サーキットトレーニングで始まり、続いて、ランニング、瞑想、栄養学、さらにはチームにおける会話、自負心の確立など自信をもたらす授業が行われる。その後にはスポーツセラピー、個人的成長に関する個人セッションも行われる。

こういうキャンプが少女たちにもたらすことには目を見張るものがある。 Childerは2011年にキャンプにカングラ地方ゴパルプールより参加したドルマ(Dolma仮名、18歳)のことを話してくれた。「最初のころ、ドルマはピッチを歩くことさえ怖がっていました。でもキャンプが終わるころには、はっきりと話し、大きな声で笑い、自分自身を美しく表現するようになっていたんです。キャンプ後、Dolmaは母親、兄弟とチベット国旗を掲揚してチベットまで行進することに参加しました。ネパール国境で、ネパール側の国境警備兵に殴られたうえ、インドに送還されてしまいましたけど。 彼女たちがダラムサラに戻って1週間後に、初めての公式戦が行われました。Gyalyum Chemo Memorial Gold Cup の公開試合の一つとして数千人のチベット人の前で試合したのです緊張する選手たちを勇気づけるために、ドルマをキャプテンにしました。」Childerは続けて言った。「ドルマはチベット女性サッカーの歴史の中で、初めて公式戦で得点を挙げたんです。」現在、ドルマは学校、コミュニティでのリーダーの一人となっている。ドルマは言う。「サッカーって何か解放させる力があるのです。私にとって声援が計り知れない鼓舞となるのです。」

最初はサッカーをすることを認めなかった親も、サポートし始めるようになってきている。ラドンにあこがれるペマの母も、夫が家族を捨ててから、作業員として働き始めている。彼女たちはトイレもない、一部屋ばかりの家を借りて住んでいるが、そんな生活の中でもペマのサッカー用品が買えるように貯金を心掛けている。

しかし、彼女たちは非常に用心深く、話がサッカー以外に及ぶと黙りこくってしまうのである。生まれたのはインドかチベットか、家族はチベットからインドへ来たのかというような質問になると、電話のむこうで押し黙ってしまうのである。「彼女たちの半数近くはチベットから来ています。そしてインドへ入るには大変な苦労があったのです。今も家族や親せきがチベットにいれば、メディアへの露出は避けたいのです。」ドントップが説明する。

最近、インパールで行われたファーストレディーススプリングサッカーフェスティバルでチームはマニプールと引き分けた。「わがチームはインドトップチームの1つを破ったんです!」ドントップは夢中で話す。チベットチームは別チームとも引き分け、3試合目は勝利、結果1位タイとなった。しかし残念なことにPunjab’s Guru Nanak Dev University のチームには昨年、負けを喫している。両チーム無得点であったが最後の数分でPunjabがゴールを決めた。

12歳以下、18歳以下のユースチームの少年たちは、以前は物珍しげに見ていたが、徐々に女の子もサッカーができることを認め始めている。ハモ・チョキ(Lhamo Choekyi17)はChildersに語った。「チベット人の男は、女の子がサッカーなんて無理って言ってたけど、うまいんでびっくりしたよ」

Avantika Bhuyan記 チーム関係者は2017年国際試合に初参加することを望んでいる。それまでは可能な限りインドのチームと対戦することを計画。現在のところ、FIFA(国際サッカー連盟)もIOC(国際オリンピック委員会)も、チベットを有資格者として認めてはいない。ChilderとTNSAは世界中から支援をもらうことにより、これを変えたいと願っている。Childerは言う「チベット女性チームがオリンピックとワールドカップに参加するまで諦めません。夢は叶います。」


(翻訳:嘉村)