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僧侶らが明かす国家的弾圧の非情な実態

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(2007年2月20日 テレグラフ社 リチャード・スペンサー記者)

チベット人僧侶らは、中国当局の嫌がらせを受けたり監禁させられたりしている。何とかして僧侶たちにダライ・ラマへの信奉を捨てさせようというのが当局の狙いだ。

中国の統治下にあっては、僧侶らの体験が自由に語られることはまずないといってよい。だがデイリーテレグラフ紙では、2008年の北京オリンピックに向けて早くも報道規制を緩和するという新法令を受け、公安のお目付けのいないところで僧侶らに会い話を聞いた。

ある僧の話によると「緊迫した状況にある」という。「私の僧院では20人の警官が生活しており、常に監視の目がある。ダライ・ラマ反対を全員が唱えなければならないと言われたが、当然できない。どうしてできようか?」

「私たちはみなダライ・ラマのことを敬愛している。警官の指示に従わなかったラマ5人は連れ去られ、いまだに自宅か警察署で軟禁状態にあり、寺には戻っていない。」

僧侶らが特に反対しているのは“中国政府が認定したパンチェン・ラマ”である。1995年、ダライ・ラマの使節が、5歳になる少年をチベット仏教第二位の地位にあるパンチェン・ラマの転生者であると認めた。中国当局はこの少年を逮捕監禁し、別の少年を新しいパンチェン・ラマに認定した。
別の僧侶の話では、「中国側のパンチェン・ラマに反対する文章をばらまいたために5年間投獄された」という。

「僧院に戻ることがずっと認められないでいる。私がいた僧院は閉鎖された。投獄中は殴打されたが生き残った。もう一人いた僧は殺された。」

街から離れたところにある僧院では、ダライ・ラマの小さな肖像画が違法に飾られることがあるが、主だった寺院で目にするのは、“中国側のパンチェン・ラマ”だけだ。

チベット人僧侶らは、中国の愛国教育の授業を受けさせられ、国家に対して義務があることを叩き込まれる。

チベットの混乱

  • 1904年、フランシス・ヤングハズバンド卿率いる英国軍がギャンツェにてチベット軍を制圧。以降、チベットは英国の干渉を受ける。
  • 1950年、チベットが中国に侵略される。中国は、チベットが古くからの中国領土だと主張。※1
  • 1959年、中国に反対するチベットの民衆蜂起が弾圧される。ダライ・ラマは国外へ脱出。チベットでダライ・ラマの写真の公開が禁止される。
  • 活動家らによると、中国の統治下で殺されたチベット人の数は120万という。
  • 文化大革命では仏教寺院の破壊行為があった。

※1:1950年代、中国に侵略される以前、チベットは歴史を通じて常に独立国であった。