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世界中で「チベット民族蜂起記念日」記念行動

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2001年3月10日

<インド>
ダライ・ラマ 中国の「態度硬化」を厳しく非難

ロイター通信 (ダラムサラ)

3月10日チベットの精神的指導者ダライ・ラマは、中国支配下にある祖国チベットの弾圧が悪化しているとして、これを厳しく非難し、話し合いのために代表団を派遣するという申し出に対して中国政府から何ら回答がないと語った。

ダライ・ラマは昨年、兄が北京を訪れた際、中国とのコンタクトを再開した。だが続いて、ダライ・ラマの考えをまとめた覚書を携えたチベット代表団を受け入れるよう中国に要請したが、中国は曖昧な態度を取り続けている。
「…今度は、中国はチベット代表団の受け入れを渋っている」とダライ・ラマはチベット民族蜂起42周年を記念する演説の場で言った。

「このことは、中国政府が態度を硬化させていることと、チベット問題を解決しようという政治的意思が欠如していることをはっきり示している」

6千人あまりのチベット人難民とチベット支援者が、インド側のヒマラヤ山脈のふもとにある町、ダラムサラの本堂からダライ・ラマの言葉を聞くために世界中から集まった。聴衆は、エビ茶の袈裟をまとった仏教僧、学童、チベットの民族衣装を着た若者、数百人の西洋人など多種多様な顔ぶれだった。

「中道的アプローチ」への批判

ロックバンド、ビースティ・ボーイズのリードシンガー、アダム・ヤウクもダラムサラの外国人訪問者の一人だった。
「合衆国政府は中国に関心を持つ大企業の言いなりになりすぎている。中国政府がチベットを抑圧していることに不満を表して、中国に貿易制裁を加えるべきだ」とヤウクはロイター通信社に語った。

中国支配に対するチベット民族蜂起が失敗した後、ダライ・ラマは数千人の追随者と共に祖国を逃れ、1959年からずっと北インドで暮らしている。チベット亡命政権は国際的に認知されていないが、チベット解放を目指した非暴力運動は1989年ダライ・ラマにノーベル賞をもたらし、国際的な同情と経済的支援を広く獲得した。

近年、ダライ・ラマは、チベットを中国から独立させるという本来の要求を軟化させ、チベット文化を保護できるなら自治区という立場を受け入れる意思があると言っている。ダライ・ラマは、断固として独立を目指すチベット人が大勢いて、非暴力の「中道的アプローチ」に対する批判が増していることを理解していると述べた。
「自由を得る戦いの手段として暴力を行使することは絶対に拒否するが、チベット人ひとりひとりにあらゆる政治的な選択を模索する権利があることは尊重する」

「プロパガンダによるごまかし」

ダライ・ラマは、「中国がチベットでの悲しい状況をプロパガンダでごまかし続けている」と述べた。
「チベットの状況を内部から見ると、日増しにひどくなる抑圧、環境破壊、大量の中国人がチベットに移住してきたために、チベットのアイデンティティと文化が侵されつつあるといった憂慮すべき事態がほとんど絶望的と思えるほど進んでいる」

中国の新華社通信は、ある地方自治体がチベットの首都ラサの仏教徒百世帯を「サンプリング調査」した結果、ダライ・ラマへの支持が急激に落ち込んでいることを示したと発表した。

新華社通信によると、ダライ・ラマをどう思うかという問いに対して、回答者のうち86%が「分離主義者・政治家」であると答え、4%が宗教指導者、四%が活仏だと答えた。約6%は回答を拒否したと言う。
「調査は、ダライ・ラマが仏教徒の信奉者の支持を失ったことを示している。ダライ・ラマへの盲目的な崇拝から解放された人が増加している」と、国営通信社は中国社会科学チベット研究所の研究員の言葉を引用した。

ダライ・ラマは、チベットの人々が自分達の将来を決められるように、国民投票制度を設けるべきだと語った。
「残念ながら、チベット人が発言すると必ず話しを聞く代わりに逮捕され、刑務所に閉じ込められ、反革命主義者の烙印を押されてしまうのだ」

演説の後、数千人が白・黄・赤・青の亡命政府の旗を振り、「我らに自由を!」と叫びながら、ダラムサラの通りを行進した。

ツクラカン本堂には「チベットは叫び続け(screaming)、中国は殺戮を続ける(slaying)。国連はといえば、眠り続けている(sleeping)」と書かれた旗が掲げられた。

ボンベイでの チベット民族蜂起記念日
(ボンベイ)

今年の3月10日は偶然にもインドの祭事「ホーリー」(春の到来を祝う祭りで、道ゆく人誰彼を問わず赤い粉をかけ合う熱狂的な祭り)と重なった。しかし、「フレンドシップ・オブ・チベット」のボンベイ事務所は3月10日に最近では最も多くの人々の関心をひきつけるプログラムを行うことができた。

それは「禁じられた大地」と題された写真展で、インド鉄道社側がこの写真展を一般庶民にとって学ぶものがあると判断、インド鉄道社から写真展示に関して快く承諾を得て行われたものであった。「グチュスム」の提供により文化大革命時代の破壊、70枚にのぼる侵攻や現在のチベットの状況の写真がチャーチゲイト駅に展示された。

ボンベイの人口は千三百万人、チャーチゲイト駅利用客は通常数百万人。その中で、およそ十万人の人々が通りに足を止め、写真に関心を寄せ、興味深く見入っていた。中にはチベット国旗が気に入った人たちもいた。この展示は早朝5時から夜11時まで行われた。

<ネパール>

ネパールのチベット人ら チベット民族蜂起記念式典開催

(AFP通信)カトマンズ

カトマンズに何千人ものチベット人や僧侶が集い、42年前に失敗に終わった中国への反乱(チベット民族蜂起)を記念した式典を開いたが、中国政府への抗議は妨げられた。

警察が見守る中、亡命中のチベット精神的指導者ダライ・ラマの代理人がチベット人と中国政府の問題についての中道的アプローチを主張する声明を読み上げた。ネパールは、同国をチベット人の反中国活動の拠点にさせないことを中国に対して保証している。

式典には、米国外交官、高僧、地元のチベット社会の指導者、人権団体の代表らが出席した。

<日本>

東京で平和行進

チベットサポートグループネットワークジャパンは、チベット民族蜂起42周年を記念する平和行進を渋谷で開催、およそ150人のチベット支援者、在日チベット人が参加した。

一行は土曜の午後、渋谷の宮下公園に集まり、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表のザトゥル・リンポチェが、ダライ・ラマ法王の声明文を、ミラレパ基金日本支部の田原智子代表がその和訳を読み上げた。(ページ参照)声明文が読み上げられると、どこからともなく拍手がおこり、平和行進がスタートした。宮下公園から、繁華街の雑踏を抜け、渋谷駅で折り返し、宮下公園へと戻る行進は、今までとはかなり趣きの違うものとなっていた。サイレント行進である。
「チベットに自由を!」「中国当局のチベット人権侵害をやめて」などの訴えが書かれたプラカードを下げ、色鮮やかなチベット国旗をはためかせながら進む沈黙の集団は、静かで強い不思議な力を感じさせたようだった。
街行く人々の自発的な好奇心に訴えようというのが、今回初めて行ったサイレント行進の目的である。

平和行進が終わると、青山でティーパーティが行われ、ゲストスピーカーとして、ザトゥル・リンポチェ(前出)ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表、牧野聖修衆議院議員が挨拶。その後、サンドイッチとお茶、在日チベット人女性たちの手作りのチベットの伝統的なお菓子であるカプセ(小麦と砂糖を練ってねじれた棒状にして揚げたもの)を味わいながら、親交を深め、チベット支援の輪の結束を新たにしたようだ。

<アメリカ合衆国>

デモ隊が結集(ワシントン)

中国のチベット侵攻42周年を記念しておよそ150人が中国大使館前で抗議デモを行った。

「フリーチベット運動が強化され、中国が変貌を遂げた時、チベット人達が本当の自由を享受することができる」とインターナショナル・キャンペーン・フォア・チベット(ICT)代表者ジョン・アッカリー。
ICTは、アメリカ政府が中国政府と対談する際はチベット問題に強い支援を表明するようブッシュ政権に訴えている。抗議デモに参加していたチベット人のツェテン・ワンチュクは、ブッシュ政権が単にチベット問題に触れるだけでなく包括的政策を見出して欲しいと語る。一月にパウエル国務長官が上院委員会に「ダライ・ラマとチベット人の結束に関心がある」とコメントしたことで、デモ参加者には楽観的な見方をするものもいる。

チベットの精神的指導者ダライ・ラマが3月10日決起記念日に声明を発表。
「50年以上前にチベットは中国に占領された。何千ものチベット亡命者が出、40年以上が経っているが、三世代に亘るチベット人が苦難に耐え忍んでいる」

立法者等も支援者として声明を発表した。
「毎年、我々は3月10日のラサでの決起により何千ものチベット人が犠牲になったことを慎んで偲んでいる。この数年、中国政府は特にチベット仏教徒らに対して弾圧を強化している」と代表者のベンジャミン・ギルマンが述べた。

ヒューストンにてフリーチベットデモ

ヒューストンクロニクル (ヒューストン)

ヒューストン中国領事館前で40人がチベット決起記念日に際してデモを行った。毎年恒例のデモではチベット人、アメリカンインディアン運動のメンバーも参加、プラカード、旗を掲げ、チベットの政治・信教の自由を訴えた。

「オースティンには中国領事館がないためグループの殆どはヒューストンに来た」と亡命チベット人のダクパ・ギャルツェン。
ネパール、インドから再定住者としてアメリカに渡ったチベット人は多い。オースティンで司書をしているジェニファー・トーマスは一九九九年に定住者プログラムに携わり、それ以来チベット支援をしている。
「私はESL教師でチベット人に運転免許取得の教習をした」とトーマス。 また、グループのコミュニケーション スペシャリストであるキャサリン・グレシャムは、チベット国旗、ダライ・ラマの写真は現在、チベットでは禁止されていると説明した。
車のクラクションを鳴らしながら抗議をする人達もいた。ダライ・ラマの声明文が読まれ、ダライ・ラマがチベットでの国民投票を望み、チベット内が平和的、民主的に改革が行われるよう訴えることが伝えられた。

デモ行進が行われている間、中国領事館代表ユ・シンは「中国は13世紀にチベットが中国の一部であったと判断している。我々中国政府側はダライ・ラマと以前と変わらず対話を続けているが国際報道機関はそれを捉えておらず事実を伝えていない。ダライ・ラマは世界に宗教指導者として名を馳せているが、祖国を分断しようとしているところに問題がある。その部分で解決できる糸口が見つけられると思う」と述べた。領事館の外ではダライ・ラマの写真と共にチベット国旗が翻っていた。

<欧州>

欧州でデモ行進

AFP通信(ウィーン)

警察によると、この土曜日、ヨーロッパ全土から2千人がウィーンに集まり、チベットの人々が中国の占領に対して起こした1959年3月10日の反乱を記念して、デモ行進を行った。

デモ参加者らは「チベットに自由を」と唱えながら、警察の厳重な警護を受ける中国大使館へと行進した。 参加者らは、ジュネーブで開催される国連人権委員会で、チベットにおける中国の人権侵害を非難する決議を支持するよう、欧州連合に訴えた。デモ参加者の中には、亡命中のチベットの精神的指導者であるダライ・ラマの代理人を務めるチュンダック・コレン、1997年度ノーベル平和賞受賞者メイリード・マグワイヤ、米国に亡命中の中国人ハリー・フーらが含まれていた。

(ブタペスト)
ブダペストの今年3月10日の記念日は、とても勇気づけられるものだった。
「チベット・デイズ」という一連の文化イベントのほか、私達は約200人の参加者とともに、中国大使館の前でデモをした。注意をひきつけるために1時間ドラムを鳴らした後、ブタペスト仏教大学学長がダライ・ラマ法王のメッセージを読み上げ、ハンガリー急進党のマリーナ・シコラはチベットでの状況を語り、亡命チベット人の代表は、チベットの人々に向けられたデモ参加者の団結心に謝辞を述べた。
スピーチ後、人々は熱烈に拍手しながらチベットの旗を大使館の壁に掲げた。数年ものあいだ一度も人前に姿を現したことのない大使代理が腹立たしげに旗を取り去るよう、私達と警察に命じたが、どちらも命令を却下。約1時間後、政治的手段が取られ、消防隊が旗を除去した。

同夜、なかなか近づくことのできないブダペストの重要建造物4つに旗が掲げられた。その建造物とは、「チェーンブリッジ」、「自由の橋」、「自由の像」「聖ゲラート像」である。うち3ヵ所からは、翌日の昼には取り去られたが、「チェーンブリッジ」にはなんと、3日間も旗が翻っていた。