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仏教僧に叙勲−50年間の無私の活動−

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2002年1月10日
クアランプール(ニュー・ストレイツ・タイムズ)

日曜の感謝の夕べにおいて、ここ50年で国内の仏教徒の状況を変えた仏教僧に対し、栄誉が与えられた。

K.スリ・ダママナンダ博士の無私の奉仕を称え、歌やダンス、詩、マルチメディアの発表や仏教徒マーハ・ヴィハラのあいさつ、ブリックフィールズのスピーチなどが行われた。

地元や地方から仏教並びに他の宗教の指導者と信徒が集まり、1952年、33歳の時にスリランカからやってきた、マレーシアとシンガポールで最高位の仏教僧の叙勲に立会い祝福した。

ダママナンダ博士は、静かに落ち着いた様子でこれらの祝福を受けた。そして群集を前に話をする時は、いつもユーモラスで洒落た人物である。

1952年に初めてここに到着した時、近所の人でさえもセンター(1947年に設立)の存在を十分に知らなかったということをダママナンダ博士は思い起こしながら、その近辺では有名なトディショップ(カフェバー)がセンターの場所案内としての役目を果たしたと語った。

その当時は若者を仏教伝導活動に参加させる魅力的なものが全く無かった。ダママナンダ博士のもとに来たのは、日曜学校でシンハラ語を学んでいたわずか7人の学生だけであった。

今日では参加者が1000人を超え、仏陀とその教えに焦点を置いた寺院の重要な役割は明らかである。

再びダママナンダ博士が話すと笑いが起こった。 「ある場所に50年間滞在して、同じ人々と働くのは容易なことではない」

他民族の信仰の取り扱いについては多くの課題があった。ダママナンダ博士はこれら他の信仰に関しても取り組まねばならなかった。

「しかし、私は仏教徒だけでなく、イスラム教徒、クリスチャン、シーク教徒や他の信徒の信頼を何とか得るようにしてきた」 このことは、以前に演説で「国内の19.2%の人が仏教徒でイスラム教徒に次いで第2位である」と言及した地域政府及び住宅担当大臣ダトゥック・セン・オン・カ・ティンなどの演説者によって証明されている。 「国内の宗教間の調和に著しく貢献した」人物でもあるこのダンマパダ(仏陀の教えという意味)のたゆまぬ努力のおかげで、仏教徒は少数派ではなくなった。

オン・カ・ティン大臣はさらに「Kスリ・ダママナンダ博士ウェブサイト」を発足した。これは時代に合わせた、なおかつ敬愛する指導者が所有する多くの著作物を永久に保存するためであった。

(祝典の)余興には、陽気な「マラッカ出身のデュオ、ノヤとババ」が孝行といった精神的なメッセージと善行とを自分達の演技に巧みに組み入れたものなどがあった。

この祝典にダライ・ラマから送られた祝辞にはこう書かれていた。

「スリ・ダマナンダ博士は、その人生において長く、特にマレーシアでのこの50年間、仏陀の教えを、それを聞きたいと望むあらゆる人に分け与えるために献身的に努力されてきた。

博士はグループの大小に関わらず公の場所で演説され、また学問的なものから子供向けの簡素なパンフレットまで広範囲にわたる多大な出版物を書かれている。これは、博士が仏陀の智恵とその崇高な伝統に対する不動の信仰を持っていることを反映しているものである」

ミャンマー大使のU ラ・マングは、ダマンナンダ博士の布教活動に対し、自国で2番目に高い賞を恭しく、ダマンナンダ博士の前でひざまずきお辞儀をして贈った。