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チベット亡命政権、タクツェル・リンポチェの死を悼む

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(2008年9月6日 Tibet.net )

チベット亡命政権は、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所元代表でアムド地方にあるクンブン僧院長であったこともあるタクツェル・リンポチェ・トゥプテン・ジグメ・ノルブ(以下、タクツェル・リンポチェ)の喪に服します。

タクツェル・リンポチェはダライ・ラマ法王の長兄にあたり、長く病床にあられましたが、今年9月5日、米国インディアナ州にある自宅で息を引き取られました。御年86歳でした。

チベット亡命政権省庁及び関係オフィスは、チベットの文化遺産の存続とチベットの民の希望実現に全生涯を捧げられたタクツェル・リンポチェに敬意と感謝を込めて、本日(9月6日)午後から喪に服して閉館、午後2時より一時間の祈祷式を行います。大臣はじめチベット亡命政権の高官は本祈祷式に出席します。チベット亡命政権首相のサムドン・リンポチェはタクツェル・リンポチェのご逝去の悲報に際し、遺族に哀悼の意を表しました。

タクツェル・リンポチェは、3歳でチベットでは有数のクンブン僧院(アムド地方)の僧院長の生まれ変わりと認定されました。このように弟君であるダライ・ラマ法王のご生誕前に、チベット仏教界の高位に既に就かれていました。

1950年、ダライ・ラマ法王がまだラサにいらっしゃる時、中国の高官らはタクツェル・リンポチェにチベット統治権を譲渡することを引き換えとして、ラサに赴いてダライ・ラマ法王にチベットの「平和的開放」受諾を説得するよう催促しました。これを受けタクツェル・リンポチェは、ラサに赴きダライ・ラマ法王に会うことを暫定的に承知はしましたが、途中で中国側の見張りを逃れ、ダライ・ラマ法王にチベットにおける中国の影響について深い懸念を示唆しインド国境に退去されるよう強く勧めたのでした。

こうして、タクツェル・リンポチェは1950年代にチベットを離れ、それから才能に富んだ息の長い著述家として、数々の学術著物を執筆され、学術的にも信頼性の高い自伝”Tibet is my Country”を含むチベットに関する書物を上梓されました。米国インディアナ大学にてチベット学の教授として教鞭をとり、同地にて1979年、チベット文化センターを創設しました。

タクツェル・リンポチェは、不屈の精神でチベット文化の保護とチベット人の権利を訴えてきました。毎年、北京オリンピック開催の今年も、チベット人の苦境を世界に訴えるため、長距離の徒歩や自転車での行進に参加されました。既婚で三人のご子息がいらっしゃいます。

タクツェル・リンポチェ Courtesy: Jeremy Hogan, Herald-Times.

 

9月6日、祈りを捧げるチベット亡命政権職員たち