ニュース

ニュース

最新ニュース

これから開催するイベント

ムンゴッドFCがタシリン・ポカラを破り、 2015年GCMゴールド杯をつかむ

Print Friendly, PDF & Email
2015年6月11日
ニュースフラッシュ

 

ダラムサラ:国際サッカー連盟が汚職と批判の波にさらされる中、チベットサッカー界は待ち望んだ年1回の大会、GCMゴールドカップトーナメントを迎えた。2015年5月30日から6月10日まで、ダラムサラのアッパーTCVサッカー競技場で開かれた。

世界中のチベット人コミュニティーから来た28チームがタイトルを狙い、12日間に渡り、チベットの何千ものサッカー愛好者に質の高い試合を見せた。

決勝戦は昨日、ムンゴッドFC対タシリン ポカラで行われた。両チームは、予想をはるかに超えるパフォーマンスで、亡命チベット人コミュニティーで最大のスポーツイベントを見ようと集まった4000人強を沸かせた。

約1時間半の試合後、今回最も若いチームの一つ、ムンゴッドFCが2-1でタシリン ポカラを下した。

優勝チームは10万ルピー、準優勝は7万ルピーを得た。

ロブサン・センゲ主席大臣、民主的に選ばれたチベットの人々のリーダーは、主賓として決勝を観戦。チベット中央政権の高官らも共に楽しんだ。

主席大臣は参加28チームの健闘を称えた後、チベットナショナルスポーツ連盟が、スポーツを通じ、健康と運動の大切さを伝える努力を続けていることに、謝意を示した。「健康は、心身の発達に重要な役割を果たす。体力的に良い状態なら、物事は運びやすくなり、私たちチベット人の闘いに良い影響をもたらすだろう」と話した。

また彼は、スポーツは、結束をもたらす重要な要素の一つだとした。結束は、チベット亡命政権の現顧問会議が掲げる3つの指導原則の一つ。実際、チベット人居留地における運動場の新設、改修に80万ルピーを割り当て、住民の健康増進と、チベット人居留地の持続という2つの目的を達成しようとしている。

ギャル・ユム・チェモ・メモリアル(GCM)ゴールドカップは、ダライラマ法王の亡き母に捧げ、年一回開かれる。大会はチベットナショナルスポーツ連盟(TNSA)により運営される。

チベットと“美しいゲーム”


サッカーは美しいゲームとも呼ばれる。チベットには20世紀初頭のダライラマ13世の時代に持ち込まれた。グレート・ゲーム時代、ロシア帝国の中央アジア進出が高まり、大英帝国のヤングハズバンド使節団がチベットに遠征。サッカーも共にやって来た。

大英帝国とインド人兵士たちは、ギャンチェの英国貿易代理店でサッカーをしていた。1913年、ラサで英国の軍事教習が始まり、軍と警察の近代化が行われ、結果として1920年代初頭にはチベットでサッカーが盛んになっていった。それは1949年の中国支配まで、続けられていた。

1950年代にはいくつかの有名なチームーラサ、ポタラ、ドラプチと護衛隊によるチームなど―が誕生した。これらのチーム間、中国軍との間で度々試合が行われた。

中国のチベット支配と、それによって1959年にダライラマ法王が亡命生活に入った後、中央チベット政権は亡命者たちの保護のために設立された。

行政府が確立すると、学校も設立され、そこではサッカーが最も人気がある遊びの一つだった。子どもたちのサッカーへの情熱は、ボールに熱中させ、支配と亡命によって自分たちの国を失った喪失感を紛らわせてくれた。

それから、学校間のトーナメント戦が定期的に行われ、世代を超え、観戦者に興味と情熱が広がっていった。

1981年、ダライラマ法王の亡き母を記念する、クラブチームレベル初のトーナメントが開かれた。それが今日知られているギャルム・チェモ・メモリアル(GCM)ゴールドカップで、チベット人コミュニティーでは最大の大会になっている。他にも、インド、ネパール、そしてブータンのそれぞれの居住区でもトルンカ杯、ロサル杯といった幾つかの大きな大会が開かれている。

チベットナショナルチームは、国外のクラブや団体による招きで、世界各地でプレーしている。しかし、チベット人コミュニティーのサッカー人気とポテンシャルにも関わらず、国際サッカー連盟(FIFA)は認知していない。FIFAは今、汚職と身内びいきへの弁明に必死になっている。


(翻訳:Kafumi N.)