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チベット亡命政権は、タナク・ジグメ・サンポの釈放を歓迎する(声明)

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2002年4月7日
ダラムサラ

チベット亡命政権の声明文

2002年3月31日、チベットの最長服役の政治囚タナク・ジグメ・サンポ(以下、ジグメ・サンポ)が、30年以上服役した後、治療目的で仮釈放されたと報告された。

報告によれば、76歳のジグメ・サンポは、ラサの小学校で教鞭をとっていた1960年に、反動的な思想で子供たちの心を堕落させた罪で初めて逮捕された。1964年、彼はチベット人に対する中国の圧制に対しコメントを述べた罪で2度目の判決を受け、サンイプ(Sangyip)刑務所に3年服役する。

1970年再び、反革命的プロパガンダを流したと10年以上の刑を宣告される。ジグメ・サンポは、チベットを脱出しようとした姪を通じてダライ・ラマ法王に中国の残虐行為についての報告書を送ろうとして捕まった。53歳のジグメ・サンポは、1979年釈放されたがほどなく、ラサから60キロ離れたネータン(Nyethang)にある労働改正所の第1ユニットに移送された。

1983年9月3日、ジグメ・サンポは、中国当局に対する抗議を「個人的に書いた」ビラをラサのジョカン寺の山門に貼った罪で再び逮捕される。そして、1983年11月24日、「反革命的なプロパガンダを流布し扇動した」罪で15年の懲役刑及び5年の政治的権利の剥奪の判決を受ける。

1991年12月6日、ジグメ・サンポは、大胆にもまた個人で抗議をしようとした。スイス代表団の公式訪問の際、この機会のために特別に憶えたフレーズである英語の「フリーチベット!」、さらに中国語とチベット語でスローガンを独房から叫んだのである。当局は、代表団にジグメ・サンポが叫んだこの事件を「彼は気が狂っている」と言って説明しようとした。

ジグメ・サンポは、その後、1992年4月4日、さらに8年の懲役刑、3年の市民及び政治的権利の剥奪を受け、合わせて28年の懲役刑となった。つまり、2011年9月3日でようやく釈放となり、刑務所で41年を過ごすところだったのである。

「私はチベットの最長服役の政治囚を釈放した中華人民共和国のこの決定を歓迎する」とチベット亡命政権の主席大臣のサムドン・リンポチェ教授は述べ、さらに続けた。

「しかし、これが中国当局による名目だけのジェスチャアでないこと、さらに中国がチベットの政治囚の酷い状態について真剣に取り組むことを希望する」

「私たちは中華人民共和国が、様々な刑務所で衰えている他のチベットの政治囚を釈放するよう強く求める。また中国の首脳陣が勇気を持ち賢明であるよう、そして交渉を通じてチベット問題を解決するというヴィジョンを持つよう心から希望する」と付け加えた。

「私はこの機会を通じて、タナク・ジグメ・サンポの釈放のために骨を折って尽力したチベット支援団体、人権擁護団体、海外の国会議員や政府の各人に感謝の意を表したい」と主席大臣のサムドン・リンポチェ教授は締めくくった。