2009年11月 チベットハウスジャパン
2009年11月6日:沖縄〜東京
法王は日本での最終日の朝を、6つのインタビューに充てた。その朝はきらきらと青く、海の青と緑が窓の外に広がっていた。5つは日本のメディアで、1つは国際的テレビ局だった。
ある時点で法王は、ちょうどベルリンの壁崩壊に居合わせた時のことを思い出した。恐れと興奮の入り交じった気持ちで、かつて禁じられていた東ベルリンへ足を踏み入れ、歴史的瞬間の写真を撮り、倒れゆく壁にキャンドルを捧げた。思い起こせば数ヶ月前には、あんなに突然、平和的に変化が訪れるとは、誰も思っていなかったのだった。
インタビュアーが次々と中国政府との対話について質問すると、法王は
「我々はいつでも中国政府と対話する準備はできています」と強調した。そして、中国も開かれ、3、40年前には想像できなかったほど、人々が自由に意見を述べるようになったことに触れた。しかし、チベット問題は法王自身の問題ではなく、600万のチベット人の問題であり、自分はただの自由な発言者でしかない、と語った。
国民総幸福量(GNH)についての特集を準備しているあるテレビ局が、強欲や幸福、欲望について次々に質問すると、法王は熱意を持って応じた。法王は、人々が危機によって傷を受けたことには悲しみを感じるが、
「時々、危機は人間に他の価値が必要だと教えているのではないかと感じます。物質的価値には限りがあり、不確かです」と語った。
しかし、欲望自体は悪いものではない。
「欲望は生き延び、成功を遂げる力になります。悟りの境地を得たいという欲望は、私たちを成功に導くのです。欲望がなければ、進歩はありません。ただし、現実的な欲望でなければなりません」。強欲は資本主義だけの作用ではない、と強調した。資本主義は真の自由や、司法の独立、出版の自由、民主主義をももたらすのである。次のインタビュアーから今世紀を定義するよう求められると、
「20世紀は時に、流血の世紀とされます。21世紀は対話の世紀であるべきです。もし対話に失敗しても、悪影響はありません。けれど武力を行使すれば、ある成果を得たとしても、何らかの悪影響が残ります。イラクのようにね」。と答えた。そして、1人が殺されれば、10人が精神的に傷つくのだ。
これまでに出会った中で最も印象的な指導者をたずねられると、法王は即座に毛沢東の名を挙げた。
「1954年、1955年と、我々はある種の親密さを育てていました。毛主席は私を息子のように思っていました。度々、彼の自信に満ちた指導力に、心から感嘆することがありました。同時に、一国の革命のためだけでなく、世界を変えようという、賢明なビジョンが感じられました」。
沖縄の主催者との最後の昼食をとり、窓から広く青い海の見える部屋でパイナップルと魚の郷土料理を楽しんだ後、法王は島を離れ、インドへ帰る前に一晩過ごすために東京へ戻った。初めて訪れる場所とのつながりを持ったことと、戦争と死の記憶に囲まれた場所で平和への考えを新たにしたことで、法王は何度も、沖縄での短い滞在は「とても意義あるものだった」と語った。法王の来日はこの4年間で4回目となるが、来日のたびに、仏教徒や、講演に集まる何千人もの一般の日本人との自由なコミュニケーションの雰囲気が高まっているようだ。彼らは医者が往診に来たかのように、自殺や鬱、家族や社会との断絶について法王に相談する。
勉学に励むように、というのは法王が仏教徒へ繰り返すメッセージだが、この国全体に対しては、英語を学ぶように、と伝えた。そうすることで智慧を高め、世界と対話することができるのである。
(訳:熊谷惠雲)