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主席大臣(カロン・ティパ)、ロブサン・センゲ博士による就任演説

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(2011年8月8日 インド、ダラムサラ)

我がチベット人の同胞よ

チベットで仏教を広められたインドの偉大な行者、グル・リンポチェ師が生まれた今日、この良き日に、最も崇拝される私達の指導者でいらっしゃるダライ・ラマ法王のご臨席の下、私は深く謹んでチベット亡命政権の主席大臣(カロン・ティパ)の職を引き受けさせて頂きます。

私達は精霊に祈りを捧げ、チベットの神々や女神達が私達を見守り導かれるよう願います。亡命中の勇敢な男女からの絶大な支援と、占領されたチベットに居る勇敢な兄弟姉妹による忍耐強い団結と支援に、心より私は感謝いたします。私達はこれらの人々の支援につき動かされ、これらの人々の祈りで支えられています。

ダライ・ラマ法王により霊的に祝福され、ダライ・ラマ法王による偉大な制度である拡大した歴史的な合法性を継続する政治的権限を与えられ、私個人の業績の結果ではなく、チベット在住や亡命中の諸先輩たちによる過酷な働きや犠牲の結果として、私はここにおります。今日私は、私達の先輩によるこの偉大な遺産を受け継いで構築することを誓います。我がチベット人の同胞よ、チベットに自由が回復するまで、そしてダライ・ラマ法王が私達の母国に戻られるまで、私達の運動を強化し継続することを私は誓います。

 

1世紀前の19010年、第13世ダライ・ラマ法王はポラタ宮殿を立ち去る前、最後にご覧になって「私は戻ってきます」と人々に約束なさいました。その当時私達の先祖は近代的な教育や教養を有しませんでしたが、献身と疲れ知らずの働きで第13世ダライ・ラマ法王が戻られるのを可能にしました。ダライ・ラマ法王は1913年初頭にラサに戻られ、中国からのチベットの独立を再び宣言なさったのです。

その50年程後1959年3月17日の運命の夜にラサを離れる時、第14世ダライ・ラマ法王は、身を切られるような思いで「私は戻ってきます」という同じ誓いを繰り返されました。

近代的な教育や教養を有する私達世代のチベット人は今日、ダライ・ラマ法王が戻られるのを確実にする助けを行う責任を負っています。しかし私達は、先祖のように疲れ知らずの努力で献身、団結、コミットメントをしているでしょうか?しているならば私達は勝利し、していなければ、敗北するでしょう。

私達の課題は疑いも無く、ヒマラヤ山脈のように大きく、簡単なことはではありません。しかし、歴史を通じ生命を投げ出しチベットに心を捧げてきた何千人もの他の勇敢なチベット人から私達は霊感を得ます。選択したのではなく力づくで、私達は悲劇的に分断されてきました。ヒマラヤ山脈の両側でチベット人が再統合されるという自由の頂に、私達は辿りつくでしょう。

第14世ダライ・ラマ法王の真に世俗的で民主的な社会を創造するというビジョンを達成するために働くことを、私は誓います。今年のチベットのダイナミックな選挙は世界に対し、本物の民主主義と人類の自由に関する普遍的な原則の為に私達が献身するのを明らかにしました。私達の民主的な選挙は、チベットの統一が宗教、主義、性別、世代を超えた普遍的な民主的原則により構築され維持されるのを示しています。

この選挙結果は、チベットの統率力はあっけなく消え去ることとは程遠く、私達は今後毎年強力に成長するのみの民主主義である、というメッセージを中国政府の強硬派へ明らかに伝えたはずです。私達は、踏みとどまるためにここに居ます。

より明らかに言わせて頂きますと、私達の闘争は中国人民に対してではなく、国家としての中国に対するものでもありません。私達の闘争は、チベットにおける中国政権による強硬路派線に対してです。私達の闘争は、自由、正義、尊厳、そしてチベット人としてのアイデンティティそのものを否定しようとする人達に対するものです。中国政権と中国の友人は同様に、チベット人民の嘆きが多く深遠なのに気づくべきです。

我がチベット人の同胞よ、チベットと中国が一千年前、調印した条約が誓った「チベット人がチベットの土地で、中国人が中国の土地で幸せになるであろう」という偉大な時代の到来を、宣誓と私達の先祖がもたらした熱情において、今日私は再度確認します。

1950年に中国軍が最初にチベットに来た時、彼らは「社会主義の天国」をチベット人に約束しました。幾人かのチベット人は中国からチベットへの道路を建設する助けをし、労働に対し銀貨で支払いを受け取りました。その当時、中国軍人は非常に礼儀正しく、私達の先祖を親切に扱いました。

しかし一旦道路が建設されると、戦車が都市地域を戦略的に取り囲み、大型トラックは鉱物が豊富な山脈や原生林へと直進しました。そして中国人労働者がやってきて、何十億ドルもの金、銅、ウランを搾取し採鉱したのです。一晩で何かが変わったように思えました。礼儀正しい中国軍人は変貌し、横柄で侵略的、そして暴力的になったのです。彼らは銃を用いました。紛争が勃発しました。死と破壊が立て続けに起こったのです。

幸福な素晴らしい時代は、危機に見舞われました。それ以来チベット人は自分達の母国で二級市民になってしまったのではないか、と私はあやぶんでいます。

政治的抑圧、文化的同化、経済的周縁化、そして環境破壊が占領されたチベットで今も進行中で、受け入れ難いです。新しい鉄道線路が建設され日々、より多くの重機が運び込まれて鉱物資源を搾取し、そしてより多くの中国人が運び込まれて中国人が人口統計学上優勢になり私達の豊かな文化とアイデンティティを希薄にしています。今日私達が経験している事実は、衝撃的です。私有地区の70パーセントは、中国人が所有しているか経営しています。そして地方共産党幹部の公共地区事業の50パーセント以上も、中国人によって行われています。他方、勤勉に働いて大学や高校の学歴を得た私達チベット人の兄弟姉妹の約40パーセントは、失業中です。これらの統計は、私達が皆良く知っているように、チベット人を自分達の個人的資産のように取り扱い、封建時代の君主の様に振舞う中国の役人のせいで、一層悪化しています。

しかし3年前の2008年には、ドォモからダーツェド、ンガリからンガパ、ラサからリタン、コンポからクンブンまでで、チベット人の老若男女、遊牧民や農夫、僧侶や尼僧など全てがチベットにおける中国支配に抗して立ち上がりました。これらの人々は中国の抑圧や不当な扱いに抗議をし、「私達はダライ・ラマ法王にチベットに戻って頂きたい」という統一スローガンを掲げました。より明らかに述べさせて頂くと、自由で平和的な表現にも関わらず中国権力が行った手厳しい反応を忘れることが出来ないという理由からも、チベット当局は抗議を奨励しませんでした。しかし声無き勇敢な同国者を支援しこれらの人々の声になるのは、私達の聖なる義務です。

60年間の無法状態後の現在、チベットは中国当局が約束したような社会主義の天国ではありません。チベットには「社会主義」は無く、あるのはむしろ「植民地主義」です。天国になれる可能性があったチベットは、今日、中国による占領により悲劇となっています。中国政府はこのことを知るべきです。近年多くの中国指導者がラサを訪問し、「平和的自由化」の60年間を観察してきました。現実には、60周年記念には自動機関銃を構えた軍隊がラサの通りを行進し、屋上には狙撃者達が伏せていて、観光客がチベットを訪れるのを全面的に禁止するといった、宣戦布告無しの軍事法下の状態が観察されました。チベットにおける北京の支配は、明らかに不当であり受け入れがたいものです。

私達は世界に、特に中国の友人に、チベットにおけるこの悲劇にも関わらず、私達は固く非暴力を貫き通すことを知っていただきたい。私達は国家としての中国や民族としての中国人を、恨みではなく敬意を抱いて観ています。先達の知恵に導かれ、私達は中華人民共和国内でチベットに真の自治を求める中道政策を継続いたします。我がチベット人の同胞よ、これはチベット人と中国人の双方にとって得になる提案です。私達は、チベットにとって平和な解決策を信じています。これは、平和的なプロセスと平和的な対話を意味します。私達は中国政府といつでも、どこででも交渉するつもりでもいます。

中国は超大国になろうと熱望しているのを、私達は忘れてはなりません。中国は世界で最も成長している主要な経済国であり、世界で最強の軍隊によってバックアップされています。しかし残念なことに、中国の倫理的な力は遅れています。倫理的な力は市場で購入出来ませんし、軍事力で強いることも出来ません。これは自分達で得なくてはならないのです。チベット人が抑圧されている限り、中国に対する抵抗や敬意の低下が生じるでしょう。チベット案件の永続的な解決策を見いだすのは、世界中の人々の意識や心の中に中国のポジティブなイメージを取り戻し、また中国領土の統一と主権を守るという、長い道のりになるでしょう。中国や大華人海外移住地域の中国人民が、中国がこの倫理的な問題を克服するのを助ける鍵となる役割を果たすのです。

私はハーバード大学で何百人もの中国人学生と知り合い、中国とチベットの学者間でチベットに関する会議を組織してきた16年間の経歴を持っています。私達は、相互の理解や信頼を築くために中国人民を援助し続けるつもりです。私は、アメリカ合衆国、ヨーロッパ、国際世界、そしてチベット支援グループによる忍耐強い支援に対し、心から感謝と謝意を表します。正義、自由、尊厳そして平等について私達と共に賛同し続けることと、北京にチベット案件を平和裏に解決するよう説得し続けることを、このような方々にお願いいたします。平和、非暴力、普遍的な自由を構築する人類の能力への信頼を確認するでしょうから、チベットの状況を永続的に解決するのは、21世紀で最も決定的な出来事の一つになるでしょう。これはチベット人民にとっての勝利だけではなく、世界中で周縁化されている全ての人々にとっての勝利になるでしょう。

チベット案件の正当で即時の解決は、アジア全ての関心事です。何千年にもわたりチベット人民は、20億人以上の人々の生活に寄与する10大河の源となっている、世界最高峰で最大な高原の環境を責任持って守り仕えてきました。チベットから流れ出ている川を中国がダムでせき止めると、アジアでこれらの下流に住む何億人もの人々の生活が脅かされます。この理由でアジアの何億人もの人々は、チベット高原の環境を責任持って守るという伝統的な役割をチベット人が取り戻すことに、既に関心を抱いています。このことは、政治を超えています。アジアにおける福利と福祉に関与することなのです。

インドの人民と政府がチベット人難民に与えてくださっていることと、過去50年間客として私達が留まることを許してくださっていることに、私達は永久に感謝し続けます。ここに住む私達にとって、インドは第二の故郷です。チベット亡命政権は、チベット人とインド人の間の特別な関係を今後も進展させ、誇りにし続けます。インド政府とインドの人々に私達が負っていることは、既に膨大です。しかし、私達が共に行う働きは継続します。インドとチベット間の案件の核の一つとしてチベットを取り扱うご支援と親切なご配慮を続けてくださるように、私達は心より願います。

今後5年間、統一、革新そして自立を私達の指針として、チベット亡命政権は自由運動を強化し、必要ならばさらに50年間この指針を継続いたします。内外のチベット人に、ラッカル(Lhakar)運動を誇りにして支え、チベット性を明らかにし、連帯を示し、統一を抱き、チベット精神を生き生きと保持することを私は希求します。なぜなら共に私達はダイナミックな環境を育み、世界中でチベット人の制度や地域を強化することを、私は確信するからです。

教育は、私達の最優先事項です。ダライ・ラマ法王が私達に教えられたように、知識を分かち合うのは「永遠に至る道の一つ」です。これは、チベットの未来を照らす光です。15万人の亡命者の中から1万人に達する専門家を輩出する努力を私達はしますし、チベット内のチベット人には今後20年間に10万人の専門家を輩出するように願います。

私達は技術とソーシャルネットワークという手段を融合してチベット亡命政権を専門化し続け、より良い利便性と透明性を保証します。この目的のために、チベットを強化する政策をビジョン化し、発展させ、実行する知的な場として機能する、「チベット政策学院」を数ヶ月内に建設します。またインドや西洋社会でチベット人間の連帯を強化するために、「姉妹シカクス(セツルメント)」も設置し、「チベット協力隊」を導入します。これは、チベット内外のチベット人が有する技術とノウハウをチベットのため用いて若者に雇用をつくり、持続的なシカクス(セツルメント)を築くのを促す運動です。

他の全てのチベット人と共に私は、過去何十年もにわたるサムドン・リンポチェ教授のリーダーシップに心から感謝いたします。そして彼と彼の有能な内閣の閣僚に、行政のスムーズな引継ぎでの心温まるご親切と生産的なご支援に感謝いたします。前進しながら私は、憲章と最高裁判辞令に則り、第15回議会の議長閣下や紳士淑女へ私から完全な協力と協調を捧げつつ、この誓約を遂行するため有能で献身的な国家公務員を指導いたします。

結論としては、ダライ・ラマ法王の政治力は、チベット亡命政権の主席大臣(カロン・ティパ)としての私にだけではなく、すべてのチベット人に委譲されたのを記憶にとどめておくのは重要です。ダライ・ラマ法王の人民に対する信頼や信念と、私達の50年以上にわたる民主的制度の強化はいまや、ダライ・ラマ法王の政治的関与なく生き延び自立して進展する挑戦に、直面しようとしています。ですから、これは私達一人ひとりにとってのテストです。司法部のリーダーシップにとって、議会にとって、行政機関にとって、ダライ・ラマ法王の期待に沿って効果的に統合的な実体として仕事をするというテストなのです。これは私達の挑戦であり、また私達の好機です。

特に差し迫ったこととして、私はチベット人の若い世代に語ります。高く立ち上がり自由に向かい行進するために、あなたたちの支援、エネルギー、そして才能が私達には必要です。この人生において、私達の自由への闘争が正義、または敗北の運命に遭遇するであろうことを決して忘れないで頂きたい。チベットは世界地図に現われ出るか、それとも消え去るかのどちらかです。民族としてチベット人が現存するか、博物館の展示になるかのどちらかなのです。チベット人の忍耐力と誇り、ウィットと意志、勇気と献身が、真に試されるでしょう。

今は、単に批判や冷笑をする時ではありません。今は勇気の時であり、確信の時なのです。何よりも今は、私達はチベット人であり我々には出来るという信念を信じる時です。国内外両方の場で、より若い世代がより大きなリーダーシップを取る時代がやってきたのです。もし私達がしなければ、誰もしないのを忘れないでください。

この事についても我がチベット人の同胞よ、私達は確信できます。第13世ダライ・ラマ法王がチベットに成功裏に戻られたように、機会は到来し私達の時代はやってくるでしょう。献身的で統一された私達の先祖のように、私達が統一されておらず共に挑戦を受ける準備がなければ、私達は敗北するでしょう。統一が最も重要で、これは妥協出来ません。これが、私達の運動の要なのです。統一を得られないといういかなる失敗も、私達の落ち度にすぎません。私達を信頼し、今日から私達が辿る全ての歩みをしっかり見守り続けているチベットに居る同胞の大半を失望させないために、私達は最善を尽くすべきです。しかし有難いことに、私達の最も崇拝される指導者であるダライ・ラマ法王が、私達のまさに只中にいらして知恵を提供してくださることを知っているのは、私達の慰めです。

今年の初頭、チベット亡命政権の主席大臣(カロン・ティパ)選挙で私が最初に聴衆に話しをした時、ダライ・ラマ法王は私に、20年程前の1992年に法王と最初に私がお目にかかった時と同じ席に私が座っているのを、思い出させてくださいました。ダライ・ラマ法王はチベット亡命政権の主席大臣(カロン・ティパ)としての私の任期は良いものになるだろうし、私は法王の言葉を実現するのに献身的であると、おっしゃいました。しかしながら、私の2つの手だけでは決して十分ではありません。現ダライ・ラマ法王が1959年3月17日の運命の夜に「私は戻ってきます」とチベットにおっしゃった言葉を実現するために、皆様が1200万本の手を貸してくださるようお願いいたします。

チベットに居る私の兄弟姉妹に対し、私は皆様に自信を持って今日申し上げます。私達はまもなく会うであろう、と。私はチベットに足を踏み入れる事をまだ許されていませんが、チベットは日々常に私の心の中に存在しています。私はチベット人として生まれた事を誇りに思っています。そして、チベット人として死ぬのを誇りに思うでしょう。生きている間私は、私達の自由の為に闘う決意です。多くの親がそうだったように私の亡くなった父は、チベットに戻ることは出来ませんでした。しかし我がチベット人の同胞よ、これは全てのチベット人に当てはまらないことになるでしょう。ダライ・ラマ法王がチベットに戻られ、私達人民を再統一なさり、チベットに自由を取り戻されるのを、共に私達は確かなものにいたしましょう。

今日、私達はインドという釈迦が悟りを得られた聖なる土地におります。この次は、仏教が600万人チベット人の心と魂であるチベットという聖なる土地でお会いましょう。我々はダラムサラから神々が住まわれ、法の教えがあるラサへと旅立つ準備は、私達はいつでも出来ています。ダライ・ラマ法王がいらっしゃる町から法王がお生まれになった故郷へ、とです。

これが、私達が熱望することです。これが、私達の闘争です。これが、私達の夢です。統一、革新、そして自立を6百万人チベット人の指針にして、勝利を私達のものにしましょう。ダライ・ラマ法王、万歳!

Bod Gyalo.(チベット万歳!)

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(翻訳:林美枝子)