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チベットの聖なる巡礼:五体投地

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2001年11月15日
ラサ・チベット(ニューヨークタイムス)

まだ残雪が残る今年6月に、チベット北部の人里離れた山岳地帯からヤク飼いである24歳のジョアマと彼女3人の従兄弟は、人生で最も壮大な巡礼の旅に出発した。

特別な儀式もなく、彼らは出発した。「ただ出発しただけ」とジョアマは思い出す。4人はマントラを唱えながら手を天に上げた。そして膝を地につけ、湿った地にひれ伏すように体を前に投げ出す。それから立ち上がり、小さな3つの手順の後、同じ動作を繰り返す。

5ヶ月以上、彼らはこのように毎日、文字通り這うようにラサとそこにある聖なる寺院に向かっている。彼らはゆっくりと、標高4,200mの世界で最も厳しい地域を、160キロ以上も進んだ。それから高地の道路に沿って、320キロ以上をラサに向けて進んだ。

彼らは11月初旬にラサに着いた。チベット仏教の最も重要な寺院であるジョカン寺内部に詣る前に、ここのところ彼らはジョカン寺の周辺の3つの神聖な順路に沿って、人混みの多い歩道を這っている。

多分この街でだけは、道端でのこのような光景に、ほとんど誰も気をとめないのだろう。毎年何千ものチベット人がこのような巡礼を行っている。それ以外にも、バスやトラクター、または、何ヶ月もかけて徒歩で多くの巡礼者が聖地ラサを訪れる。

仏教への信仰は、若者の間や都市部では減少している。しかし、毛沢東の文化大革命による仏教寺院の破壊や、それ以来続く仏教寺院の人事や活動への干渉、中国共産党による亡命中のダライラマへの非難、また、現代的な文化の流入の増加にもかかわらず、草原や山間部には、仏教への信仰を持ち続ける多くのチベット人が残っている。

「これは人生の夢だった」とジョアマは道端で休憩中にお茶を飲みながら語った。「私はまだ結婚していないので、時間があったの」と続けてた。

ジョアマと彼女の仲間は、11月後半にジョカン寺を巡礼を済ませた後、(ジョカン寺近くの)まず、ポタラ宮殿の周りを巡礼し、内部に詣でる。 ポタラ宮殿で、彼らは先に歴代ダライ・ラマの墓地に詣でた集団に合流する。ダライ・ラマとは、チベット仏教でもっとも尊敬される転生する指導者であり、何世紀にも渡り、丘にある堂々とした建物に住み、役目を果たしてきた。

ポタラ宮殿では、他の多くの巡礼者がするように、彼らはダライ・ラマ14世が使用していた椅子に額をつけるだろう。ダライ・ラマ14世は1959年に中国人民解放軍が市民蜂起を弾圧した時に中国から亡命した。

ダライ・ラマ14世が亡命してから40年以上が過ぎてるが、彼の存在は明らかに残っている。ダライ・ラマへの崇敬は、中国政府がダライ・ラマのイメージを排除するキャンペーンの際に注目されるだけである。

「ダライ・ラマの写真をください」とナクチュの店番の女性がささやくように言った。ナクチュはラサ北東200マイルの町で、多くの巡礼者が立ち寄る。「(写真を)一枚もっているけれど、もう一枚必要なの」と彼女は言う。警察との問題を恐れて、近所の人たちは写真を処分してしまったと彼女は付け加えた。

ラサや多くの場所ではダライ・ラマの写真が目に付くところに掲げられている。しかし、これは信心深いチベット人と当局との終わることのない意志を試すテストへの裏切りである。当局はチベット人が宗教の自由を謳歌していると主張している。しかし、「分離主義者」と欺瞞的に呼ばれるダライ・ラマへの忠誠が含まれない限りという条件付きである。

今日、禁じられているダライ・ラマの代わりに、チベットの多くの寺院、店または個人宅では、チベット仏教で第2位の地位にあるパンチェン・ラマ10世の写真が掲げられている。パンチェン・ラマはチベット人から深く尊敬されてきたが、死亡してから12年が経っている。

パンチェン・ラマの写真を掲げることで、チベットの人々は、中国政府の彼の後継者を管理しようとする動きに対して憤りを表している。1995年に亡命中のダライ・ラマがパンチェン・ラマの転生者が発見されたことを発表したが、それ以来中国政府はその少年を軟禁している。中国政府は、探索の責任者に他の転生者を選ぶように強制したが、多くのチベット人はその転生者を認めておらず、その写真はどこにも掲げられていない。

ダライ・ラマの写真を隠し持っている巡礼者もいるが、彼らの内なる忠誠心がどうであると、困難な巡礼の旅が政治的な目的で行われているわけではない。巡礼者がダライ・ラマの空いている椅子に触れるとき、怒りよりも悲しみを感じているように見える。むしろ、彼らはプライドを捨てることにより近づける内なる調和を求めている。そして、平伏すること(五体投地をすることが)が、究極的な服従のシンボルであるようである。

「これは巡礼をする一番の方法だ」と41歳のツェレンドゥバ歳が言う。彼は、40日間の五体投地での巡礼の旅の後、ラサ北部で、目的地まで240キロの道端で他の9人の男女と共に野営していた。そのグループもまた遠くの山岳地帯の村からやって来た。多分、彼らのラサ到着までにあと90日はかかる。それまでに厳しい冬がくるであろう。

「この方法で移動することは、完全な献身をあらわす」と、昨晩積もった雪に反射する太陽のために伏し目がちになりながら彼は語った。「一日の終わりには、体中が痛い。しかし、ラサにたどりついて、寺院に詣でることができればとてもすばらしいだろう」

彼らのグループのうち18歳から60歳までの7人が五体投地をおこなう。他の3人が手伝いとしてテントや食料を積んだ台車を引いていく。これは標準的な取り合わせである。背中に荷物だけをしょって、道中施しを受けながら進んでいくグループもいる。

ツェレンドゥバが出発の準備をしている。幸運な7人は、膝を守るための革製のエプロンと、腕を守るための厚い手袋をつけている。

多くの他の巡礼者のように、ツェレンドゥバは仏教教典に精通しているわけではない。ただ、彼は信じることと感じることを知っている。なぜ、こんな困難な巡礼な旅をするのか尋ねると、彼は肩をすくめながら「ただ、来世がよくなればと思ってこんなことをしている」と答えた。

彼らは、ラサでの巡礼を終えた後、ヒッチハイクできるようなトラックを見つけて家に帰るという。「ただ家に帰るだけだ」と彼は言う。