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『縁起讃』の法話会 最終日

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2020年8月6日
インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ

今日ダライ・ラマ法王は、チベット人の若者たちに向けた3日目の法話会の冒頭で、今日は広島に原爆が投下されてから75周年の節目に当たると話されてから、次のように述べられた。

チベット人の若者たちに向けた法話会の最終日、法王公邸の居室に入られたダライ・ラマ法王。2020年8月6日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)
チベット人の若者たちに向けた法話会の最終日、法王公邸の居室に入られたダライ・ラマ法王。2020年8月6日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「第二次世界大戦の終盤に、広島に原爆が投下され、その3日後には長崎にも原爆が投下されました。私は広島と長崎を訪れたことがあります。広島では、原爆が爆発した地点の近くにあった建物が遺跡となって立っていて、原爆ドーム、あるいは広島平和記念碑と呼ばれています。そのドームの鉄骨の梁が強い熱で溶けた跡を見ることができます。私は生存者の方々とも会ったことがありますが、何人かの方はひどい火傷を負っておられました」

「私は長崎にも行ったことがありますが、爆心地の様子を見た時には、非常に心が動揺しました。戦争は敵を抹殺しなければという怒りによって引き起こされますが、それでも人間の根源的な本質は慈悲の心なのです」

「私は、この世界が武装解除し、核兵器がなくなる日が来ることを夢みています。紛争は対話と交渉によって解決しなければなりません。自分自身が苦しみを望んでいないのですから、他者にも苦しみをもたらすべきではありません。たとえば、家族の中に不和がある時は、親戚などが間に入って仲直りさせるように、できる限りの努力をするのと同じです」

「ですから、相互依存の関係で成り立っているグローバルな世界では、敵を排除しようという考えは全く時代遅れなのです」

「75年前の今日、広島で起こったことを思い起こすことはとても大切なことです。私が広島を訪れた時、焼け野原となった広島の状況を知り、その光景は耐えられないほど私の心を揺さぶりました。この世界からこういった恐ろしい武器をなくし、本物の持続する平和をもたらさなくてはなりません」

「自然災害が増え、地球温暖化も脅威となっている今日の世界において、このような恐ろしい武器を維持しようと強く願うのは馬鹿げています。ここインドでは、非暴力(アヒンサー)と慈悲の心(カルーナ)の実践に馴染んでいますが、これを私たちの指針とするべきです」

チベット人の若者たちに向けた法話会で、インターネットを介してお話しをされるダライ・ラマ法王。2020年8月6日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「煩悩、つまり破壊的な感情が苦しみをもたらすものであることを学んだならば、すべての煩悩を一度になくすことはできなくても、煩悩を減らす努力が必要です。ナーガールジュナ(龍樹)は、縁起の見解を説くことにより、煩悩を断滅するための修行道について説かれた釈尊を礼讃されています」

「インドには多くの偉大な導師たちがおられましたが、中でも釈尊が特別な存在であったのは、すべての事物は互いに依存し合って存在している、という縁起の教えを説かれたのが釈尊おひとりだけだったからです。ナーランダー僧院の賢者たちは、分析によって縁起の教えが意義深いものであり、いかなる状況にも適用できるということを理解していました」

「チベットにも偉大な導師が多数おられましたが、ツォンカパ大師は、中観に関するインド由来の重要な論書をすべて読み、習得されていました」

ここで法王は、昨日の続きとなる第31偈からテキストを読み始められた。法王は、仏教を探究する過程において、釈尊が煩悩は無明から生じると理解され、私たちの心の本質は汚れなき光明であり、対象物を明らかに知ることができるものであることを認識されたことについて語られた。釈尊は、心の汚れた側面である煩悩は、汚れなき心の本質とは別であると悟られたのである。

チベット人の若者たちに向けた法話の最終日に、ツォンカパ大師の『縁起讃』を読み上げられるダライ・ラマ法王。2020年8月6日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

このテキストの著者であるツォンカパ大師は、文殊菩薩から隠遁行(リトリート)に入るようにとアドバイスをされた。しかしそれは、それまで続けていた法話会を中断することになるので、それを批判する者もいたが、文殊菩薩は何が最善であるかを知った上で勧めているとして大師を納得させ、また、仏法を実践することなく、仏法の言葉に熟達するだけでは不十分であるとも言われた。そこでツォンカパ大師は隠遁行に入り、瞑想修行によって悟りを達成されたのである。

法王は、その後に続く偈を読み上げられた。私たちは誰も、釈尊やナーガールジュナの教えを直接聞いたわけではないが、その言葉は存続し、今でも学ぶことができる。それは、ナーガールジュナの著作がひとつ残らずチベット語に翻訳されたおかげであり、翻訳官たちや彼らに指示したチベットの仏教王たちがすばらしい事業を残してくれたのである。

ツォンカパ大師はインドの偉大な導師たちの著作に完璧に精通された上で、チベット人の導師たちからも学ばれた。その中には、ディクン・ティルの地におけるチェンガワ・チューキ・ギャルポ、サキャ派の師レンダワ、ニンマ派の師であるロダク・ドゥプチェンやナムカ・ギャルツェンがおられた。ツォンカパ大師がロダク・ドゥプチェンに出会った時には、大師にはロダク・ドゥプチェンが金剛手菩薩として見え、ロダク・ドゥプチェンには大師が文殊菩薩として見えたそうである。

ツォンカパ大師の著作は18巻ある。ブトゥン・リンチェン・ドゥプも多作であったが、インドの偉大な論書を直接扱ったものはわずかしかない。また大師は、サキャ派の歴代5人の管主が著した『道果説』(ラム・デ)や、ドゥクパ・カギュ派のペマ・カルポ師のすべてのテキストを特定の弟子たちなどに読み聞かせた。それらの著作はみな優れたものであるが、法王は、ツォンカパ大師の著作は特に群を抜いていると言われた。また、大師の初期から後年に至る著作の展開には感銘を受けるとも述べられた。

法王が『縁起讃』のテキストを読み終えられると、オンラインで繋がった参加者たちとの質疑応答のセッションに入った。法王は、修行の実践に関して、釈尊は様々な土地で、様々な人々のそれぞれの性格に合わせて、それぞれに異なった教えを説かれたと説明された。様々な病気には、通常その病に効果のある薬が処方されるが、同じ病気でも、時には人によって異なった薬が勧められるようなものである。

次に法王は、ダラムサラ近郊にあるサラチベット高等大学の尼僧からの質問に答えて、忍耐力を育むことは嫉妬深い人に対応する時に役に立つと言われ、忍耐の修行を説いている『入菩薩行論』の第6章を読むように勧められた。同じテキストの第8章では、自分と他者の立場を交換して考えるという菩提心を育むための方法など、菩提心の修行に関して信頼すべき説明がある。『入菩薩行論』は仏教の広大なる修行の道について述べられている最高の著作であり、ナーガールジュナの『根本中論偈』やチャンドラキールティ(月称)の『入中論』は深遠なる修行の道についての最も明快な説明となっている。

チベット人の若者たちに向けたオンライン法話会の最終日に、質問に答えられるダライ・ラマ法王。2020年8月6日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

法王は、次の質問者の “私たちが今生で経験する痛みや喜びは過去になした行為の結果である” という考えに賛同されたが、その過去の行為が苦しみや幸せという結果に対して、原因となるのか間接的条件となるのかの区別は難しいと答えられた。

しかし、良い行いが幸せをもたらし、悪い行いは苦しみをもたらすと正しく認識することは、希望を失わないようにする効果があるとも付け加えられた。

十二縁起についての質疑では、法王は、自己中心的な態度や独立した自我が存在すると考える実体へのとらわれは、心をかき乱す煩悩の根本であり、すべての現象は現れている通りには存在していないと見ることができれば、誤った考え方を減らしていくことができると答えられ、次のように述べられた。

「実体を持って存在しているように見える人物のどこかにその実体を見出そうとしても、これがその人の実体であると指し示すことのできるものを見つけることはできません。しかし、その人物は単なる名前を与えられただけのものとして確かに存在しています。すべての事物は、名前を与えられた存在であることによって、行為とその結果といった因果関係について語ることもできます。同時に、すべての事物は他に依存して名前を与えられただけのものなので、いかなる実体もなく、その事物の真の実在性は否定されます。チャンドラキールティは『入中論』の中で次のように述べておられます」


水瓶、毛織物、盾、軍隊、森、数珠、樹木、家庭、馬車、宿などの事物は何でも
そのように〔考察せず、よく知られているものとして、〕何らかの観点からこの生においてそう呼ばれるのであり、
それを理解するべきである
なぜならば、牟尼は世間と論議されないからである(第6章166偈)

部分、特性、貪欲、相(特徴)、薪などと
部分を持つもの、特性を持つもの、貪欲を持つ者、相(特徴)を持つもの、火などは同義である
これらは馬車を分析したから「七つの論理」があるのではなく
それとは別に、世間に知られている慣習から存在しているのである(世間の慣習だから分析しない)(第6章167偈)


「私は毎日、空性と菩提心について瞑想していますが、私にとってそれはとても役に立っています。空性についての瞑想は、怒りや執着を軽減する効果があり、自分と他者の立場を入れ替えて考える瞑想をすることは、利己的な態度を減らすために役立っています」

法話会最終日の最後に、ダライ・ラマ法王に感謝の辞を述べるチベット子ども村学校校長のツルティム・ドルジェ氏。2020年8月6日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

チベット子ども村学校(TCV:Tibetan Children’s Villeges)校長のツルティム・ドルジェ氏が法王に向かって、すべてのチベット人にとって法王は最も優れた指導者であり、今回もリクエストに応じて教えを説いてくださったことに対して感謝の辞を述べた。また、ドルジェ氏は法王の長寿を祈願し、次のチベット人の若者向けの法話会がツクラカンの本堂で行われることを望んでいる、と述べた。

法王は『普賢行願讃』からの廻向文と『真実の言葉』からの偈を唱えられ、法王の目の前のモニターに映っている学生たちに手を振って、オンライン法話会は終了した。