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『般若心経』法話会 3日目

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2021年1月7日
インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ

今朝、ダライ・ラマ法王はオンライン法話会が行われる公邸内の居室に入られると、前方に設置されたモニターに映る参加者の顔をご覧になって微笑みながら手を振り、席に着かれた。ジン・オク師が会釈して挨拶し、韓国語で『般若心経』を読誦した後、法王は法話を再開された。

法王公邸からオンライン配信された法話会最終日に、モニター越しに韓国語で『般若心経』を読誦するジン・オク師。2021年1月7日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「本日は『般若心経』の法話会の第3日目です。これまでにお話したことを深く考えてみることはできましたか?ラマから説明を受けたときは、単に受け取るだけに留めず、何度も心の中で繰り返して考えることで、心の中にある種の理解が芽生えてくるのです。肝心なことは、あなたの心の中により善き変化をもたらすことです。私がお話したことを熟考し、仏典に書かれていることをよく読んでください」

「私は幼い子どもの頃から菩提道次第の教えを段階を踏んで学んできましたが、もし、私が繰り返し考えることをしなかったとしたら、その教えによって私の心に善き変化が生れることもほとんどなかったかもしれません。私は聴いたことを何回も繰り返して熟考し、他のテキストも並べて読んで比べてみるということを通して、理解を深めることができました」

「私は毎朝起きるとすぐに、悟りに至ることを熱望しながら偈を唱えます。そして空性に関するナーガールジュナ(龍樹)の偈について深く考え、事物が他に依存することなく固有の実体をもって存在するならば、チャンドラキールティ(月称)が述べるところの “四つの論理的誤謬” に陥ってしまうということを熟考しています。また、ナーガールジュナの『根本中論頌』にある次の偈を繰り返し考えています」


如来は五蘊ごうんもなく、五蘊とは別のものでもない
五蘊は如来に依存しているのではなく、如来が五蘊に依存しているのでもない
如来が五蘊を所有しているのでもないならば、
如来とはいかなるものであろうか(第22章1偈)


「このような教えについて深く考え、心に馴染ませることによって、心により善き変容が現れてきます」

「『現観荘厳論』によると、釈尊の教えには3つの種類があります。釈尊が述べられたお言葉、釈尊に加持されたお言葉、そして、釈尊に認められたお言葉です。多くの般若経典は釈尊に認められたお言葉として分類されますが、観自在菩薩と舎利子(シャーリプトラ)の間に交わされた会話に対して釈尊が言われた、“善く言った、善く言った。善男子よ、その通りである。善男子よ、その通りであり、汝が示した通りに深遠なる般若波羅蜜を行じるべきである。如来たちも心から随喜されている” という称賛のお言葉は、釈尊が直接発せられたお言葉です」

韓国の仏教徒たちのリクエストによる3日間の法話会の最終日に、インターネットを介して聴衆にお話をされるダライ・ラマ法王。2021年1月7日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「釈尊は初転法輪の説法において、“四つの聖なる真理(四聖諦)” をその本質、はたらき、結果の観点から3回繰り返して説かれました。その本質を説かれたとき、“苦しみを認識するべきである、苦しみの原因を滅するべきである、苦しみの止滅を実現するべきである、苦しみの止滅に至る修行道を実践するべきである” と明言されました。しかしこの初転法輪の説法では、無我についてはあまり詳細には語られませんでした」

「しかし、釈尊は第二法論の説法で般若波羅蜜の教えを説かれたとき、事物はそれ自体の側から存在しているのではないということを明確に示されました。これは、『八千頌般若経』の中にも述べられています」

「経典はその内容に繰り返しが多く見られますが、ナーガールジュナの六論書のひとつである『根本中論頌』の中では、それが特に要約して説かれており、チャンドラキールティもその内容を詳述しておられます。また、根拠と論理について書かれたディグナーガ(陳那)やダルマキールティ(法称)の著作も極めて有用なので、皆さんにも是非お勧めしたいと思います。教えの真理を自身で確かめる上で役立つはずです」

「アーリヤデーヴァ(聖提姿)もまた、事物の真のあり方を誇張して捉えてしまうがために、実はあらゆる種類の問題を作り出しているのだということに、光を投げかけられました」


からだにはからだの感覚器官が行きわたっているように
無知はすべて〔の煩悩〕の源に存在している
ゆえに、すべての煩悩も
無知を克服することで克服できる(第6章135偈)


「怒りや執着の対策となる個別の方法もありますが、空と縁起を理解することによって無知を克服し、すべての煩悩を根絶することができます。実体をもって存在する事物は何一つ存在せず、単に名前を与えられて存在しているだけにすぎないのです。こうした空の理解と菩提心を結び合わせて考える実践をしていくならば、必ずや悟りに至る五つの修行道を正しく歩むことができるでしょう。以上をもって、般若波羅蜜の教えの解説を終わります」

以前に法王は『観音菩薩のグル・ヨーガ』のテキストを著されているが、元ナムギャル僧院の僧侶たちからのリクエストに応じて、この場で短い成就法の口頭伝授を行われた。

法王公邸からインターネットを介して配信された法話会の最終日、『観音菩薩のグル・ヨーガ』を伝授される法王の背後には、『観音菩薩のグル・ヨーガ』で述べられている一面四臂の観音菩薩が中央に描かれたタンカが掲げられた。2021年1月7日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁

法王は菩提心を高める修行と空の理解を育むことを結び合わせることの必要性を繰り返し強調された。そして、ご自身も本尊ヨーガの修行を実践されているが、主な心の変容は菩提心を高めることを通してもたらされたと語られた。タントラ(密教)の修行では、空の理解そのものをご本尊の姿として生起させるという観想をするが、忿怒の形相を持つ金剛怖畏(ヴァジュラバイラヴァ)に関する観想では、寂静の実践と忿怒の実践の両方を組み合わせた修行になると言われた。

菩薩心を生起するための儀式の準備として、法王はモニター越しの聴衆に向かって、目の前に仏陀が座っておられ、周りには釈尊を取り囲むように弥勒菩薩、普賢菩薩、観音菩薩、文殊菩薩などの八大菩薩や、ナーランダー僧院の偉大なる17人の成就者たちが座っておられるとイメージするように促された。

そして、菩提心を生起するためには、善き心を育み、他者のために尽くしたいと熱望することが重要であり、恵まれた人間の生を受けている私たちは、その生を有意義なものにするという心の動機を固めるようにと語られ、次の3つの偈頌を3回繰り返された。


私は三宝に帰依いたします
すべての罪をそれぞれ懺悔いたします
有情のなした善行を随喜いたします
仏陀の悟りを心に維持いたします

仏陀、仏法、僧伽の三宝に
悟りに至るまで私は帰依いたします
自他の利益をよく成就するために
菩提心を生起いたします

最勝なる菩提心を生起したならば
一切有情を私の客人として
最勝なる菩薩行を喜んで実践いたします
有情を利益するために仏陀となることができますように


続いて、シャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』から、菩提心生起の儀式を授かったことを喜ぶ偈を唱えられた。


今、〔菩薩戒を授かり〕
私の人生は実りあるものとなりました
人間の恵まれた生を得て、今日、仏陀の系譜を持つ者として生まれ
今こそ仏陀の息子(菩薩)となることができました(第3章26偈)


次に法王は質疑応答に移り、携帯電話などのテクノロジーは仏教徒にとっては修行の障りになるのではないかとの質問に対して、法王は、静かに座っているだけの修行ならば障りになるかもしれないが、中心となる修行は仏陀の悟りの境地に至ることを熱望して他者を利益することなので、話すことを通して相手の利益になりますようにという善き心の動機で使うなら、携帯電話も人との関係を深める手段としては、障りになるとは思わないと答えられた。

法王公邸からインターネットを介して配信された法話会の最終日に、韓国からオンラインで質問する聴衆。2021年1月7日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

忍耐を養う方法についての質問には、法王は次のように答えられた。
「忍耐は自然に養われるものではなく、努力して身につけなければなりません。また、忍耐は友人からではなく敵対する人々からのみ学ぶことができます。シャーンティデーヴァは忍耐について『入菩薩行論』の第6章で、利他主義については第8章でそれらについて明確に書かれています。また、チャンドラキールティの『入中論』でも忍耐がもたらすご利益について書かれています」

新型コロナウィルス感染症のパンデミックが長引くことによる感情的な困難にどう向き合うべきかという問いに対しては、法王は次のように答えられた。
「世界の至るところで多くの人々が抱く恐れや不安はよくわかります。しかし、広い視野に立ったものの考え方をするならば、輪廻の中に生きている限り、私たちの身体には生老病死という問題が起きてくるわけであり、仏教徒としては、幾世にもわたって人類全体が集団として積み重ねたカルマの結果としてこのようなパンデミックがもたらされたと考えることができます。釈尊は“因果の法”を説かれましたが、原因が完璧に整っていなければ結果を避けることができますし、原因と条件がすべて満たされれば、積んでしまったカルマの結果を避けることはできないのです」

「このコロナ禍で恐れや不安な気持ちを抱きながら過ごしても、状況を改善できるわけではありません。シャーンティデーヴァが『入菩薩行論』で書かれているとおり、もし改善できるならば嘆く必要はないし、改善できないのならば嘆いても何の役にも立たないので嘆く必要はないのです。ですから、心をゆったりと持って過ごすとよいでしょう」

ロンドン在住の会社員で母親でもある参加者が、自分の子どもと他者の子どもを平等に扱うことができるようになるための方法を尋ねると、法王はこれに対して次のように答えられた。
「キリスト教のような一神教の考え方では、すべての人は神の子であり平等であると考えます。仏教徒としては、生きとし生けるものすべてが自分の家族の一員であると考えるとよいでしょう。簡単なことではありませんが、論理と根拠に基づいた修行を積んで他者を慈しむことができるようになれば、平等心も生まれてきます」

最後にジン・オク師が法王に謝意を表し、このような困難な時期にインターネットを介して法王が私たちに与えてくださった素晴らしい教えに、韓国の多くの人々が感動し、心から感謝していると述べた。そして、これからもこのような機会が持てますようにと願い、法王のご長寿とご健康を祈った。

法王はそれに応えて次のように法話会を締めくくられた。
「韓国の友人の方々は心からの熱望の気持ちを持って学び続けられてきた方々です。パンデミックの状況下では直に会うことはできませんが、オンラインの形式でも、自分の心に善き変容をもたらすという目標に到達する助けとなるはずです。そして、これからもこのような機会は必ず持てると信じています。皆さん、どうぞゆったりとした心でお過ごしください。ありがとうございました」