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米国の報告 – チベットにおける宗教の自由への厳しい抑圧

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U.S.Department of State

Executive Summary
エグゼクティブ・サマリー

アメリカ合衆国はチベット自治区ならびにチベット族自治県、その他の地域のチベット自治州が中華人民共和国の一部であると認識する。

中華人民共和国(以下、中国)の憲法では、その国民は「信教の自由」を享受すると定めているが、宗教活動の保護を「通常の宗教活動」に限定している。中国政府は宗教の自由に関してこの文言を、中国の国際的人権責任を無視した形で適用し、実際には、信仰の自由を規制した。憲法にも、国民の権利としていかなる宗教でも信仰してよいと明記されている。ところが、国家が許可する5つの宗教(仏教、道教、イスラム教、キリスト教カトリック、プロテスタント)のいずれかに属する団体のみが「愛国的な宗教団体」として政府に認可され、合法的に宗教活動を行える。中国共産党は、宗教に「社会主義」の思想を求め、党員は信仰や宗教活動への参加を禁じられている。

中国政府からのチベット自治区をはじめとするチベット族地区における宗教の自由に対する尊重や保護は乏しく、宗教活動への政府による介入が広く行われ、特にチベット仏教僧院ならびに尼僧院では著しい状態だった。拘留、処罰(死刑2件、うち1件は2年の執行猶予)、警察による死者3人、その他政府主導の宗教関連の暴行が報告された。政策に抵触しかねる行事や宗教的な記念行事では、抑圧は極めて厳しく、件数も増加した。チベット仏教の宗教的伝統行事への政府の介入により、著しい抗議活動が行われた。報道記者やNGOの報告によると、僧侶、尼僧、在家信者を含む26人が焼身による抗議を行った。政府は大半のチベット仏教徒が精神的指導者として崇めるダライ・ラマを日常的に侮辱し、焼身抗議活動は「ダライ・クリーク」をはじめその他外部の勢力、外国のメディアレポートが扇動しているとした。中国当局はチベット仏教僧院への政府の介入を分離主義活動、独立運動に関連付けて正当化していた。

チベット人は求職時や就業中、旅行時に社会的な差別を受けているという報告がある。しかしチベット仏教徒の民族的なアイデンティティーは宗教と密接な関係にあるため、単純に民族差別であるのか宗教差別であるのか判断が難しい場合がある。

米国政府は繰り返し、中国の国家から地方まであらゆるレベルの政府に対し、全ての宗教の信仰を尊重しチベット人の宗教伝統の保護、実践、継承、発展を認めることを促した。中国政府に具体的な事例も提示した。米国政府高官は中国政府に対し、ダライ・ラマ法王またはその代理者との建設的な対話を促すとともに、チベット人による抗議活動の主な原因である、チベット特有の宗教、文化、言語的アイデンティティーを脅かす政策について改善に取り組むよう求めた。米国政府外交官がチベット自治区を訪問する許可を得るまでに2年が経過したが、第1回目の6月にラサをはじめ近隣地域を訪れた。しかし中国政府は米国ならびに諸外国の外交官によるチベット自治区訪問について複数回にわたり拒み続け、正式な許可は不要であるにもかかわらず諸外国の外交官をチベット自治区外のチベット族地区への訪問を何度も阻止した。政策に抵触しかねる記念行事の行われる時期に、政府の介入は特に激しくなった。チベット自治区ならびに他のチベット地域区では米国外交官とチベット人住民をはじめ僧院関係者との自由な会話は厳しく制限された。

第1章 宗教人口

2010年11月の中国の人口調査の公式データによると、チベット自治区の全人口の91%にあたる271万6400人がチベット人である。チベット人は甘粛省の全人口の1.8%、青海省では24.4%、四川省では2.1%、雲南省では0.3%である。2010年の人口調査ではチベット自治区に居住する非チベット人の人数は少なく報告されていると見る専門家もいる。

チベット人は、もともとの民族宗教であるボン教や、イスラム教、キリスト教カトリック、キリスト教プロテスタントを信仰する者も少数いるものの、大半はチベット仏教を信仰している。チベット高原全土でボン教の信者は40万人と推定する学者もいる。また、チベット自治区にはチベット人イスラム教徒5000人、チベット人キリスト教カトリック教徒700人が存在するという学識者もいる。

中国政府や共産党は信仰を持つことや宗教行事に参加することを禁じているが、チベット人の政府高官やチベット在住の共産党員の多くは宗教を信仰している。

伝統的にチベット人地区とされる地域にはチベット人の他、中国の漢族が居住し、多くは仏教または道教、儒教、伝統的な民族宗教を信仰するか、無神論者、回族イスラム教徒、非チベット族カトリック教徒またはプロテスタント教徒である。約4000人から5000人とされるイスラム教徒はチベット自治区内のモスクで礼拝する。560人の信者を持つカトリック教会は、チベット自治区東部Yanjing地区にあり、ここは伝統的なカトリック教地区である。雲南省のチベット族自治県にあるCizhong (Tsodruk)地区には、大規模なチベット人カトリック教会の拠点がある。また、チベット自治区には、法輪功の信者が少数おり、無登録のキリスト教会が数カ所存在する。

国務院情報局の2013年版白書「チベットの発展とその状況」によると、チベット自治区には「僧侶、尼僧併せて4万6000人以上が居住する」と記載されている。国内の他のチベット族地区に居住するチベット仏教の僧侶、尼僧の最新の公式記録はないものの、共産党の人民日報に2009年に掲載された記事によると、チベット自治区、甘粛省、青海省、四川省, 雲南省には併せて12万人のチベット仏教の僧侶、尼僧が存在する。

第2章 政府による宗教の自由尊重の状態
法的/政策的構造

憲法で信仰の自由を認める一方、法律や政策は概して宗教の自由を制限している。憲法は、国民は「信仰の自由」を享受するとしているが、宗教活動の保護は「正常な宗教活動」に限られ、この「正常な」の文言は定義されていない。中国政府は宗教の自由に関してこの文言を、中国の国際社会における人権責任を無視した形で適用し、法律や政策で宗教の自由を制限している。憲法は国民のあらゆる宗教の信仰、不信仰を、国家、公的組織、個人が強制することを禁じ、また、宗教組織ならびに宗教事項を「外部の抑制を受ける」ものではないとしている。

政府の2005年版白書「少数民族による地方自治」では、「憲法に定める条項ならびに関連する法に従い、自治区の自治政府の機関は、少数民族の宗教の自由を保護し、保証する。また少数民族の全ての合法的な通常の宗教活動を保護する」としている。自治政府の機関とは、自治区、県、郡の政府を含む。

国家レベルでは、中国共産党中央委員会の中央チベット協調作業部会ならびに中国共産党中央統一戦線工作部(UFWD)、国家宗教事務局(SARA)が、認可された仏教、キリスト教カトリック、イスラム教、キリスト教プロテスタントの「愛国的な宗教団体」の協力を得て、宗教管理政策の責任を負う。地方レベルでは、共産党中央統一戦線工作部や国家宗教事務局、中国仏教協会の政党指導者や支部が、僧院における宗教政策実行の調整を行い、各僧院に党幹部や政府高官を置いている。

チベット自治区の僧院では、総務的事項は過去には主に僧侶たちが管理していたが、現在は僧院管理委員会(MMC)とMonastic Government Working Groups (MGWGs)が管理している。これら二つの団体は主に政府高官と中国共産党員ならびに慎重に選ばれた僧侶数名で構成する。2011年以降、中国はチベット自治区の僧院の大半とその他チベット族地区の主要な僧院の多くに設置している。

僧院管理の政府の指針に従い、各委員会や作業部会の指導者や委員は「政治的に信頼できて、愛国的で忠実な僧侶、尼僧、党員、政府高官」に制限されている。政府が任命した僧侶は主に僧院における「愛国教育運動」を実施する責任を負う。政府が「公式作業部会」を僧院に置く場合もあり、宗務や公安を司る高官が個々に愛国教育を進めている。

2月4日、チベット自治区党書記陈全国(Chen Quanguo)は党幹部と政府高官に「僧院に強く根差す」よう求めた。9月17日に陈はチベット自治区の約1800か所の各僧院に設けられたMonastic Government Working Groupsに共産党が7000人の常任幹部を配置したと発表し、共産党はチベット自治区を(チベットの)分離主義と「ダライ(ラマ)クリーク」対策の最前線と見ているため、作業部会は特に重要だと述べた。共産党中央委員会の機関紙人民日報が発行する商業専門タブロイド紙グローバル・タイムズの2012年2月のレポートでは、チベット自治区の各僧院に党と政府高官をトップに据えた僧院管理委員会を設置したと発表した。チベット仏教徒が最も神聖な僧院とするラサのトゥルナン寺に2011年に設置された僧院管理委員会は17名で構成され、うち9名は共産党幹部である。高官らは公安、財政、資産管理、新しい僧侶の受入れなどを含む僧院内の主要な事項の管理にあたる。

共産党は党員の信仰を禁じている。そのため、表だってチベット仏教の聖職者でありながら政策決定に直接参加できる者は極めて少ない。入手できる最新の公式記録は2007年のものだが、この年、全国人民代表大会の州レベルや下位レベル、チベット自治区の中国人民政治協商会議(CPPCC) の委員会のメンバー約3万人のうち、チベット仏教の聖職者はおよそ615人である。中国人民政治協商会議とは政策諮問機関であり、国内の様々な政党、宗教団体その他の組織から選ばれた代表者で構成される。共産党幹部は信仰を禁じられているが、全国人民代表大会や中国人民政治協商会議の地方支局のチベット人メンバーは仏教の信仰が許されている。例えば、中国政府の認定したパンチェン・ラマであるギェンツェン・ノルブ(ダライ・ラマが認定したパンチェン・ラマ11世のゲンドゥン・チューキ・ニマとは別人)は、中国仏教協会の副会長であり、中国人民政治協商会議の一員である。チベット自治区の人民政治協商会議はレティン寺の座主であるレティン・リンポチェ7世を1月にメンバーに任命した。

政府はチベット人の宗教伝統の規制も続けている。国家宗教事務局が定めた規則は輪廻する転生ラマを含むチベット仏教指導者の認定を政府が管理することを成文化している。この規則では市やそれより高位レベルの政府は転生ラマの認定を否認することができる。州やそれより高位レベルの政府による転生ラマの認定を得なければならず、国務院は中国語で「活仏」とも言われる「特に影響の大きい」高位の転生ラマの認定を拒否する権利がある。この規則はまた、諸外国の組織や個人が転生ラマの認定に介入してはならないこと、全ての転生したラマは中国で出生した者でなければならないと定めている。政府は転生したと政府に認定されたラマの登録を管理している。

チベット自治区内では、国家宗教事務局が定める規則がチベット仏教の団体、活動場所、人事を含めて総括的に管理する。自治区政府は、個人が宗教的地位を取得する申請を拒否できる。また同規則により、僧侶や尼僧は、自治区内の他の県や郡を「宗教活動を目的として」訪問して宗教行事を行う、学ぶ、指導するなどの際には、出発する郡、目的地の郡の両方の郡レベルの宗務を司る高官の事前の許可を要する。2011年以降、自治区以外のチベット自治県で同様の規則が設けられた。

旅行を制限されると、僧侶や尼僧が招請を受けて他の僧院や宗教活動場所へ出向いて宗教伝統に特化した指導をすることができなくなり、チベット仏教が重要としている宗教教育を阻害することになる。この規制は、僧侶や尼僧が地元の郡内の別の僧院を訪ねて学んだり指導したりするときにも適用される場合がある。チベット仏教の僧侶や尼僧らは、この規制は僧院教育の質を損ねて崩壊させるものだと話している。

チベット自治区の規則により、宗教団体の構成や運営は政府が管理し、僧院が大規模な宗教的集会を行うときには正式な政府の許可を要する。自治区政府は現在もチベット仏教の宗教遺物の使用を厳しく管理し、宗教遺物、建造物はもちろんのこと団体でさえも国家が所有すると宣言している。

政府による慣行

チベット自治区ならびにチベット人地区では、政府による宗教の自由の尊重や保護は乏しい。宗教活動が理由での逮捕や、警察官の手による死亡、拘留中の死亡併せて3件の死亡が報告されたことからも、政府の度重なる厳しい措置が宗教の自由を阻害しているといえる。先に逮捕されていた2人には死刑判決が下り、僧侶1人は警察の一斉検挙中に頭部を撃たれた。

習近平国家主席の就任1年目で、特に慎重を期する記念行事の時期に、チベット高原全土の政府当局が宗教の自由を厳しく制限する治安対策を展開した。抑圧は一年にわたって厳しく、問題を誘発しやすい政治的、宗教的記念行事の時期には特に強化された。15日間のチベット歴新年、3月に始まった中央指導者の移行期、3月28日の「チベット農奴解放記念日」、7月6日のダライ・ラマ誕生日、10月1日の国慶節などである。3月のチベット民族蜂起5周年記念日にはチベット自治区外からチベット人が自治区に入ることもほぼ不可能だったほどだ。

亡命チベット人が運営するウェブサイトPayul.comによると、7月6日に公安当局が四川省のガンゼ・チベット自治州のDaofu (Tawu) 郡で、ダライ・ラマ法王の78歳の誕生日を祝うために集まった僧侶、尼僧、在家信者に対し、催涙ガスを使用し発砲した。公安当局は僧侶の一人タシ・ソナム(Tashi Sonam)の頭部を射撃、他の僧侶も負傷させたと報告されている。亡命者グループは当初、タシ・ソナム氏(Tashi Sonam)は病院に運ばれ重体であると報告したが、その後の状況はわかっていない。

政府は規則に従わせるため頻繁に脅迫行為を行った。反政府デモを削減することで、安定した、好感度の高い政府をアピールするためだ。公安当局はチベット自治区やその他チベット族地区の僧院を幾度も包囲した。警察は大勢の学生、僧侶、在家信者などを多くのチベット族地区で拘留した。拘留されたのは、自由、人権、宗教の自由を求めた者、ダライ・ラマ支持を表明した者、焼身抗議者とつながりがある者だ。5月14日のPayul.com上のレポートによると、中国公安当局は4月28日にチャムド僧院の元僧侶Kaldo(名前は一つだけを名乗っていた)を、ダライ・ラマのスピーチを録音したものを所持していたことで拘留した後に撲殺した。

12月19日には、インドに拠点を置くNGOチベット人権民主センターが僧侶ナワン・ジャムペル(Ngawang Jampel)が公安当局の拘留中に死亡したと伝えている。同センターによると、ナワン・ジャムペルは他2人の僧侶とともに11月23日にラサで拘束された。3人の僧侶はチベット自治区のナクチュ県ドリル郡のTarmoe僧院に居住し、休暇でラサを訪れていた。ナワン・ジャムペルは僧院を出発したときには健康な状態だった。センターによると、ナワン・ジャムペルの遺族は公安当局員から死亡については公に話さないよう忠告されたという。他2人の僧侶の状態や居場所は今もわかっていない。

1月、四川省ンガバ・チベット人チャン自治州の中級裁判所は、でキルティ僧院の僧侶ロプサン・クンチョク(Lobsang Konchok)に「2年の執行猶予付き死刑」の判決を下した。(「執行猶予付き死刑」とは、死刑囚は執行猶予期間も服役し、期間満了時に改心したと判断されれば死刑執行を避けられるが、終身刑に変わるだけである) さらに僧侶の甥ロプサン・ツェリン(Lobsang Tsering)に懲役10年を科した。二人は「8名に焼身抗議を強要し、3名を死亡させた」とする「意図的な殺人」の罪だと新華社通信が伝えている。また、1月の新華社通信のレポートによると、2012年10月6日に甘粛省チベット自治区Hezuo(Tsoe)でサンギェ・ギャツォ(Sanggya Gyatso)が焼身抗議を行った事件に関連して、警察当局がチベット人7人を拘留した。4月に青海省チベット自治区Hangnan(Malho) の裁判所が、国内外の団体と焼身抗議の情報を共有して「分離主義」を扇動したとしてチベット人4人に最長6年の懲役を科した。8月には四川省のンガバ州の中級裁判所がドルマ・キャプ(Dolma Kyab)(Droma Gyaの通称もある)に死刑判決を下した。妻のクンチョク・ワンモ(Kunchok Wangmo)を殺害し、遺体に火をつけ焼身抗議に見せかけた罪だと中国の公式メディアが伝えている。ラジオ・フリーアジアと亡命者グループは、この妻クンlチョク・ワンモは3月に死亡したときには実際に抗議活動として焼身したと伝えている。

政府当局の政策に抗議してチベット人僧侶、尼僧、在家信者が焼身する事件が後を絶たなかった。僧院内や近辺で行うことが多く、通常は死亡する。1年間で一般人とチベット仏教僧侶、併せて26人以上のチベット人が焼身抗議を行ったと伝えられている。2012年に報告された焼身抗議は83件だったので、比較すると減少している。26人の焼身抗議者の大半は在家信者であり、僧侶や尼僧ではなかった。2012年3月以前は報告された焼身抗議者は全員が現または元僧侶、尼僧だった。中国問題に関する米国連邦議会・行政府委員会の2012年8月のレポート「頻発化、広域化、多様化するチベットの焼身抗議」 でも次のように注目している。2012年後半に在家信者による焼身抗議が急増し、2012年末までに半数以上が在家信者によるものとなった。この傾向は2013年も続き、26件の焼身抗議のうち、僧侶、尼僧によるものはわずか10件だった。2013年には焼身抗議は政策的、宗教的抑圧への抗議活動として続いた。多くは在家信者であるが焼身の際にダライ・ラマの写真を握り、宗教の自由とダライ・ラマのチベット帰国を求めた。一例を挙げると、キルティ僧院の元僧侶であるロプサン・ナムギャル(Lobsang Namgyal)は中国で2009年3月から続くチベット人焼身抗議者の100人目となったが、焼身中にダライ・ラマ法王の長寿を叫んだと報道されている。

焼身抗議者の減少は政府当局の抑圧が強化されたためと考える専門家もいる。2012年12月のインターネット上のニュースサイト、ガンスー(甘粛)デイリーの編集後記では最高裁判所、最高人民検察、国家公安部は、共同で「チベット族地区における焼身抗議の法による扱いについての見解」を発表、焼身抗議に関連する活動を犯罪とした。これには「焼身抗議の発案、企画、扇動、強要、勧誘、他人の焼身の幇助」などが含まれ、該当した場合は「意図的な殺人」として起訴が可能である。地方当局はこの「見解」を利用し、焼身抗議を幇助または扇動したとして、不特定数のチベット人を起訴して懲役刑を科した。2月には青海省と甘粛省で焼身抗議に関連する逮捕者が90人近くに上ったと公式メディアが伝えている。

政府当局はまた、焼身抗議の報道がチベット族地区以外へ拡大するのを防ぐ対策も行った。焼身抗議が発生すると多くの場合、当局によりインターネットや携帯電話のネットワークを遮断もしくは制限していると報告されている。3月に四川省ンガバ州の住民が、インターネット接続が遮断され、携帯電話でメッセージの送受信ができなかったと証言している。焼身抗議のニュースの拡散を防ぐために政府が取った対策だと住民たちは考えた。

焼身している抗議者に警察官が殴る蹴るなどの暴行を加えた事件が複数あったことも報告されている。米国のNGO団体インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベットが入手したビデオ映像では、逮捕者はなく、元Andu僧院の僧侶ロサン・ジャムヤン(Losang Jamyang)が2012年1月14日にンガバ州の州都大通りで自ら焼身した後に警察官に蹴られている様子が撮影されている。地元のチベット人が現場に集まると公安当局は群衆に向かって発砲し、女性一人が死亡、数人が負傷した。Losang Jamyangは数日後に死亡した。

政府当局は四川省ンガバ州キルティ僧院で特に厳しい抑圧を続けた。ここでは2011年3月に1000人に上る住民が、キルティ僧院の僧侶プンツォク(Phuntsog)(名前は一つだけを名乗っていた)が警察により暴行を加えられたことに対する抗議を行った。公安当局は僧院から数百人の僧侶を追放し、他の僧侶らを帰郷させた。いくつも枝僧院を持つキルティ僧院から、少なくとも二人の僧侶が2013年に焼身抗議を行った。

インドで発行されるチベットポスト紙の7月8日の紙面によると、四川省のガンゼ州Shiqu(Serchul)郡のWonpo僧院のチベット人僧侶3人が2012年後半に逮捕され、共に22歳のソナム・チョダル(Sonam Choedar) と ソナム・ゴンポ(Sonam Gonpo)は懲役4年、もう一人の僧侶チョダルは懲役1年を科された。当局は地元のチベット人が中国旗を降ろして自由を求めるチラシを配布していたところを一斉検挙し、3人の僧侶を逮捕した。

2012年7月16日のPayul.com上のレポートによれば、警察がチベット自治区チャムド州Lhopu僧院の僧侶ペマ・ノルブ(Pema Norbu)を検問所で止まらせ、撲殺した。死亡後の状況調査、事件調査などが行われたかは不明である。

2012年1月23日に四川省チベット自治区ガンゼ州Luhuo (Draggo)郡で公安部隊による武力行使があったが、これについて調査が行われたという情報がない。この事件では人民警察が抗議集団に向けて発砲し、32人以上が負傷、49歳の在家信者ノルパ・ヨンテン(Norpa Yonten)が死亡したと外国メディアと人権団体が伝えている。報告によると、抗議集団はチベット人の一方的な拘束に抗議し、ダライ・ラマのチベット帰国を求め、チベット人の要求が無視されれば焼身抗議が起こるという内容のデモを行っていた。Payul.comのレポートによると、Luhuo郡のDraggo僧院出身の僧侶ツェリン・ギャルツェン(Tsering Gyaltsen)は2012年1月の抗議活動に参加したという理由で逮捕された後、人民警察から暴行を加えられ死亡した。ガンゼ州チベット自治区党書記Hu Changshengは2013年2月にDraggo僧院を訪れ、僧院の高官や高僧らに対し、同僧院で1月の抗議活動に参加した僧侶4人がそれぞれ5年から7年の懲役を科せられているがこれについては何も語らないよう命じた。

四川省チベット自治区ガンゼ州Yajiang (Nyagchuka) 郡 の情報筋によると、僧侶として著名なリンポチェテンジン・デルク(Tenzin Delek)は、分離主義、武器の使用などの罪で、本人は否定したが2002年に終身刑を科せられた。心臓病と循環器系の病気を患っていた。チベット人権民主センターによると、村民4人とリンポチェ Tenzin Delekの姉の ドンカル・ハモ(Donkar Lhamo)が7月上旬に北京を訪れ中央政府に釈放を嘆願した。Yajiang郡の公安当局は4人の村民を数週間にわたって拘留した。同センターによると、政府からの具体的な嘆願への回答はなかったという。

情報筋やメディアレポートによると、8月に当局はチベット自治区那曲郡のShag Rongpo僧院での全ての宗教活動を禁じ、ダライ・ラマとつながりがあるとして居住する僧侶を追放した。9月に政府当局はShag Rongpo地区で、政府の僧院への介入に抗議したチベット人50人を逮捕した。50人の内9人は身元が確認されている。ロプサン・ツェリン(Lobsang Tsering) (27)、ドゥンプク(Dhungphuk 26)、ダギャルDagyal 35)、カルマKarma 31)、ギャルルックGyalhuk 28)、ギャルワ yalwa29)、シチョSichoe 39)、チョダルChoedhar 27)、ジャムパJampa 21)。

8月2日、政府当局はチベット自治区チャムド州でカルマ僧院の管理者であるナムセ・ソナム(Namsay Sona)mと、僧侶ドントップ・ギャルツェン(Dhondup Gyaltsen)と ラプセル(Rabsel) (名前は一つだけを名乗っていた)の3人に対し、犯罪者を保護したとして2年半の懲役刑を科した。Phayul.comによると、3人は2012年10月にも、反政府ポスターを政府の建物や近辺に掲げたという罪で逮捕されていた。

受刑者や刑務所内の様子は情報が限られているため、信仰が理由で捕えられたチベット人受刑者の人数やどのような暴行が加えられているかは確認が難しい。

米国議会行政中国問題委員会の政治犯データベースには、2013年末までに613人のチベット人政治犯が拘留され、現在も拘留、または服役中であると考えられている。

政治犯613人のうち、594人は中国のチベット地区全土に広がった政治抗議活動の波が始まった2008年3月10日以降に逮捕された。594人の拘留者、服役中受刑者のうち、259人は四川省、154人はチベット自治区、115人は青海省、65人は甘粛省、1人は新疆ウイグル自治区で逮捕されたことがデータベースからわかる。男性は520件の88%、女性は48件の8%であり、26件の4%の性別は分かっていない。チベット仏教の僧侶、尼僧、指導者が594人のうち283件の48%を占める。

データベースによると2008年3月10日以降の594件のうち194件の懲役刑は、188件が1年半から20年(平均6年3カ月)の定期刑、6件は2年間の執行猶予付き無期懲役または死刑(通常は新たな「犯罪」を冒さなければ終身刑)。194件の定期刑のうち、83件の43%はチベット仏教の僧侶、尼僧、指導者である。

宗教活動を理由に拘束、逮捕、処罰されたチベット人の数はわかっていない。多くの受刑者は司法管轄外の、労働を通しての再教育を行う刑務所に服役し、公の裁判所に現れることはなかった。11月の第18回共産党中央委員会の第3回本会議決議により、共産党は労働再教育の廃止の意図を表明し、全国人民代表大会常任委員会は続いて2014年1月1日よりこの制度を廃止すると表明した。しかし12月にアムネスティ・インターナショナルは多くの労働再教育の拘留所はひそかに他の形態の司法管轄外の拘留に移行したにすぎないと報告している。

チベット自治区以外のチベット族地域では、州、県、郡、地方レベルの政府は多くの僧院の敷地内や隣接した場所に共産党幹部を置き、警察署や公安局を設置している。8月27日に青海省チベット自治区Haixi (Tsonub)のTianjun (Temchen) 郡政府は7カ所の僧院にMonastic Government Working Groupsを設置したと発表した。政府はまたMonastic Government Working Groupsの一つが18歳未満の新参僧侶23名を僧院から退去させ、政府の学校に通わせたと発表した。

共産党は依然、党員の宗教活動への参加を禁じた。6月に中国人民政治協商会議の国家民族事務委員会長官朱维群は特に宗教事項に携わる党員は「信仰を持つことを許可しない」と表明した。

総じて、抑圧は僧院で特に厳しかった。チベット仏教僧院は伝統的に宗教、教育、医療を地域に提供し、宗教の教えと環境を守る両方の目的で環境保護活動を行ってきたが、政府当局は頻繁にこれを妨害した。

政府当局はその権力行使をチベット仏教のラマの認定やその教育の管理にまで拡大した。チベット仏教僧院を「分離主義」と独立活動支持に繋がるものだと公言し、政府の宗教政策に従わないと「扇動活動」であるとした。

3月に政府当局は、インドでダライ・ラマが招集した2012年の仏教勉強会に参加した多数のチベット人に対し、今後一切出国を許可しないと公言し、定期的に地方警察署に出頭することを義務化した。出席者の大半は合法的にインドを訪問していたが、当局は彼らのパスポートを没収した。

政府当局は公の場での信仰の表明を含む伝統的な宗教儀式や活動を一部は認めたものの、大半の宗教活動を政府が指定した場所のみとして厳しく制限した。宗教祭事を頻繁に制限または中止させ、僧侶が村を訪問して宗教儀式を執り行うことを禁止することもあった。宗教指導者や在家信者の宗教集会も厳しく管理した。政府当局は、宗教活動を反政策とチベット独立を提唱するものだと見て抑圧した。

ラジオ・フリーアジアによると、7月に政府当局は、青海省チベット自治区Hainan (Tsolho)で毎年1000人以上のチベット人、中国人仏教徒が集まって執り行われていたカーラチャクラ(時輪)の式典を中止した。

8月初旬にはラサのデプン(Drepung)僧院で毎年執り行われるショトゥン祭を監視するために、1000人以上の中国警察と公安当局が派遣された。僧院の入口に検察官が立ち、入場するチベット人は綿密な検問を受けたとインターナショナル・キャンペーン・フォー・チベットが報じている。ショトゥン祭は伝統のある祭典で、毎年、在家信者が瞑想期間を終了した僧侶にヨーグルトを与える。

ラサの政府高官や学生が、釈迦の降誕・成道・涅槃に因んだサカダワ大祭の際に僧院や他の宗教活動場所で祭典に参加したことが監視カメラに映っていたら処罰すると忠告されたことが報告されている。そのため、チベット自治区の多くの高官と家族や学生は祭典に参加するためにチベット自治区以外のチベット族地区に行ったと伝えられる。

3月には、四川省、青海省のチベット族地区の高官は宗教活動への参加を禁じられたと報告されている。しかしこの禁止令の実施は全体的にはチベット自治区ほど厳しくなく、大半の学生は放課後や休暇中に僧院を訪れることを許された。

「愛国教育」運動は、政府当局が僧侶や尼僧に「法律教育」に参加し、ダライ・ラマを非難し、共産党の指導と社会主義を称賛することを学び、政府が認定したパンチェン・ラマ11世に忠誠を誓うもので、チベット高原全土の多くの僧院や尼僧院で定期的に実施された。僧侶や尼僧の多くは、共産党や政府の「愛国教育」運動と「法律教育」運動などの活動は自分たちの宗教学習を阻むものであるとし、授業への出席やダライ・ラマへの侮辱を拒み、僧院や尼僧院から逃亡した者もいる。政府当局が「愛国教育」を実施し、多くの僧院や尼僧院への共産党幹部や公安当局高官を永続的に配置して宗教活動の管理を厳格化したことが、チベット仏教の僧侶や尼僧の不満や焼身抗議につながったと考えるオブザーバーが多い。チベット自治区外の僧院の高僧の中には、地方当局と非公式な合意を結び、政府が僧院の運営に手を下さない姿勢を保てば僧侶は抗議活動や焼身を行わないと約束したという者もいる。

チベット仏教の僧院や尼僧院では僧侶や尼僧の数は激しく変動した。一つの理由は、政府の強要する「愛国教育」と「法律教育」、ダライ・ラマへの侮辱の強要など自らの信仰への裏切りと考える行いを避けるために僧院や尼僧院を離れたからだ。チベット自治区と他のチベット族地区数カ所の政府当局は僧院や尼僧院での18歳未満の修行者の受け入れを長期に渡って禁じる規則を強化した。チベット自治区チャムド県と四川省チベット族地区の政府当局は18歳未満の新参僧侶や尼僧、未登録や他の地区からの者を、僧院、尼僧院から退去させることを強要した。それでも数カ所の地域の僧院や尼僧院は通常通り未成年、未登録者、遠方からの者を受け入れた。

政府当局は僧院による学校運営を禁じた。チベット自治区以外では続けた僧院もあった。子供たちは僧院に併設された学校を退学させられ公立の学校に送られる場合もあれば、代わりの措置は行われない場合もあったと地元の情報筋は話す。地方当局は保護者への抑圧を続けた。特に共産党幹部と政府高官には、自らの子供や親戚の子供に、地元の僧院やインドのチベット人学校を退学させた。地方政府当局が職員に、子供が僧院学校やインドのチベット人学校に通わせるなら降格処分、ローンの取り消し、子供の身分証明書発行を中止すると勧告したケースもある。

ダライ・ラマの写真を所持、掲示することに関する法律はないという政府高官もいたが、複数の情報筋が、ダライ・ラマを公に崇拝することはほぼ全域で禁じられたままで、写真の所持は共産党と国家に対する反抗の象徴であるとみなした高官は、僧院や個人の自宅からダライ・ラマの写真を没収したという。青海省チベット自治区Huangnan (Malho) のTongren (Rebkong) 郡の地元情報筋によると、レストラン、商店、個人の自宅から8月にダライ・ラマの写真が没収された。政府当局はまた、ダライ・ラマ法王とチベット仏教徒の圧倒的多数がパンチェン・ラマ11世として認めるゲンドゥン・チューキ・ニマの写真の禁止を続けた。「僧侶や信者は国家統一の妨げとなる、または国家の治安を害する書籍や写真などを配布しない」という規則があり、ダライ・ラマ法王やゲンドゥン・チューキ・ニマの写真や書籍が規則に違反するとの解釈である。

青海省高官は6月の会議で、一定の地域ではチベットの精神的指導者ダライ・ラマ法王の写真を公に掲示してもよい、ダライ・ラマ法王への侮辱を強要しないと発表したというメディアレポートがあった。しかしこれに対し、国家宗教事務局は直ちに反応し、6月28日に外国メディアに書面で反論、「ダライ・クリーク」への政策は一貫して変わらないと発表した。6月に香港の週刊誌アジア・ウィーク誌は、北京の共産党中央党校民族宗教研究所所長Jin Weiとのインタビューを掲載した。Jin Weiは「ダライ・ラマ法王やチベットの問題を解決するにはダライ・ラマ事務所と直接対話を始めるのが最善だ」と語った。

ダライ・ラマ法王の肖像は事実上禁じられているが、多くのチベット人はダライ・ラマ法王とゲンドゥン・チューキ・ニマの写真を自宅やロケット、携帯電話などに所持している。ダライ・ラマ法王の写真を掲げられるかは地域や政策の流れで異なる。チベット自治区外のチベット族地区では、ダライ・ラマ法王の写真を自宅や商店、僧院の目立った場所に掲示している。僧侶たちは地元の宗教局など政府高官の視察の時は一時的に撤去していると報告されている。

政府高官はなおも公然とダライ・ラマ法王を侮辱し、「ダライ・クリーク」や外部勢力がチベット人の焼身抗議を扇動して国家を分断させるものであると主張を続けた。3月8日、チベット自治区政府当局は「焼身抗議はダライ・クリークと外国の勢力に関係する」と主張した。5月16日、国家ラジオ映画テレビ総局の直下にある中国中央テレビは、「特別番組」を中国語、英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、ロシア語で制作し、「ダライ・クリーク」が焼身抗議を扇動していると非難した。中国共産党中央政治局常務委員会委員、中国人民政治協商会議議長俞正声(Yu Zhengsheng)が7月に甘粛省チベット族地区を訪問中、「国家の統一とチベット族地区の安定強化のため、ダライ・クリークにさらに毅然とした姿勢で立ち向かわなければならない」と語った。

チベット自治区政府当局は、新生児の命名の際、ダライ・ラマの名前の一部やダライ・ラマが祝福した名前のリストにある名前である場合、名前の登録を認めていない。

政府は国境沿いの取り締まりを強化し、チベット人が宗教行事などの目的でネパールを経由しインドに行くことが事実上難しくなった。僧侶、尼僧、在家信者などチベット人の多くが、チベット仏教徒には大切なダライ・ラマ法王の行事への参加や高位のチベット仏教指導者や教師から学ぶためにインドを訪れたいが、公安局ではチベット人のパスポート申請の大半を却下する。チベット仏教関係者であれば特に申請は難しい。同じ公安局事務所でも他の民族の一般市民の旅券申請には不合理な遅れはない。チベット人は旅券の制限は政府による宗教目的の旅行を妨害する試みであると見ている。

公安当局がすでに発行したチベット人のパスポートを没収した事例もある。地元政府高官に多額の賄賂を渡す、インドに行かないと誓約する、国外で中国政府や共産党を批判しないと誓約するなどしてようやくパスポートを入手した例もある。情報筋によると、政府はチベット人が無許可で国境を超えるのを防ぐために国境の取り締まりを強化した。また、ある情報筋によると、中国政府は近隣諸国にチベット人難民を強制帰国させるよう圧力をかけた。

僧院制度の伝統は、最高位の仏教指導者の多くがインドをはじめ世界中に亡命したため、継承が困難な状況である。高齢指導者も後継者がおらず、教育を受けた若い僧侶も政府当局から認められず昇格できない。チベット自治区外のチベット族地区でも、国内の他地区や外国、チベット自治区での指導の許可が得られない。多くの僧侶は2008年3月のラサでの暴動以降、チベット自治区の僧院から追放されたままで、新しく別の僧院に入ることも許されていないとの報告もある。チベット仏教の最高峰の教育者カルマパ(Karmapa)、サキャ・ティジン(Sakya Trizin)、リンポチェ・タクルン・ツェトゥル(Rinpoche Taklung Tsetrul)、ギャルワ・メンリ・ティッジン(Gyalwa Menri Trizin)などは、みな亡命中である。

政府当局は輪廻した幼い転生ラマたちの教育の大部分を細かく管理している。チベット自治区やチベット族地区で、ラマの家庭教師を宗教指導者ではなく政府高官が任命して、チベット仏教の伝統から大きく逸脱している。

僧院には入場料や巡礼者の寄付金から得る収益、僧院によっては直営ホテル、商店、レストランからの収益もある。僧院の収益は本来、僧侶が宗教学習に専念する資金を自助努力で調達するという政策に沿ったものだが、ここ数年で他の目的で使われるようになった。地方政府は観光客を宗教の聖地に惹きつけ、僧院の収益をあげるが、これにも政府が介入する。また、こういった商業活動のために、地元のチベット社会への宗教指導や教育、地域の医療、宗教儀式や祭典といった、僧院の伝統的なサービスを提供する時間と労力を奪われている。

宗教指導者が農村地域での宗教施設の建設や運営を申請したが政府に却下されたという報告がある。申請された宗教施設が地元の資源を枯渇させ、またチベット亡命社会からの政治的な侵入ルートとなるものだとされたのだ。他の地域では政府が僧院の建物を復元した例もあるが、その目的は観光客を集め収益をあげるためだ。

公安当局はチベット自治区ラサ、四川省ンガバ州、ガンゼ・チベット族自治州を含む主要な僧院間の接触を妨害し続けた。僧院内や近隣地域は警察当局の厳しい監視下に置かれ、僧侶の動きを制限し、諸外国の外交官、報道記者、その他オブザーバーなど多くの「無許可の」訪問を防いだ。

チベット族地区政府は政策に従い住宅地の建設を助成したが、新しい地域や、郡政府の近隣、主要道路沿いであり、そのため住宅地のほとんどは僧院から遠く、入居した村民は参拝に行けない。伝統的にはチベット人の村は僧院周辺に存在し、僧院は宗教教育などのサービスを地元住民に提供してきた。多くのチベット人は政府の方針を、共産党と政府がチベット人の信仰を希薄にして僧院と地域のつながりを弱めようとするものと見ている。チベット人たちが地方当局との交渉の末、新しい村を僧院の近くに建設できたケースもある。

ゲンドゥン・チューキ・ニマの居場所は今も不明である。諸外国のオブザーバーは4月25日で24歳になったゲンドゥン・チューキ・ニマを訪ねたいと要請したが政府は無視し、ゲンドゥン・チューキ・ニマのパンチェン・ラマ11世としての身分は「違法である」との姿勢を続けている。政府は1995年に認定したギェンツェン・ノルブがパンチェン・ラマの真の生まれ変わりだと今も主張している。中国にいる数多くのチベット仏教僧や学者らによると、中国共産党中央統一戦線工作部と国家宗教事務局は僧侶や在家信者、政府高官に、ギェンツェン・ノルブが指導する行事に参加するよう頻繁に圧力をかけている。一例として、ギェンツェン・ノルブが10月にチベット自治区を訪問した際、僧侶や村民は挨拶を強要されたと報告されている。人民日報によると、中国人民政治協商会議議長俞正声(Yu Zhengsheng)は4月12日の会議でギェンツェン・ノルブに母国と民族の統一を守る役割をもっと活発に行うよう求めた。

政府は高位の転生ラマたちと外界との接触を厳しく制限した。例えば1994年にカルマパ17世が認定したパオ・リンポチェ11世はチベット自治区のネナン僧院で政府の管理下に置かれていると報告されている。仏教学者らによると、パオ・リンポチェは中国語を勉強する目的で主要な数都市への訪問は許されたが、中国外や香港への訪問は許されていない。

情報筋によると、公安部隊は特にチベット族地区ナグチュ県やチベット族地区外のチベット人居住区出身の、宗教的な服装の個人を狙って、ラサその他の市や町の路上で職務質問や他の嫌がらせを行った。チベット人僧侶や尼僧の多くは嫌がらせを避けて僧院の外や国内の他の地域を訪ねるときには宗教色のない服装を選んだ。

ラサ在住のキリスト教徒らは2011年以降、小さな自宅教会では大きな介入を受けていない。ラサを拠点とするキリスト教徒たちによると、外国人やチベット自治区の政府高官らがキリスト教徒の自宅教会でのサービスに参加している。

第3章 宗教の自由の社会的尊重の状況

宗教的な所属、信条、活動による、社会的な差別が報告されている。民族と宗教は多くのチベット仏教徒にとって絡み合った関係にあるため、ある事柄を民族的な差別、宗教的な差別と単純に分類できない場合がある。チベット人でも特に伝統的な宗教色の強い服装のチベット人がホテルの宿泊、タクシーの乗車の拒否や、雇用の機会や商取引で差別を受けたなどが日常的に報告されている。

漢民族の仏教徒はチベット仏教に関心を持つ者が多く、チベット仏教の僧院や尼僧院に寄付を行っている。チベット仏教の僧侶も頻繁に中国の町を訪れ漢民族の仏教徒に宗教的指導を行っている。さらに、漢民族の仏教徒の中でもチベット仏教の僧院を訪れる者が増えている。しかし政府当局が規制することがあり漢民族の仏教徒がチベット族地区の僧院で長期間学ぶことは難しい。

第4章 米国政府の方針

国務省を含む米国政府、在北京米国大使館、成都市の米国領事館はチベット人の各地域における宗教のより広範囲の自由を促進する取り組みを維持することで一致している。米国政府はその最高のレベルで中国政府に対しチベット人各地域での抑圧的な政策を含む宗教の自由に対する規制の緩和を促した。米国政府は幾度にもわたりチベットの宗教の自由に関する公式な見解を述べた。中国政府の様々なレベルと同等レベルとの対話で宗教の迫害や差別の個々のケースや問題に関心を表明し、さらなる情報の開示を求めた。7月30日、31日に雲南省昆明で開催された米中人権対話の場で米国政府はこれらの問題を挙げ、時間をかけて深く議論した。

8月2日の北京での記者会見では、米国民主人権労働局副長官が、「中国政府のチベット人に対する抗議活動の鎮圧と抑圧を強化していることを深く懸念する」と表明し、「中国の国民に普遍的な権利と基本的な自由を否定する一方で、表面上の安定を維持するための政策は反生産的である」と述べ、中国政府に対し、「ダライ・ラマ法王またはその代理者との条件を設けない実質的な対話を持つ」ことを促した。

米国外交官は、旅行などの規制によりチベット人地区の幅広い宗教指導者や信者を個々に訪問して対話することは困難ではあるが、宗教の自由の状態を調査すべく接触を保っている。米国大使館や成都市の米国領事館の外交官は1年間、数回にわたって四川省、青海省、雲南省、チベット自治区四川省ンガバ州やカンゼの僧院や尼僧院を訪問した。中国政府当局が、正式には許可を得る必要のないチベット族地区への訪問を阻んだこともあった。

米国政府は2011年5月から2013年11月の間にチベット自治区への外交的接触を求めて16回以上の要求を提出した。だが認められたのは二度のみだった(一度は米国人が車両事故に遭い、領事の緊急支援を行うため)。2013年6月には、2年以上にわたる申し入れで初めて公式にチベット自治区に米国大使が米国代表団と共に訪れた。厳しく管理され、ラサと近隣地区のみに制限されていたこの訪問中、大使はチベット自治区の党書記陈全国、ラサの党書記 Qi Zhalaとの会談で宗教の自由についての懸念を挙げた。また大使はチベット仏教の主要僧院数カ所と尼僧院一カ所を訪問した。米国や諸外国の外交官は合法的にチベット自治区以外の四川省カンゼ・チベット族自治州やンガバ州などのチベット人地区を訪問したが、地元の警察から頻繁に止められ、合理的な理由を告げられずに強制退去させられた。数回の訪問が厳しく制限された中実現した以外は、諸外国の報道記者がチベット自治区や他のチベット人地区への訪問を繰り返し申請しても許可されなかった。


(翻訳:植林秀美)