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伝説の地への幻の入り口

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2002年4月12日
ガントク(タイムズ・オブ・インディア3月21日)

「ラサ 480 Km」と記された標識が道路脇に立っている。それを見た者は、自分が立っている場所がかつてインドとチベットを結んだ歴史的な貿易ルートであったことを突然思い知らされる。

ナトゥラ道路は、たとえ歴史に興味がない者にも様々な機会を与えてくれる。この道路を通る者が目にするのは息を呑むような景観だけではない。中国軍の兵士たちと握手を交わすほどの距離まで接近することができるのだ。こんなことはほかの場所ではまずありえない。

ナトゥラ道路は、1999年9月に観光客に開放されて以来、人気の場所である。インド軍は、1週間のうち4日間、最大20台の車両がガントクからナトゥラまで通行するのを許可している。平均すると、大勢のハネムーンカップルを含む800人の訪問者が、毎週、吹きさらしの道路を 3 時間かけて観光している。

14,000 フィートを優に超える場所に位置し凍えるような風にさらされているナトゥラ道路は、滞在するのに適した場所ではない。「気温はマイナス5℃に達する。夜になればさらに冷え込む。」と語るのは国境の警備にあたる大勢のシーク軽歩兵の一人であるパラムジット・シンである。3月の午前11:30頃、風は丸裸の山々を吹き抜け、息をするのも困難な状態だ。

凍てつくような寒さのせいか、それとも和平交渉が延期されているせいか、国境線の付近では一種の気楽ささえ感じられる。砲台も銃も互いの国には向けられていない。

雪に埋もれた有刺鉄線だけがインドとチベットの境を示している。しかし、ベンガルからの観光客がこの鉄線を越えたらどうなるかを 1人の兵士に尋ねたところ、「すぐに撃たれるよ。」という答えが気軽な調子で返ってきた。

ちょうどそのとき、中国軍の兵士が国境線の向こうの駐屯所から顔を覗かせた。集まった人たちからは押し殺したような声があがった。しかし、兵士は顔を出したのと同じ速さで引っ込んでしまい、皆を失望させた。ただし、インドと中国の間では定期的に連絡が取られている。1週間に2回、国境付近では郵便物が交換されている。また、2か国の軍隊の代表者も定期的に接触している。

ナトゥラ道路は、長年語ることのない歴史の証言者となってきた。ジャワハルラル・ネルーが若きインディラ ガンディーを引き連れて、ラバの背に揺られながらナトゥラを通り、チベットのチュンビ渓谷を渡ってブータンまでの道のりを旅したのは1950年代のことであった。現世ダライ・ラマ法王は1956年、インドで開かれた釈尊生誕2,500年祭(ブッダ・ジャヤンティ祭)に出席するためにこの地に足跡を残している。1962年、中国が侵略してからすべては一変し、この道路は封鎖されてしまった。

現在のナトゥラは、伝説の地への幻の入り口としてその姿を見せている。