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【エスニック新事情】ダライ・ラマ後継に暗雲―中国、チベット支配へ「かいらい」画策 時事通信社解説委員 杉山文彦

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2022年8月29日
時事通信社Janetから引用記事

ダライ・ラマ14世=7⽉6⽇
インド北部ダラムサラ(AFP時事)

チベット仏教の最⾼指導者ダライ・ラマ14世が7⽉6⽇、87歳の誕⽣⽇を迎えた。その半⽣はまさに波乱万丈だ。わずか2歳で13世の⽣まれ変わりの「輪廻(りんね)転⽣者」に認定され、4歳で即位、標⾼4000メートル級の世界の屋根チベットに君臨した。ところが平穏だったチベット⾼原は1950年、中国共産党政権の軍靴に踏み荒らされた。1959年3⽉の⺠衆蜂起も鎮圧される中、ダライ・ラマは命からがらインドに亡命。その後、非暴⼒によるチベット解放を訴え続け、1989年にノーベル平和賞を受賞した。

ダライ・ラマ法王⽇本代表部事務所のアリヤ・ツェワン・ギャルポ代表(57)は、筆者のインタビューに応じ、「法王は今もお元気です。ひざに少し問題があり、⽴ち上がるときに⼆⼈がかりで⽀えられるようになりましたが、散歩などもしています」と明かす。

亡命政府があるインド北部ダラムサラで7⽉8〜10⽇に⾏った催しの後、ダライ・ラマは仏教徒が多いカシミール地⽅のラダックへ出掛け、精⼒的に法話や⾏事をこなしている。コロナ禍のこの2年間、ずっとダラムサラにとどまり、⼈と会うことも少なかったが、久々の旅⾏で健在ぶりを⽰した格好だ。

とはいえ、⾼齢を気遣う声も⽇増しに強まってきた。信者から⼀⾝に敬愛を集めるチベット社会の精神的⽀柱にもし万⼀のことがあれば、その衝撃は計り知れない。とりわけ懸念されているのは、中国政府が⾃分たちの意のままになる⼈物を⼀⽅的にダライ・ラマの後継者に選び、チベット⽀配の強化に利⽤しかねない問題だ。

◇インドで転⽣者発⾒も

すでに中国国家宗教事務局は2007年、「チベット仏教活仏転⽣管理弁法」を制定して、後継者問題で圧⼒をかけ始めた。転⽣者決定に当たっては歴史的な慣例・宗教上の規則・中央政府の認可という三つの原則および国家の関連法規を守る必要があると同法は規定し、あくまで中国政府主導で後継者を決める⽅針を打ち出している。

これに対してダライ・ラマは、「⾃⾝の後継者を選ぶ権利は中国にはない」とたびたび強く反論してきた。

その第1の理由は、チベットが歴史的に中国とは全く異なる⽂化圏に属し、事実上、中国から⻑く独⽴した地域だった点にある。アリヤ⽒は、「⽇本ではチベットは昔から中国のものだという誤解がある。けれども中国領だったことは⼀度もなく、れっきとした独⽴国でした。7、8世紀にはチベット側が中国を侵略したほどです」と強調する。唐の時代、チベット王朝は中国で「吐蕃」と呼ばれていた。

ダライ・ラマ法王⽇本代表部事務所の
アリヤ・ツェワン・ギャルポ代表

17世紀以降、ダライ・ラマがチベットの宗教・政治の頂点に⽴った。その後継者の選定⽅法も独特の仏教教義に基づくものだ。観⾳菩薩の化⾝とされるダライ・ラマは、⼈々を救済するために輪廻転⽣を繰り返すといわれる。1933年に13世が亡くなったときには、⽣まれ変わりを各寺院の僧たちが探し歩き、「聖なる湖」の湖⾯の相などから、チベット東北部の村の農家にいたラモ・トゥンドゥプという2歳の男児を認定した。それが現在の14世だ。このように政教⼀致のチベットは、中国の伝統⽂化とは相いれない部分が多い。

第2の理由としてダライ・ラマは、中国共産党が無神論を掲げている問題を挙げる。

2011年に⾃⾝が発表した「次期ダライ・ラマの化⾝認定に関するガイドライン」でも、「前世・来世の存在すらも認めない政治権⼒者たちが、ラマの化⾝転⽣者、さらにはダライ・ラマと(チベット仏教第2の⾼僧)パンチェン・ラマの化⾝認定に強制的に介⼊するのは極めて不相応なことで、彼ら⾃らの政治信条も偽るような恥知らずの虚⾔的謀略にすぎません」と述べている。

第3に、観⾳菩薩の化⾝として⼈々を救い導くべきダライ・ラマは、「その目標を達成できるような、⾃由な国の中で⽣まれ変わらなければならない」という思いがある。

アリヤ⽒は「中国が今のように弾圧を繰り返し、法王が何もできない状況をつくるのなら、輪廻転⽣には何の意味もない」と憤る。その上で、「⾃由な国」として「例えばインドが考えられる」と語った。ダライ・ラマも、亡命した⾃分を追ってインドへ逃れた⼈々の⼦孫ら約10万⼈が暮らすインドで、転⽣者が⾒つかる可能性を⽰唆している。

◇失踪したパンチェン・ラマ

しかし、たとえ後継者をダラムサラの亡命政府が認定したとしても、中国政府がそのまま受け⼊れる⾒込みはほとんどなく、後継問題の先⾏きには暗雲が漂う。ダライ・ラマ14世のことを共産党政権は独⽴を目指す「分裂主義者」と⾒なし、敵視しているからだ。

中国政府が「パンチェン・ラマ11世」として 擁⽴したギャルツェン・ノルブ⽒(中央)=2006年4⽉、中国・杭州(AFP時事)

実際、中国側がチベット仏教界の後継問題を妨害した前例がすでにある。

1995年5⽉、ダライ・ラマは当時6歳のゲンドゥン・チューキ・ニマというチベットに住む少年を、阿弥陀如来の化⾝とされるパンチェン・ラマの11世に認定した。ところがそのわずか3⽇後、この少年は両親とともに中国当局によって拉致された。そして中国政府は同年11⽉、別のギャルツェン・ノルブという6歳の少年を⼀⽅的に「パンチェン・ラマ11世」にまつり上げた。

翌年6⽉、中国はゲンドゥン・チューキ・ニマ少年を政治犯として拘束していると認めた。それから四半世紀が過ぎても、ダライ・ラマが認定したパンチェン・ラマ11世は失踪したままで、中国政府は国際社会から批判を浴び続けている。

⽶国務省は今年4⽉25⽇、声明を出し、「きょうはパンチェン・ラマ11世であるゲンドゥン・チューキ・ニマの33回目の誕⽣⽇だ。その居場所と⽣活状況を直ちに説明し、彼に完全な⼈権と基本的⾃由の⾏使を認めるよう求める」と中国に迫った。

アリヤ⽒は「中国側の『パンチェン・ラマ11世』は、皆の前で仏教に中国政府のプロパガンダを混ぜたようなことを無理やり⾔わされています。またそれが中国の新聞によく報じられ、外国にも流れます。そうすると、事情を知らない外国では『チベットにも宗教の⾃由があるではないか』と誤解されてしまう」と話し、中国のかいらいの「11世」が共産党政権の⾔いなりになっていることを嘆いた。「彼もかわいそうです。これは宗教ではないし、道徳でもない。⻑くは続かないですよ」

先代のパンチェン・ラマ10世は、中国政府の操り⼈形にはならなかった。3歳年上のダライ・ラマ14世がインドへの亡命を余儀なくされた後もチベットに残り、チベット⼈が苦境から脱せられるよう求める嘆願書を周恩来⾸相(当時)に提出するなど、抵抗を続けた。そのため10年以上投獄された後、チベットへ戻り、1989年に50歳で死去した。死因は⼼臓発作と発表されたが、⽀持者らは毒殺されたと主張している。

◇「国際社会は抗議の声を」

ダライ・ラマの後継者も、中国に選定を委ねれば、パンチェン・ラマ10世と失踪中の11世のように、⼈権を無視した仕打ちを受ける恐れがある。

ダライ・ラマ14世は2011年、政治の実務を担う⾸相職を亡命政府に設け、⾃⾝は「チベットとチベット⼈の守護者、象徴」の⽴場に退いた。とはいえ、その存在はチベット⼈社会で圧倒的であり、⼀⽅、中国にとってはなお⼤きな壁と映っている。

共産党政権はチベットで中国への同化政策を推進し、政教⼀致社会の転換を図ってきた。多くの仏教寺院を破壊し、中国語教育を強制した。中国⼈の移住者も増やし、今やチベット⼈600万⼈に対して中国⼈が750万⼈と、⼈⼝も逆転している。だがアリヤ⽒は「中国はチベットを侵略してからもう70年にもなるけれど、いまだに完全に⽀配できていない。私たちは⼟地を奪われたものの、チベットの⽂化、宗教のアイデンティティーはとても強く、ナショナリズムを守ることができたのです」と話す。

その中核にいるのがダライ・ラマ14世だ。だからこそ中国は後継者を操り人形にしようと動いている。アリヤ氏は危機感を募らせ、「中国が自分勝手なことばかりするのに対して、国際社会も沈黙せず、抗議の声を上げてほしい」と訴えている。


時事通信社解説委員
ニューデリー特派員、カイロ特派員として、アフガニスタン内戦や中東情勢など途上国の問題を幅広く取材。パリ支局長、外信部長、編集局総務を務めた。2016年から現職。編著に『世界テロリズム・マップ 憎しみの連鎖を断ち切るには』(平凡社新書)など。


* この記事は、時事通信社のニュースサイトJanetから引用したものです。