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「心の訓練」の法話会

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2020年7月5日
インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
法王公邸からオンライン法話会を始めるにあたり、ダライ・ラマ法王の85歳の誕生日を祝して集まった台湾の参加者たちに挨拶をされるダライ・ラマ法王。2020年7月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

ダライ・ラマ法王の85歳の誕生日を翌日に控えた5日、台湾で祝賀会が行われた。法王は、その祝賀会での法話のリクエストに応じ、ダラムサラの法王公邸から「心の訓練」についての解説をされた。法王が居室に入られた時、台湾の主催者代表はまだ中国語でこの祝典の紹介をしていた。法王は着座すると、目の前のモニターの中で千人の参加者たちが笑顔で手を振っているのをご覧になり、笑って手を振り返された。

最初に法王は次のように述べられた。
「今日は、このような会が催され、説法をしてほしいとのリクエストを受けました。初めて台湾を訪れて以来、皆さんは私の心に寄り添ってくれました。私は皆さんを昔からの友人だと思っており、皆さんは常に私の心の中にいます。今日はゲシェ・ランリ・タンパの『心を訓練する八つの教え』について解説します。ナーガールジュナ(龍樹)の『宝行王正論』を源泉とする発菩提心に焦点を当てた短いテキストです。『宝行王正論』のテキストの最後にかけて、菩提心についての20の偈頌があり、次のように結論づけています」


地、水、火、風、薬草
森の樹木のように
常にすべての有情が望み通りに妨げなく
〔私を〕用いることができますように(第5章83偈)たとえわずかでも
解脱していない有情がいる限り
無上の悟りを得たとしても
彼らのために〔輪廻に〕とどまることができますように(第5章85偈)

法王の85歳の誕生日を祝して集まった台湾のグループに向けて、法王公邸からオンラインで説法をされるダライ・ラマ法王。2020年7月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「ナーランダー僧院の伝統の中でも特にすぐれた学者の一人であり、ナーガールジュナの弟子でもあるシャーンタラクシタ(寂護)が最初にチベットで説かれたのはこのテキストでした。その後、アティーシャの弟子たちはカダム派として知られるようになり、彼らはこの教えの一字一句を実践の手引きとして捉えたため、再びこのテキストが説かれました」

「ゲシェ・ランリ・タンパは常に菩提心の実践をされており、有情の苦しみに心を痛め、いつも涙を流していたので、その悲しげな表情で広く知られていました。私もシャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』の伝授を受けてから、その教えに基づき50年以上にわたって菩提心を育む修行をしてきました。しかし、私はランリ・タンパのような暗い顔はしません。『入菩薩行論』では次のようにアドバイスされているからです」


このように〔からだの奴隷にならず、〕
自在にからだを操って
常に笑顔で、険しい顔をせず
有情の友となり、誠実でいるべきである(第5章71偈)


「私はいつも菩提心を育もうと努力しており、『心を訓練する八つの教え』を毎日唱えていますが、いつも笑っています。一切有情を私の友人であると考え、思いやりと愛情をもって彼らのことを考えます。そのような態度と空性へのなにがしかの理解を組み合わせることで、心の平和がもたらされます。チャンドラキールティ(月称)の『入中論』第6章には、世俗の菩提心と究極の菩提心という二つの菩提心を結びつける実践について述べられています」


世俗と勝義という大きな白い翼を広げ
この白鳥の王者を普通の白鳥の先頭に据えて
善の風の力で勝利者(仏陀)の功徳の海を越え
最勝なる彼岸へ飛んでいく(第226偈)


「先ほど申し上げたように、菩提心の実践によって心の平和がもたらされます。シャーンティデーヴァは再び次のようにそのお考えを要約しています」


私は今日、〔仏陀、菩薩たちなど〕すべての守護者たちの御前で
〔一切〕有情を〔究極の目的である〕如来の〔境地に導くため、〕それまでの間は
〔一時的な目的である天人や阿修羅の〕幸せ〔を与えるため〕に客人として招いた
それ故、天人、阿修羅なども喜んでくださいますように(第3章34偈)


ダライ・ラマ法王の85歳の誕生日を祝して集まった台湾のグループに向けて、法王公邸からオンラインで「心の訓練」について説法をされるダライ・ラマ法。2020年7月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

法王は、『心を訓練する八つの教え』の第1偈から第7偈までは発菩提心を明らかにしていると説明された。最後の第8偈には空の見解が述べられている。法王は第1偈の “常に有情を慈しむことができますように” という行を読まれて、この “私” は誰なのか、この “私” はどこにいるのかを自らに問いかけるよう視聴者に勧められた。

「私は朝、目を覚ますと、まずナーガールジュナの『根本中論頌』の次の偈を思い起こします」

 


〔如来は〕五蘊ごうんではなく、五蘊と別のものでもない

〔如来の〕うちに五蘊があるのではなく
如来が五蘊を所有しているのでもない
では、如来とはいかなるものであろうか(22章第1偈)


「そして、私はよく “如来” という言葉を “私” に置き換えて、自我について深く考えます」


〔私は〕五蘊ではなく、五蘊と別のものでもない
〔私の〕うちに五蘊があるのではなく
私が五蘊を所有しているのでもない
では、私とはいかなるものであろうか


「すると、このような “私”、このような “自我” をどれほど探しても、それを見つけることはできません。チャンドラキールティは、『入中論』の中でこの点を明確にしています」


馬車は、それ自体の部分とは別のものだと主張しているのではない
他のものでないのではなく(同一であり)、それ(部分)を持つものでもない
〔馬車は〕部分にあるのではなく、部分が〔馬車〕にあるのでもない
その単なる集まりでもなく、形でもなく、そのようなものである(151偈)

それは、真実としても、世間においても
「七つの論理」によって成立していない
しかし、分析せず、世間のあるがままには
自らの部分に依存して仮設される(158偈)


(「七つの論理(七相道理)」とは、同一、別異、依存するもの、依存される土台、所有、集合、形の七つ)

「つまり、これが自我であると指し示せるものはどこにも見つけられませんが、単に名前を与えられたものとして存在しているのです。なぜこのような分析をするのかというと、私たちは自我についての誤った見解を持っており、それが煩悩を生み出すからです。ナーガールジュナは、『根本中論頌』の中で次のように言及しています」


行為と煩悩を滅すれば解脱〔に至る〕
行為と煩悩は誤った認識(妄分別)から生じ
それらは戯論から生じる
そして戯論は空性によって滅せられる(18章5偈)


ダライ・ラマ法王の85歳の誕生日を祝う台湾のグループに向けて、公邸からオンラインで説法をされるダライ・ラマ法王。2020年7月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「皆さんも、自分のことを “私は漢人だ”、 “私はチベット人だ” などと考えていると思いますが、私たちの身・口・意(身体・言葉・心)の支配者のように見える “自我” を探す時、それはいったいどこにあるのか、身体と心とは別個に独立して存在しているかのように感じているこの “私” はどこにいるのか?と自問する必要があります。すると、五蘊と別個に独立した自我が存在するというのは誤った考えであり、執着や怒りといった煩悩の源になるものだということがわかります」

法王は、現実のありようを徹底的に調べるためには、論理と根拠を用いることが重要であると強調された。パーリ語の伝統に従う人々は経典からの引用のみに頼っているが、ナーガールジュナとナーランダー僧院の伝統に従う人々は論理に依っていると指摘し、ナーガールジュナの『根本中論頌』とチャンドラキールティの『入中論』を重視すべきことを改めて強調された上で、この二つのテキストは法王の座右の書であると述べられた。

法王は、空の見解によって煩悩を断ち切ることができると述べられた。マイトレーヤ(弥勒)の『究竟一乗宝性論』には、私たちは誰もが仏性を有しており、煩悩は完全に克服することができると強調された。煩悩という一時的な心の汚れは私たちの心に本質的に備わっているものではないが、原初から存在する光り輝く光明の心は私たちの内に元々備わっているものなのである。

「私たちはみな幸せを望み、苦しみを避けたいと望んでいますが、それはどちらも私たちの心の状態に関係しています。心をよりよく変容させることが幸せの源です。今日、世界の大部分が外面世界にある物質的な向上に焦点を当てていますが、古代インドの伝統は、心こそ幸せを生み出す本当の源であり、内なる幸せを実現するためには心をよりよいものに変容しなければならないと強調しています。これが非暴力(アヒンサー)と慈悲の心(カルーナ)という古代インドから引き継がれてきた伝統の源です。仏陀釈迦牟尼は非暴力と慈悲の心を実践し、悟りに至られた後、空の見解と共に、それらについて教えを説かれました」

法王の85歳の誕生日を祝う台湾のグループに向けて、インターネットを介して『心を訓練する八つの教え』について説明されるダライ・ラマ法王。2020年7月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「そして、釈尊は弟子たちに、“比丘たちよ、賢者たちよ、私の言葉を鵜呑みにしてはならない。あたかも金職人が金を焼いて、切って、擦って純金であることを確かめるように、私の言葉をよく分析し考えた上で受け入れるべきであり、私への信心のみで受け入れてはならない” と助言されました」

法王は、私たちの破壊的な感情である煩悩をよく調べれば、理にかなった根拠がないことがわかると述べられた。慈悲の心などは、論理と根拠にしっかりと根ざしているだけでなく、実践を通して強化することができる。無知のような煩悩は、習慣的に染みついている混乱から生じる。そして法王は、中国や日本の仏教徒は阿弥陀仏に祈願するのを好むが、仏教の実践は単に祈願文を唱えることではないと話された。仏教の実践は、素晴らしい人間の知性を用いて善悪を区別し、破壊的な感情(煩悩)に真っ向から取り組むものである。

法王は、『心を訓練する八つの教え』の最初に戻ると、次のように述べられた。

「私たちには他の有情たちとのつながりがあります。菩提心と慈悲の心を育み、無限に発展させることができるのは、有情との関係においてです。ナーガールジュナの『宝行王正論』では、そのつながりがこのように鮮やかに表現されています」

 

一切有情を〔自分の〕命のように慈しみ
自分よりも彼らのことをより強く慈しむことができますように
彼らの罪は私に実り
私の徳はすべて彼らに実りますように(第5章84偈)


「一切有情に対する慈悲の心を育むことは、利益を上げるために少ない資本を投資するビジネスのやり方に相当します。第2偈では、“他者を最もすぐれた者として心の底から大切に慈しむことができますように” と言われている教えの鍵となるのは、プライドや傲慢さを克服するための助言です。第3偈では、私たちが些細なことにも破壊的な感情(煩悩)で反応しがちなことを思い起こさせます。そして、“すぐさま力ずくで対治することができますように” とありますが、夢の中でさえ、煩悩が生じるやいなやそれを確認し、すぐに対処すべきことを知らなければなりません」

「密教には、怒りと執着を悟りへの道として使うという方法がありますが、それを実践するためには、一般的に開かれた教え(顕教)の道をまず理解していなければなりません」

「第4偈は、たとえ意地の悪い人であったとしても、感じがよく魅力的な人だと見るように勧めています。一切有情を愛と慈悲の心の対象として考えるようにしてください」

法王公邸からゲシェ・ランリ・タンパの『心を訓練する八つの教え』について解説されるダライ・ラマ法王。2020年7月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

次の第5偈では、自分をひどい目にあわせた人に対しても、負けを引き受けて勝利を捧げ、優れた精神の友(導師)とみなすように勧めていると説明された。『入菩薩行論』で指摘されているように、私たちを困らせる敵がいなければ、真に忍耐を修行する機会を持つことはできない。第7偈では、“母なるすべて〔の有情たち〕に利益と幸せを捧げ、母〔なるすべての有情たち〕の被害と苦しみをみなひそかに私が引き受けることができますように” と続いている。

最後に、第8偈では、“すべての現象は幻のごときものと知って” と、究極のもののありよう、すなわち空の見解が示されている。苦しみや幸せに結びついていてもいなくても、すべての現象はそれ自体の側から独立して存在しているかのように見える。量子物理学では、すべての現象の現れと、客観的に存在するように見えるが実際には実体を持って存在しているのではない、という究極のもののありようを区別している。私たちの友人や敵はそれ自体の側から友人であり、敵であるように見えるが、その現れの根拠を求めても見つけることはできない。それでもなお、友人や敵は固有の存在として成立していると考えているので、それらに対する怒りや執着が生じるのである。すべてのものを幻として見ることを学べば、束縛からの自由を得ることにつながる。

法王は、世俗の発菩提心について学びたいなら、シャーンティデーヴァの『入菩薩行論』を読むのが最適であるが、究極の菩提心については、『根本中論頌』と『入中論』が最適であると述べられた。特に『入菩薩行論』の第8章、自分と他者の立場を入れ替えて考えるという実践についての記述と、第6章の忍耐についての議論を称賛された。

「私がまだチベットにいた時は、菩提心の実践は素晴らしくて立派だけれど、それを達成するのは非常に困難なことだと思っていました。その後、インドで『入菩薩行論』の伝授を受けてからは、十分に努力すれば実現可能であることを実感し始めました」

オンライン法話会の締めくくりに、ダライ・ラマ法王のバースデーケーキを手に持って捧げる台湾の参加者。2020年7月5日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・ジャンペル / 法王庁)

「明日は私の誕生日です。私に贈り物をしたいと思う人は、少なくとも千回、観音菩薩の六字真言を、心を散乱させることなく唱えるとよいと思います。最初の “オーム” は、身・口・意を象徴する『ア』、『ウ』、『マ』の3文字で構成されています。私たちの汚れた身体、言葉、心に基づいて “私” が存在していますが、この “私” は一般的に煩悩の影響下にあります。これらの煩悩を浄化した時、仏陀の汚れなき身・口・意を得ることができるのです」

「私たちの汚れた身・口・意を浄化するには、“マニ(宝珠)” で象徴される方便と、“ペーメ(蓮華)” で象徴される智慧を用います。最後の音節となる “フーム” は、方便と智慧を一つに結び合わせるという意味を持っています」

「皆さんがそれぞれこの真言を千回唱えれば、そのご利益は倍増します。その功徳を私の長寿祈願の因として捧げてくだされば、私が108歳、110歳まで生きる助けとなることでしょう」

「政治的な状況は変化していくので、再び台湾のあなた方のもとを訪れることもできるかもしれません。そうなるよう願っています。何が起ころうとも、私は心の中であなた方と共にいます。どうぞ元気でお過ごしください。ありがとうございました」

主催者が、法王をはじめ千人の参加者や、手伝ってくれた300人のボランティア、そして中国語の通訳を務めたジャムヤン・リンチェンにも感謝の言葉を述べた。最後に、6台の救急車を寄付することが発表された。法王は微笑み、手を振って別れを告げられた。