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ダライ・ラマ法王、中国人主催のカンファレンスでチベット・中国関係について発言

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(2011年7月11日)

(米国ワシントンDC)去る7月10日朝、法王はヴェリゾン・センターに向けて出発し、カーラチャクラの儀式の準備を行い、その後、「民主中国とチベットの将来」と題したカンファレンスに出席した。カンファレンスの開催者であるプリンストン・チャイナ・イニシアティブのチェン・クイデ博士が、まず法王を参加者に紹介。次にマイクを取った法王は、チベット・中国関係は数千年の歴史を持ち、そのあいだには、友好的だった時期も敵対的だった時期もあった、と語った。

また、現代中国については、1954年から55年にかけての北京訪問の際には、良い感情を持ち、信頼感を抱いたという。また、1955年北京からラサへの帰途に、人民解放軍将軍であった張國華と会談し、張に対し、「震えながら北京に出かけたが、希望と信頼を持って帰路に着いている」、と語ったことを明かした。

法王はマルクス主義と社会主義に興味を抱き、実際に中国共産党への入党希望を表明したという。しかし、当時、国家民族問題委員会の長を務めていた劉格平は、「焦ることはないですよ」、と法王を諌めたという。「きっと劉朋友は、その後、共産党がどうなるか、分かっていたのでしょう」と、法王はジョークを飛ばした。今日の中国共産党は腐敗をはじめとする問題に直面しており、「資本主義の共産党」になってしまった、と述べた。チベットとの関係だけではなく、中国という国全体が問題含みである。こうした問題は、中国の一般民によって解決されるべきだ、世界が人類のものであるように、中国は中国の民のものであり、国家の究極的な所有者は民衆なのだから、と述べた。

中華人民共和国建国後の数年間、共産党は、とりわけ労働階級を中心に、民衆の幅広い支持を受けたが、もし、今日、中国国内で、民衆の共産党に対する見方を中立的な立場で調査をしたら、結果がどうなるかは分からない、と法王は述べた。13億人の中国民衆は、現実を知る権利を持ち、物事の正否を判断する能力があるのだから、検閲を行い、偏った情報を流布するのは道徳的に誤っている、と述べた。

力と暴力で問題解決を図ることはできない、と法王は述べ、2008年のチベット蜂起、2009年の新彊地区の反乱、そして、現在進行中の内モンゴルの問題を挙げ、大切なことは、真実を理解し、それに対する対処を行うことである、と述べた。
法王は、チベット問題においてさえ、現実は目に触れることがなく、偏った情報が流布されている、と述べた。たとえば、中国当局は、2008年に法王のことを、「悪魔」呼ばわりした。チベット人の兄弟姉妹である中国の人々はチベット問題の真実を理解し、問題解決のための支援をして欲しい、と述べた。

また、法王は、先のチベット亡命政権主席大臣選挙に伴う、自らの引退に触れた。2001年にカロン・ティパの直接選挙のプロセスがスタートして以来、自身は半隠居状態にあるが、今年行われる制度変更により、ガデン・ポタン政権による統治は完全終了する、と述べた。法王は、亡命チベット人による選挙でロプサン・センゲ博士が新主席大臣に選出された、と述べ、法王に並んで壇上にいるセンゲ博士のことを、亡命チベット人による学校教育の後、デリー大学とハーバード大学で大学教育を受けた、と紹介した。法王は、センゲ博士のチベット語能力は良く分からないが、とジョークを混ぜながら、博士に対する全幅の信頼と、博士の能力に対する確信について語った。
その後、質疑応答セッションに移った。

中道アプローチに対する質問を受けて、中道アプローチを正式に決定したのは、亡命チベット人、および国内のチベット人に対する中長期の影響を十分に考慮し、かつ亡命チベット人の過半数の支持を得たことによるものであり、中国の知識人層も自らのアプローチを支持しており、亡命チベット新政権もまた、中道アプローチに対する支援を公式に表明している、と述べた。

次の質問に対し、法王は、今後全ての政治的責任は、選挙によって選ばれた新政権が担うことになる、と述べた。中国当局、とくに中央統戦部(UFWD)は分離主義者のダライ・ラマが問題の根源だとしているが、自身はすでに完全引退しており、だから、チベット問題とは、ダライ・ラマの問題ではないのだ、と述べた。中国政権が1980年代に提案した5か条のメッセージを受け入れなかったのは、それがダライ・ラマ個人の取り扱いに関するものだったからであり、自身は、過去に自らの地位のために動いたことはなく、これからもそうすることはない、と述べた。

将来、中道アプローチを政策変更する可能性についての質問を受け、法王はロプサン博士に答えを譲った。ロプサン博士は、今回の選挙で自らは、中道アプローチのプラットフォームを掲げた運動で勝利したが、それは、とりもなおさず、人々がこれを支援していることを示したものである、としたうえで、こうした質問は、将来に起きることが分からないなかでは答えにくく、将来の時点で人々が決めるものだ、とした。また、法王は、当初、中道アプローチを決定したときから、法王自身、そうしたアプローチを採るかどうかを究極的に決めるのはチベット人であると考えていた、と付け加えた。

中国の可能性についての質問を受け、法王は、中国は世界の発展に貢献する潜在力を持つ、重要な国であり、国際社会による尊敬と信用を必要としているが、今にところ、それが中国に欠けている、と述べた。

中国における民主主義の発展についての質問に対しては、漸進的な道筋を取るのが妥当であり、一夜にして変化を起こそうとしても、混沌に沈み込むだけだ、とした。さし当たって必要なのは透明性であり、メディアへの検閲を止め、国際的な基準に合った統治システムに移行することだが、現在の中国は、法律であれ、憲法であれ、党の恣意的な運用下にある、とした。

さらに、法王は中国共産党の劣化について述べた。毛沢東の時代の党幹部は誠実な個人であり、毛主席は、今日の中国共産党が行うような発言は行わなかっただろう、と述べた。毛はかつて、ロシア共産党指導者のフルシチョフを修正主義者と非難したが、今日の中国共産党指導者は、これにはるかに輪をかけた修正主義者となっている、と述べた。

次の質問に対し、法王は幼少時から民主主義に興味を持っていた、と述べた。チベット本土にいたころから、当時の政治システムは社会の貧困層に益しないと考えており、1952年に改革委員会を立ち上げたが、チベットに駐留していた中国官僚の力により改革は阻まれた。ようやく、チベット社会の民主化に取り組むことが出来たのは、1959年にインド亡命してからのことだった、と述べた。1960年代以降、亡命チベット社会で段階的に進展してきた民主化だが、2001年に至って、直接選挙による政治指導者の選任システムが出来上がり、以後、今日に至るまで進展が続いている。つまり、チベットの民主主義は過去60年以上の体験に基づいているのであり、一朝一夕の思いつきではない——と述べた。

7月9日から2日間の日程で開催されたこのカンファレンスには、約100名の中国人、チベット人、その他の作家や民主主義運動家が参加した。

法王はカンファレンス会場を去り、法話会場に着くと、カマラシーラの修業次第、およびトクメー・サンポによる三十七菩薩行の法話を引き続き行った。法王は、実際の経典に入る前に、仏教について簡単に説明し、中国語による般若心経の詠唱でセッションを開始した。7月9日は、同じく般若心経をパーリ語とサンスクリット語で詠唱した。

法話は英語、中国語、ロシア語、ベトナム語、イタリア語、スペイン語、フランス語、日本語、モンゴル語に通訳され、ウェブキャストでライブ放映された。


(翻訳:吉田明子)