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訃報:チベット初の無線通信士ロバート・フォード氏

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(2013年9月26日 CTA

Late Mr Robert Ford (1923-2013) being presented with International Campaign for Tibet’s Light of Truth award by His Holiness the Dalai Lama in Fribourg, Switzerland, on April 13, 2013. Photo/Manuel Bauer

ダラムサラ: 中央チベット政権は、ロバート・フォード氏逝去の知らせに深い哀悼の意を表している。9月20日、ロンドンで90歳で亡くなったフォード氏は、中国によるチベット侵攻前のチベット政府に勤めた初の外国人だ。

フォード氏は1945年に無線通信士としてラサの英国軍に勤務するため初めてチベットに渡った。赴任中、当時11歳のダライ・ラマ法王に初めて謁見した。1947年にはチベット政府より、政府に加わって、チベット初の放送局の開設、チベット人の無線通信士の養成、チベット全土の無線通信ネットワーク構築をしてほしいと求められた。

ラサで1年勤務した後、フォード氏は東チベットのカム地方にある首都チャムドに赴任し、ラサ−チャムド間の無線リンクを開設してチベットの無線通信ネットワークを拡大するよう要請を受けた。1949年にフォード氏は3名の無線通信を学ぶ学生たちとチャムドへ北方のルートを旅する。このルートを通った初めての、おそらく唯一の西洋人だった。

1950年にはチベット当局者たちとともに、侵攻してきた中国軍に捕らわれる。計画していた逃亡ルートが地震で遮断されていたのだ。中国人民共和国はフォード氏が英国スパイであり、反共産主義の普及活動を行い、ゲダ・ラマ氏の死亡を招いたと訴えた。フォード氏は刑務所に5年近く拘留され、処刑の恐怖に常にさらされながら尋問や思想改造を受けた。ようやく両親に手紙を出すことを許されたのは1954年のことだ。同年末の裁判で、禁固10年の判決が下ったが、後に釈放され、1955年に国外追放になる。1957年に自身の体験を綴った『赤いチベット』を出版した。1990年の再版では、ダライ・ラマ法王よる前書きと、フォード氏自身による『占領』というタイトルの後書きが加えられた。

1957年にフォード氏は外交官になり、ロンドンの外務省や世界中に赴任した。ベトナム、インドネシア、アメリカ、モロッコ、アンゴラ、フランス、スウェーデン、最後にスイスのジュネーブで英国総領事として勤務し、1983年に引退した。1982年には大英帝国勲章第三位(CBE)を受勲した。
引退後はチベットやチベット人への支援を積極的に再開できるようになる。1959年にはチベット・ソサエティの設立メンバーになり、後に副会長を務めた。チベット−中国間のあらゆる問題について執筆し、イギリスをはじめヨーロッパ各国、オーストラリア、アメリカなどで講演を行った。1992年にはダライ・ラマ法王からの要請でインド全土での講演ツアーを実施。講演会場は、インド陸軍大学、公務員学校、インド国会の下院であるローク・サバ—など、多岐に亘った。だがこのツアーは、フォード氏と妻のモニカ氏がインド当局によりダラムサラで拘束され自宅軟禁となり、突然終結する。講演ツアーが中国の李鵬首相のインド公式訪問と時期を同じくしたのだ。フォード氏はイギリスへの早期帰国を余儀なくされた。1996年にフォード氏はダライ・ラマ法王と英国ロイヤルファミリーの一員との初めての接見の場を設けることに成功した。7月17日、法王はエリザベス女王とクラレンス・ハウスでフォード氏も同席して面会した。

2013年4月、ダライ・ラマ法王はロバート・フォード氏に『チベットの真実の光のための国際活動賞』を授与した。法王は授与式でこう述べた。「皆様方は長きにわたってチベットの友であり支援者でいてくださった。我々は計り知れないほど感謝しています。ご存じのようにチベット人の精神は衰えを知らず、真実の力は今も強さを失わないのです。」

「我々は古くからのチベットの友であるロバート・フォード氏の訃報を聞き、大変深く悲しんでいる。フォード氏は生涯に渡ってチベットの信念に確固たる支援をくださった人だ。初めてのチベット支援団体であるチベット・ソサエティの創始にも携わった。フォード氏はチベットや人民のために生涯に渡って支援を続けた人として、皆の記憶に残るだろう。フォード氏のご家族に心よりお悔やみ申し上げる」と、情報・外務省デキ・チョヤン大臣は語った。


(翻訳:植林 秀美)