2011年11月5日
地震と津波の前には生き生きとした生活が繰り広げられていたその場所は、焼け焦げた校舎と瓦礫の山が点在し、更地となった大地が広がっていた。寒い曇り空の朝、そこでは数百人の日本人が、目に希望を浮かべながら、悲しみを分かち合うと約束した友の訪れを待っていた。
被害が最も大きかった地区で愛する人を失った多くの石巻市の人々は、悲しみと希望の入り混じった嗚咽の声を上げながら、 西光寺の境内にダライ・ラマ法王が入り、慰霊法要を行おうとするのを見守った。西光寺は、海岸から至近距離にある寺だ。この地方だけで4000人以上が死亡し、未だに多くの行方不明者がいる。3月11日、マグネチュード9の地震が引き起こした津波は、数マイルにわたって人々を押しつぶし、家々を流し去った。
日本人高僧と宗徒の人々は、寺の内外に坐って日本語で般若心経を唱えた。次に黄金の仏像の前に坐ったダライ・ラマ法王がチベット語で般若心経を詠唱し、その後一連の祈祷を行った。
観衆のうち、とりわけ家族と友人を失った人々のことを、法王は、兄弟姉妹、と呼びかけ、次のように語った——「私は、この悲劇に際して、あなた方の悲しみと苦しみを分かち合うためにここにやってきました。
私はBBCニュースでこの悲劇を知った途端、大きな悲しみと痛みを感じました。同じ人間、そして日本人の友人として、私はすぐにでも被災地に赴き、被災者の皆さんと会い、悲しみを分かち合いたいと思いました。今、ここにいる私は、その夢を実現したのです。
ここに来る途中、津波による被害や破壊の状況を目撃しました。私の心は揺さぶられ、涙が出ました」と、法王は語った。
被災者の意気を高めようと、法王は、太平洋戦争の焼け跡から国家再建した日本人の復興の精神を褒め称えた。「悲劇のなかでは、私たちは知性を使って思考を拡げ、悲しみを、よりよい将来を再建するための熱意に転換していかなければなりません。日本は広島と長崎への原爆投下という、巨大な破壊に直面しました。だが、自らを頼み、決然とした心をもって、日本の人々は焼け野原のなかから国を再建しました。これに倣い、皆さんもこれから、自信と勤勉さをもって、街を復興しなければなりません。
子供たちに教育を授けてください。教育を受けた子供たちは幸せな新しい人生を送ることができるでしょう」と、法王は語りかけた。
人々をさらに励まそうとして、法王は中国共産党の侵略により国を失ってからの、自らの悲痛な体験を語った——「私は、自らの知性と、真実に対する信念、自分を頼む心を持って、悲しみを源として内面の強さを培ってきました。悲劇が起きてから50年が経過した今も、私は当時の決意と自分に対する信頼を失っていません」。
寺の境内での法話を終えた法王は、外にいる数百人の人々に対して語りかけたいと述べ、被災者の人々の顔を見たときに覚えた感動について改めて語った。
法王は、仏教の偉大な師が説いているように、問題があったとき、それは現実的な方法で、広く全体として捉えられるべきだ、と語った。悲劇を嘆く代わりに、それを広い観点から捉え、解決に向けて真剣に取り組めば、問題は克服できる、と語った。
仏教の観点から言えば、全ては因果応報により起きる、と法王は語った。前世の誤った行為は、現世で報いを受ける。もし、特定の地域に住んでいる人々の悪いカルマが集合的に重なって蓄積すれば、地域全体に悪いことが起きるかもしれない。前世の行いの蓄積は、未来永劫、消えることがない、と述べた。
だが、前世の誤った行為の効果をなくすか、減らす方法がある、と法王は言った——「私たちは正しい行為の力を大きくしていかなければなりません。そうすることで、過去から蓄積された誤った行為の力を凌駕することができるのです。正しい行為の力を増やすためには、人生を偽りなく、正直に生きなくてはなりません」。
法王は、くよくよしたり、気を落としている場合ではない、と言葉を結んだ。「悲しみから立ち上がり、自らを頼み、決然として日本的な精神を発揮しなければなりません。街を再建する能力を証明し、世界の模範となるのです」と、法王は語った。
「再建したら、私を招待して下さい。大きなお祝いのお祭りをしましょう」と、法王は言った。
学童たちは、石巻市訪問の記念としてダライ・ラマ法王にさまざまな花を取り混ぜた花束を贈呈した。
石巻仏教会の大僧正は、東北地方を訪れ、被災者と触れ合った法王に深い感謝の意を表明した——「私たちの苦しみを和らげるためにダライ・ラマ法王が訪問してくださったことは、なんという幸運でしょう。街を再建したら、必ず招待状を送りましょう」。
法王は、寺の外で見送りの列を作った小学生たちと握手をし、仙台に向かった。仙台では、「望ましくない状況を克服するのに何が大切か」というテーマで講演を行う予定。
(翻訳:吉田明子)