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チベットの神秘的な芸術

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2002年1月22日
米・コネチカット州(ハートフォード・クーラント オーエン・マークナリー記者)

ストーズのベントン博物館での開かれていた、旧世紀の聖俗にわたる仏教芸術展が幕を閉じる

サルバトーレ・スカローラ・ベントン博物館館長は、ずらりと並んだ優美で神聖な仏教芸術や儀式道具の鑑賞をしにストーズのウィリアム・ベントン博物館にやって来た多くの人々に対して、これらの精神的な悟りのようにとらえにくい展示品を理解できるとは何も約束はしていない。しかし、スカローラ館長は、こうした芸術の力と輝きを用いることにより、世界の文化の多様性を広げて行く力となることを信じて疑わない。また、「チベットの神秘的芸術」という名で世界中で行なわれた名高い展示会が、チベット仏教芸術の並外れた価値、つまり、その純粋な美、複雑で奥深い歴史、伝統的な風習や習慣、およびその文化的価値が、コネチカット住民の意識を高めるだろう、とスカローラ館長は強く感じているのだ。

特に、中華人民共和国によるチベットへの半世紀以上にわたる圧制と文化的大虐殺について、スカローラ館長は次のように述べる。

「1950年代以来、100万人以上のチベット人が、中国共産主義者によって殺され、3,000以上の仏教僧院が破壊されてきた。僧や尼僧に対して、集中的に残虐行為が行なわれ、チベット文化を破壊するために、母国語にも攻撃の手が伸びた。この展示において保存している古代の神聖な芸術と慣習を含むチベット仏教の伝統は、亡命して生き延びた人々に受け継がれなければならない」

この展示には、ダライ・ラマの許可を得た30のダライ・ラマ個人の神聖な品々も含まれ、108の伝統的芸術品が展示されている。数世紀前の古い水彩絵の具で描かれた23枚のタンカ、12個以上の青銅の像、祭壇、祈り用の数珠玉、ダライ・ラマが身につけた礼服、金箔を貼った銀製や青銅製の多くの儀式道具などもこの展示に含まれる。

フリーチベットを支持する仏教徒のハリウッド映画スターによって設立された、非営利のリチャード・ギア財団は、この展示会に協賛しており、展示会は、ストーズのコネチカット大学構内のベントン博物館で、本日から3月15日まで開催される。

 

少なくとも西洋人が最も惹き付けられるのは、すぐに掛けることのできる布の神聖な巻物で、絹や綿の枠に入ったすばらしいタンカ(仏画)だ。 「もし、チベットの山に登ったら、タンカを巻き、自分のバックパックに入れることができるだろう。目的地に着いた時、タンカを広げると、タンカが持ち運びのできる芸術作品となる」とスカローラ館長は述べる。少年時代にシチリア島でカトリック教育を受けた彼は、象徴主義の絵画に傾倒しているとのことだ。

 

展示会は、仏教の実践を行うことはもちろん、大衆に鑑賞してもらうことも目的としているが、本質的には、世界の文化と信仰について、初心者がより深く学んだり興味をもつ機会となることを目的としている。十分な知識がない人にとって、これらのタンカは、眩惑させる空想世界に根ざした夢のような偶像を描写しているかのようだ。タンカは、空想家やウィリアム・ブレイクのような詩人による夢想とは違い、夜に、神秘的な虎が光を放つことさえあるのだ。タンカは、虎や象に乗り、王位についた神聖な姿や勇敢で並外れた神性が描かれた1つの宇宙だ。ペットにしたいような素晴らしい人懐こそうな雪獅子(スノーライオン)も描かれている。

しかし、恐ろしいものも描かれている。不思議なことだが、瞑想的な絵画には恐ろしい生き物が描かれているが、我々を怖がらせるわけでなく、毎日の死に対する脅威から守ってくれる。これらの悪を描くことによって、怒りに燃えた顔をしている慈悲深いキャラクターは、必ずしも外見だけで判断してはならないということを示している。例えば、剣は、人間の腹を裂くための道具ではなく、無知や人間に共通な弱点を打破するために作られ、魔力をもっている。そこには、生、死、再生という実存に関する問題に対して、あらゆるところに深い一瞥のドラマがある。

我々を守るために肉体的に苦痛を与える「守り神」の1人、ダルマの庇護者は、彼女の濃くて黒い眉に皺を寄せることなく、ラバに乗って、大きな炎の中を走る。暗号化された文書や非仏教徒用のカンニングペーパーの一種である壁のラベルは、釈迦が蓮の花から誕生したというよく知られている話、日常生活に生じる糞から驚くほど生じる利点などを表現している。

描かれた事物の中心にあって、何世紀も前から伝わる肖像や物語を用いたこれらの作品は、瞑想のための道具として使われる。

「古い世代から新しい世代へと、同じ手法を伝えていくことは、芸術家にとって重要だ」と、来賓の館長仲間のアン・ノートンは述べる。仏教学の専門家で米国正公会会員であるノートンは、プロビデンス・カレッジにおいて、芸術・美術史部門の主任教授、アジアの研究プログラムの指導者、美術史の助教授だ。

「一層高い水準に達するために、何度も繰り返し唱えるマントラのようだ。少し西洋風に言うと、「主、イエス・キリストよ」「主よ、ご慈悲を」と繰り返し唱え続け、神聖な状態に達することができる。ある意味、同じ崇拝の方法だ。自分の心を正しい状態し、保つことになる。これらのタンカは、単にリビングルームのソファーに掛けて美しく見せるために描かれたものではない。タンカは、神聖な芸術であり、より高い智慧に近づくために、タンカを見るあらゆる人を助けるものとして、意図して描かれている。もちろん、描かれる過程で、タンカをできるだけ美しく描きたいとも思う」とノートンは述べる。

天才や個人として芸術家を賛美するルネッサンス以来の西洋の伝統とは違って、チベットの神聖な芸術は作者が不明だ。金と名声主義に取り付かれたアメリカの芸術市場とは大違いで、アンディー・ウォーホールやジャクソン・ポロックのように過激な刷新者やスーパースターもいない。

しかし、西洋の中世でも、無名の芸術家が、クリスチャン芸術の中枢をなしており、名もない僧が神聖な文書が放つ光につつまれ、あくせく働いていた。

神聖な芸術の宝の収集によって、ベントン博物館は、作品で埋めつくされた格調の高いブティック店のようだ。裏のギャラリーには、インドやネパールに亡命中で、伝統を守り続ける現代のチベットの芸術家による最近の作品が展示されている。特に、肖像画やその様式は、その伝統が岩にように堅く保たれている。正面のギャラリーで、1600年代半ばのタンカを見た後、裏のギャラリーに展示されている最近の作品を比べてみると、伝統が受け継がれていることがわかる。神聖な肖像、様式、物語は、何世紀にもわたって受け継がれ、決してその流れは途絶えていない。

ベントン博物館のミニ音楽部門のコーナーは、心を癒し、瞑想にふける音楽を作り出す寺院の楽器が収められている。これらの楽器は、新しい時代の音楽の源だ。儀式の際に用いられるシンバルと共に使われる、4メートル近くあるホーン(ドゥンチェンdung-chens)は、先が重く、その重低音は、象を呼ぶのに使う音に似ていると言われる。長いホーンの横には、金属の大腿骨のトランペット(カンリンkang – lings)が展示されている。これらの骨質の形を見ると、無常と必ず来る死と同様に、生身の演奏者と聴衆を必ず思い出す。

精神的な象徴主義が、表面上、日常生活にある世俗的な物に溢れている。結局は踏まれてしまう質素なじゅうたんでさえ、雲に住み、雷鳴を轟かせる龍が描かれ、惜しげなく装飾されている。別の敷物は、蝶が誕生から成長していく変化に喩え、美が醜さから生まれることが表現されている。

最後の展示会の場所となったベントン博物館は、スカローラ館長をこの上なく幸福にした。1つ不平を言うなら、展示会を開いた時に、ダライ・ラマをコネチカット大学構内へ招くことができなかったということだ。