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チベット民族蜂起54周年記念日におけるロブサン・センゲ主席(シキョン)の声明

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(2013年3月10日)

1959年の今日、チベットの三域(ウーツァン、カム、アムド)すべての、あらゆる階層の何千ものチベット人が、チベットを侵略し占領した中国に抵抗するためにチベットの首都ラサに結集しました。私たちは、豊かな独自の文化を築いてきた2000年以上のチベット史のなかでも、この悲しくも歴史的な瞬間が生んだ子供です。本日私たちは、先達の皆様が無私に始められた勇気ある闘争への決意を新たにすべくここに集まりました。チベットのために命懸けで尽くしてくださったすべての皆様に謝意を捧げます。1959年3月10日を新しい時代のはじまりとすべく先達の皆様を突き動かしたのは、自由への渇望でした。私たちは今日、この自由への渇望をかがり火として、自由、尊厳、アイデンティティーという基本的人権を求めて闘っています。

チベットで弾圧と憤りの悪しき循環が続いていることは、自身の身体に火を放ったチベット人の、その暗澹たる数が証明しています。2009年以降、107人のチベット人が焼身抗議を行ないました。これには中国共産党の第18回党大会直前の、2012年11月に起きた28件の焼身抗議も含まれています。悲しいことに、これまで90人が亡くなっています。これほど高い代償を伴う抗議は、近代世界史を振り返ってもおそらく前例がないでしょう。焼身抗議者の多くは僧侶ですが、遊牧民や農民、学生などあらゆる地位の、あらゆる範囲の人たちです。出身地もラサをはじめ、ウーツァン、カム、アムドのチベット三域すべてです。私たちは今日というこの日を、すべての焼身抗議者とチベットのために亡くなられた方々に捧げます。

チベット人を焼身抗議へと追い込んでいるのは、第一に、中華人民共和国政府によるチベットの占領と弾圧です。チベットの人々は、チベット人のアイデンティティーであり尊厳でもあるチベット仏教が作り上げてきた文明が、絶えず中国の攻撃にさらされているのを自分の目で見、経験してきました。彼らは、中国政府がダライ・ラマ法王を悪鬼呼ばわりしていることに深い憤りを抱いています。中国人移住者がチベットになだれ込み、チベット人の仕事や土地、そして未来そのものを取り上げ、チベット人の市街が中華街へと変貌していくのを、危機感をもって見つめています。何十万もの遊牧民が草原を追われ、強制居住区に定住させられていることにも反発しています。以前はそれなりに満足して暮らしていた家族がどんどん貧しくなっているからです。植民地的な開発事業によって、何十億ドルにも相当するチベットの天然資源が、資源に飢えた中国へと運び去られるのを、彼らは見ているのです。このような政策は、「中国は、チベットは欲しいがチベット人はいらない」という不審を容易に抱かせます。

しかも、このような侵害行為にわずかでも異議を示したチベット人は、治安部隊の手による失踪、長期間の投獄、拷問、公の場での辱めのリスクを負うことになります。平和的抗議の禁止と残酷な刑罰が、チベット人を焼身という抗議手段に追い込んでいるのです。沈黙して中国当局の言いなりになるよりも、命を絶つことを彼らは選んでいます。焼身抗議者を犯罪者扱いし、その家族や友人をでっちあげの裁判で迫害するという中国当局の最近の試みは、焼身抗議—迫害—さらなる焼身抗議という悪しき循環を長引かせかねません。

チベット亡命政権内閣(カシャック)はさまざまなメディアを通して、焼身というかたちでの抗議を断固として思いとどまるよう、チベット本土のチベット人に絶えず呼びかけてきました。命は尊いものです。我々は人間として、こんなかたちでだれひとりとして死んでほしくないのです。また仏教徒として、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしています。さらにチベット人として、チベット本土のチベット人の希いが適うよう努めることは、内閣の責務であるとかんがえています。その希いとは、偉大なるダライ・ラマ法王のチベットご帰還、チベットの人々に自由が与えられること、チベット人がひとつの国で暮らせるようになることです。

この残酷な惨事を終わらせることのできる唯一の方法は、中国がチベット人の希いを尊重し、現在の強硬なチベット政策を変更するほかにありません。

内閣は、中道のアプローチに全力で取り組んでいます。中道のアプローチによって、チベット人にとっての真なる自治を求め、チベット問題を解決しようとしています。ダライ・ラマ法王14世は、中道のアプローチがもっとも実現性のある不屈の政策であることを証明してこられました。チベット亡命政権議会は、慎重な審議を重ねて満場一致で中道のアプローチを採用しました。中道のアプローチは、チベット内外のチベット人に支持されています。主要国の政府や世界中の指導者、ノーベル賞受賞者からも高い支持を得てきました。とりわけ中国人の有識者や学者、執筆家の皆様には、共感し支援してくださる方が増えています。

内閣が現段階で望むことは、中国の新政権が、この事実に即して具体的に考えられた政治的アプローチを、チベットと中国の双方にとって有利な、双方にプラスとなる解決策として捉えてくれることです。2002年の対話再開は、チベット問題の平和的解決という希望の灯をチベット人の心にともしました。残念ながら、現在の対話の行き詰まりによって希望の灯は揺らいでいます。

チベットは、中華人民共和国政府にとって憲法上の問題でも制度上の問題でもありません。中華人民共和国憲法第31条にあるように、中国は、一国二制度という独立した制度の仕組みを香港とマカオのために作りました。また中国指導部は、閣僚レベルの委員会を設置し、台湾(中華民国)に対する政治的意志を示してきました。しかしながらチベットのこととなると、中国指導部は適用可能な憲法上の制度の採用はおろか問題を平和的に解決していこうとする政治的意志も示していません。我々側は、内容が第一、方法は第二とし、いつでもどこでも中国指導部との意味ある対話に入る用意ができています。

チベット問題を解決するための公正かつ永続的な方法を見つけることは、世界中の人々の関心事でもあります。チベットは最古の文明国のひとつであり、アジアを流れる10本の主要河川系の水源である氷河を有すことから、南極、北極に次ぐ「第三極」とされています。チベット問題を解決することにより、チベットの水を頼りに流域で暮らす10億を超えるアジアの民の平和と繁栄に貢献できます。チベット問題を迅速に解決することは、世界に向けたひとつのメッセージとなり、同時に、非暴力と民主主義にしっかりと錨を下ろしたチベット人の闘争は、自由を求めて闘っている世界中の人々にとってひとつのモデルとなります。最後に、チベット問題の解決が中国の温和化に向けての触媒となる可能性を有しているのも重要な点でしょう。

偉大なるインドの皆様、ならびにインド政府に、衷心より感謝を申し上げます。またチベット人を支援してくださるすべての政府、国際機関に対し、心から感謝を申し上げます。チベット支援グループならびに個人的に支援してくださる世界中の皆様に、寛大で揺るぎないさまざまな支援に感謝申し上げます。同時に内閣は、今こそ、各国の政府ならびに国際社会に具体的な行動を起こしていただき、中国政府がチベット亡命政権との意味ある対話に入るよう、働きかけていただく時が来たとかんがえています。

国連人権高等弁務官が求めているチベット訪問が許可され、外交団や国際メディアのチベット訪問が可能となるよう、国際社会から中国政府に働きかけてください。これが唯一、チベットで起きている惨事を明らかにし、焼身抗議を終わらせることのできる方法なのです。

内閣は、2013年を「チベットとの団結(Solidarity With Tibet) キャンペーン」の年として告知してまいりました。世界各地でさまざまなイベントが平和的かつ厳粛に、ルールにしたがって催されます。去る1月30日には、何千ものチベット人とインド人の友人がインドのニューデリーに集いました。これは亡命チベット議会が主催したキャンペーンで、4日間にわたって開催されました。さまざまな宗派や党派を代表するインドの卓越したリーダーが出席され、チベットのために行動すると約束してくださいました。本日、ベルギーのブリュッセルでは、「チベットのための欧州団結集会(The European Solidarity Rally for Tibet)」が開催されています。また今月には、北米や欧州をはじめとするさまざまな地域で、「チベットのための請願キャンペーン(Tibet Lobby Days)」が催されます。かならず伝えていただきたいメッセージは、「政権委譲(Devolution)」、「民主政体(Democracy)」、「対話(Dialogue)」の三つです。

チベット史上もっとも暗い時代をいかに耐え忍ぶか、それが今後の私たちの民族性となります。偉大なるダライ・ラマ法王14世の啓蒙の下、私たちはこれからも並はずれた団結力と回復力と尊厳をもってこの逆境に立ち向かってまいります。ダライ・ラマ法王のご長命を、私は切に祈念申し上げております。

チベット内外のチベット人からの支援と団結は内閣にとって励みであり、深く感謝しています。団結、信頼、革新を指針とし、内閣は、全チベット人の共通の希いの実現に向けて取り組む所存です。そうすることで、自由と尊厳という、受けて然るべき権利を一日も早く享受できるものと確信しています。

最後に今一度、チベットにいる私たちの兄弟姉妹に敬意を表します。

2013年3月10日
ダラムサラ


(翻訳:小池美和)