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IOCは、シドニーの精神を抹殺した

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2001年7月17日
オーストラリア(ジ・エイジ)

あのシドニーの精神は、7月13日の夜に抹消されてしまった。オーストラリアがオリンピックの理想を復活させてから1年もたたないうちに、2008年のオリンピックの開催は、サッカー競技場で人々を処刑したあの国家へ委ねられたのだ。

中国政府が、悪化の一途をたどる人権侵害を止める必要があるというような前提条件も、開催権を剥奪するという圧力も、検討されることはなかった。

我々が、20世紀から学ぶことがあるとするなら、それは、国家主導の虐殺、拷問、そして抑圧を許してはならないということであろう。しかし、IOCに属する実利優先主義者たちがモスクワで行ったことは、それにほかならない。

退職を目前に控えたジュアン・アントニオ・サマランチ会長の最後の望みは、自分に服従したり、人々の命を弄ぶような政治的な駆け引きに積極的な会員たちにより叶えられたのだ。これは、”魚心あれば水心あり” の、破廉恥なほど極端な例といっても良いであろう。

この決定は、様々なレベルにおける違反行為と位置付けられる。なぜなら、”基本的な倫理規則” に関するIOC自体の宣言が否定され、国際社会が、天安門広場での虐殺の当事者である中国政府を許すというメッセージを発信したことになるからだ。

更に問題なのは、世界でも最大規模のスポーツと文化の祭典の開催を、専制国家に認めてしまったことである。北京の都市整備は進むだろう。しかし、IOCのメンバーを乗せたリムジンが北京を去った後、信仰、そして政治の自由の保証が一歩でも前進するだろうか?

また、生活に対する権利の改善が促進されるというのだろうか?
このような改善は、反政府活動家たちが鎮圧され、抗議活動を行う者たちが拷問され、「労働矯正所」に収容されるか、一列に並べられ銃殺されるような国では、第一に解決されなければならない課題であるはずだ。

IOCは、オリンピック主催国の選定において、自らを非政治的団体であり、国家の内政には干渉する権限がないという偽りを主張し続けてきた。

朝鮮半島の2つの国を説得して、シドニーオリンピックの開催式典での一緒の行進を実現したり、東ティモールの代表団を招待し行進に参加させたのと同じ組織が、このような偽りを語っているのである。

長い歴史を持つ自国の文化を、組織的な破壊から保護しようとするチベット人の活動家たちの意見に耳を傾けないのは、IOCが人権問題に関する討議を行う努力を怠ったのと同様に、非常な侮辱ではないだろうか。このことを考えると、IOCのあいまいな主張では、刑務所に入っている人や行方不明者の権利の保証はされないことになる。

倫理的な基準に基づいて、北京でのオリンピック開催に反対の票を投じたIOCのメンバーたちは、自分たちが世界でも策謀的なクラブの一員であることを自覚すべきである。

アムネスティ・インターナショナルの発表によると、中国政府の政治機構は過酷さを増す一方で、経済の自由化はいっそう進められているそうである。 ここにカギが潜んでいる。自らのブランド力を誇り、マーケティングの絶対的な権限を持つIOCが、その大きなスポンサー企業が、法輪功の集会や学生たちのデモのように中国にとって歓迎されない存在だったとしたら、これほどまでに北京に入り込むことを熱望しただろうか?

今回の決定は、ソルト・レーク・シティでの票獲得の賄賂のスキャンダルと比べ物にならないほど、あきれるほど恥ずべきものである。水面下ではあらゆる議論が討議されたことは明白であり、その結果、得体の知れないあらゆる種類の同盟関係が結ばれたことは明白である。

悲しむべきは、中国政府の方針を変えさせるチャンスを失ったことだ。 シドニーでの懸命な努力の結果は、また振り出しに戻ってしまったのである。