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『般若心経』法話会 初日

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2021年1月5日
インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ

今朝、ダライ・ラマ法王が公邸内の居室に設置されたビデオカメラの前に到着して席に着かれると、韓国の僧院長ジン・オク師が法王を歓迎し、韓国人の弟子たちが法王に『般若心経』の教えを説いてくださるように切望していることを繰り返し伝えた。それからジン・オク師は、手に持った木鐸ぼくたく(韓国製の木魚)のリズムに乗って『般若心経』を誦経した。

法王公邸からインターネットを介して配信された法話会初日の冒頭で、韓国語で『般若心経』を誦経するジン・オク僧院長。2021年1月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

法王は次のようにお話を始められた。
「今日は、韓国の法友の皆さんに向けた3日間の法話会の初日です。このような機会を得られてとても幸運に感じています。般若経典には10万頌、2万5千頌、8千頌などがありますが、一番短いものは “阿” という一字から成っており、これは “ない” という否定の意味を持っています。『般若心経』は『25頌般若』とも言われていますが、相対的な簡潔さにもかかわらず、包括的なテキストになっています」

「般若波羅蜜(完成された智慧)の教えに従うためには、単に信心するだけでは十分ではありません。これは知性の優れた弟子たちが、論理に立脚して従うべき類の教えです。この教えの名前となっている “般若” という言葉は “智慧” を意味しており、この教えを理解するためには、知性を働かせて分析する能力を磨く必要があることを示しています。これは、『比丘たちよ、賢者たちよ、金を焼いて、切って、こすって純金かどうか調べるように、よく分析してから私の言葉を受け入れるべきであり、私への尊敬の気持ちから鵜呑みにしてはならない』という釈尊ご自身が述べられたお言葉に通じています」

「ナーランダー大学で教え、研鑽を積んだ方々は根拠と論理に依拠されていました」

「般若波羅蜜の教えには二つの側面がありますが、それは、明らかに説かれた空性についての側面と、暗に示された修行道の歩み方についての方便の側面です。後者の修行道の段階については、『般若心経』の最後の真言(呪)に表されています。修行の道には声聞乗、独覚乗、菩薩乗の三乗があり、それぞれの乗に5つの修行道の段階(五道)がありますので、合計で15の段階があることになります。どのように修行道を歩むべきか、その詳細は『現観荘厳論』に記されています」

「修行の前行についての理解を得るために、まず教えを聴聞しなくてはいけません。そしてそれについて省察し、よく考え、自分の理解を深めます。そして最後に、理解したことについて瞑想し、その体験を深めて心に馴染ませるのです」

「『般若心経』には “色即是空、空即是色、空不異色、色不異空” という四種類の空性(甚深四句の法門)が説かれていますが、ここでいう空性とは、何もない空間のような虚無を暗示しているわけではありません。事物がどのように存在しているのかを吟味してみるなら、それは現れている通りには存在していないことが分かります。空性は虚無ではなく、事物は他の要因に依存して成り立っているということです。それ自身にも、その中にも、固有の実体をもって、自らの力で存在しているものなど何もないのです」

法王公邸からインターネットを介して配信された『般若心経』の法話会初日に説法をされるダライ・ラマ法王。2021年1月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「事物が固有の実体をもって、客観的に存在しているように見えることから、私たちはそれらに対する執着を強めてしまいます。これが、私たちにとっての事物の見え方ですが、ナーガールジュナ(龍樹)はこのことについてはっきりと言及されています」


何でも縁起しているものは
それは空であると説く
それは〔他に〕依存して仮設されたものなので
それは中の道である(『根本中論頌』第24章18偈)

故に、縁起しない現象は
何ひとつ存在していない
故に、空でない現象は
何ひとつ存在していない(同19偈)


「破壊的な感情(煩悩)は、事物の真のあり方を誇張して捉えてしまうことから生じ、そのことが、あらゆる種類の問題を作り出すように私たちを駆り立てています。ナーガールジュナの弟子のアーリヤデーヴァ(聖提婆)もそこに光を投げかけられました」


からだにはからだの感覚器官が行きわたっているように
無知はすべて〔の煩悩〕の源に存在している
ゆえに、すべての煩悩も
無知を克服することで克服できる(『四百論』第6章第135偈)


「この偈が意味することは、怒りと執着に対抗するための特別な方法はあるけれども、空性と縁起を理解すれば、すべての煩悩を根絶することができる、ということです。実体をもって存在する対象物は何ひとつ存在しないことを省察すれば、現れている事物への執着に対抗する助けとなります」

法王は、『現観荘厳論』の中に、菩提心とは一切有情を利益するために悟りを得ようと希求する心であると述べられていることを指摘し、ナーガールジュナの『根本中論頌』で明確に説かれている深遠な空性の理解と、菩提心を結び合せることは大変役に立つ、とアドバイスされた。

韓国の仏教徒たちのリクエストによる法話会初日に、インターネットを介して聴衆にお話をされるダライ・ラマ法王。2021年1月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

法王は『般若心経』に話を移し、サンスクリット語とチベット語で表題を読み上げ、その意味は「般若波羅蜜の心髄(完成された智慧の心髄)」であることを明らかにされた。序文には、この教えがどこで誰によって説かれ、そこに誰がいたのかが述べられている。成道後、釈尊は初転法輪において四聖諦(四つの聖なる真理)のみならず、論(アビダルマ)と律(ビナヤ)についても説かれた。

四聖諦の教えでは、苦しみの原因は行為と煩悩であると説明されているが、行為と煩悩を断滅するためには無知を克服しなくてはならない。

釈尊の説法は四聖諦から始まったが、後に王舎城(ラージギール)の霊鷲山りょうじゅせんでは、その教えを聴く能力が具わった清らかなカルマを持つ弟子たちが般若波羅蜜の教えが説かれるのを聴いた。四聖諦の最後の二つの真理である滅諦(苦しみの止滅が存在するという真理)と道諦(苦しみの止滅に至る修行道が存在するという真理)は、般若波羅蜜(完成された智慧)の文脈でのみ完全に理解することができるが、そのためには鋭い知性が不可欠である。

法王は、清らかなカルマを持つ弟子のみが、その場に観自在菩薩が現れ、舎利子(シャーリプトラ)と対話している様子を見ることができた、と指摘された。その時釈尊は、「深遠なる現れ(甚深顕現じんしんけんげんという多くの現象についての三昧」にお入りになり、経典には、観自在菩薩は「五蘊ごうんもまた、その自性による成立がない空の本質を持つものであるということを見極められた」と記されている。

ここに出てくる「・・・もまた」という言葉は漢訳の経典には入っておらず、おそらく韓国語版にもない。これは、五蘊を土台として名前を与えられただけの “人” に固有の実体(人我)がないだけでなく、五蘊そのものにも固有の実体(法我)がないという意味である。事物は空という本質を持つものである、と言いながら、我々は、あたかも五蘊に固有の実体があるかのように執着している。

法王は経典の第2、第3段落を読み上げ、ここでは、色しき(物質的存在)を基盤にして空が説明されているが、それは私たちが外の世界に現れている現象について判断する時、ほとんどの場合、目という知覚能力によって物事を捉えているからであると述べられた。

3日間の法話会初日に『般若心経』のテキストを読み上げられるダライ・ラマ法王。2021年1月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

すべての事物は他の因と条件に依存して生じる。それゆえ、事物は空である。色しきと空は同じ空の本質を持っているが、概念的には異なっている。

法王は、チャンドラキールティ(月称)が『入中論』で述べている、事物に客観的な固有の実体があるとするなら、それによって生じる以下の四つの論理的誤謬に言及された。

    1. 聖者の等引(深い禅定の状態)は事物を破壊する。
    2. 世俗の真理は論理的な分析に耐えうる。
    3. 勝義における成立もまた、否定できないことになる。
    4. 一切の現象の自性は空であると言われているのは正しくない。

これら四つの論理的誤謬、あるいは不条理については、ツォンカパ大師の『了義未了義善説心髄』と『菩提道次第広論』の「観」の章でも言及されている。

法王は、智慧は固有の実体をもった自我という概念への対治であり、大悲(大いなる慈悲の心)は自分だけを大切にする利己主義的な態度への対治であると話された。そして、法王は、特にシャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』で強調されている自他の立場を入れ替えて考えるという力強い実践を賞讃された。法王はクヌ・ラマ・リンポチェから解説の伝授を受けて以来、このテキストを何回も読んで学びを深め、綿密に熟考していると述べ、この本とチャンドラキールティの『入中論』を個人的な拠り所としていることを明かされた。法王はまた、ディグナーガ(陳那)とダルマキールティ(法称)の論理学についての著作は、21世紀の仏教徒になるための、根拠に基づくアプローチを発達させる上で鍵となる、と付け加えられた。

ここで法王は質疑応答セッションに移り、韓国の3つの僧院の僧侶と尼僧からの質問に答えられた。まず、仏教と科学についての質問に対して法王は、仏教では内面における心と感情に焦点を当てているが、科学はより物質的な事象に関心を持っているという点で両者の目的は異なっている、と認められた。しかし、科学者たちは、心の状態が健康と幸せに影響を与えると分かってから、心の平安を培う仏教の方法に注目し始めているという。

次の質問に対して法王は、幸福の源はやさしさと思いやりであり、それは生まれてすぐに母親を通して体験するものであって、宗教的な実践とは関係がない、と言明された。法王は、やさしさと思いやりを世俗の倫理の観点から提示することには大きな利益があると確信しており、人間は社会的な生活を営む類の生きものであるため、自分たちが住んでいる社会を守ることに関心を持っていると述べられた。人類は一つの人間家族であることを想起することは、やさしさと思いやりの実践をするための、仏教的根拠に根ざしたアプローチの鍵となる。

韓国の仏教徒のリクエストによる法話会初日に、インターネットを介して聴衆からの質問に答えられるダライ・ラマ法王。2021年1月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

悪しき感情にどのように対抗するべきか、という質問に対して法王は、執着や怒り、憎しみの感情が強く現れてきた時、それに対して対策を講じるのも一つの方法である、と認められた。しかし、そのような感情が休眠状態の時には、それを捉えて対処することは難しい。それでも、慈愛の心と菩提心を培うことでそのような感情を減らすことは可能である、と法王は述べられた。

最後に、福徳と智慧の集積に関する質問がなされ、法王は、仏陀の色身(形あるお体)と智慧の法身(真理のお体)を比較された。仏陀の色身は、福徳の資糧を積んだ結果、利他を為す手段として得られる。それに加えて、福徳を積めば積むほど、空性の理解も高まるはずである。そして空性の理解が高まるにつれて、仏陀の境地に至ることが現実として可能になるという認識が、より明白になっていく。このようにして福徳と智慧はお互いを補完し合う。

質疑応答が終わり、法王は『般若心経』の第4、5、6段落を読み上げてから、今日はここで終わりにして、明日また続けると告知された。