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抗議によりカイラス山登頂が中止に

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2001年5月27日
サンデーテレグラフ

登山家たちによる国際的な抗議を受け、ヒンズー教徒や仏教徒にとって神聖なチベットのカイラス山初と見られた登頂が中止された。

スペインの登山家イエズス・マルチネス・ノバスは、ヒマラヤの山頂で「平和を広めるメッセージ」を計画した。そこは「世界のへそ」「万神澱」と信じられているが、先週、彼は、「徹底的に否定された」として計画の中止を発表した。

カイラス山は、宗教上重要なため、登頂を控えるという登山家の伝統があるにも関わらず、ノバスは、中国当局から登頂許可を得ていた。1985年、名前が公表されたドイツの登山家ラインハルト・メスナーは、登頂を計画したが、登山仲間の「石に姿を変えた神を登山靴で踏みつけるべきでない」という説得で登頂を思いとどまった。

スパイク底に踏まれや金属くぎを打たれてカイラス山が冒涜されるのではないかと、仏教徒やヒンズー教徒から抗議がうまれている。また抗議は、登山家達からも出てきており、彼等は、そうしたことで、地元民の感情を損ねるのではないかと危惧している。さらに、聖山の営利目的として開放が激化するのではないかという懸念も生まれてきている。

イギリスの登山家、アルペンクラブの会長ダグ・スコットは、1979年、地元のシッキム人たちがカンチェン・ジョンガ山を神聖としているとの理由で、他のヒマラヤへの登頂を急遽断念したことがある。スコットはこう語っている。「登頂の断念してきた登山家は、ひとりではない」 さらに、「聖山登頂は、決してしてはならない行為で、営利目的にカイラス山を解放すれば、10億人のヒンズー教徒はもとより、チベット人をも酷い目に合わせるようなものだ」と述べた。

南西チベットに位置する22,000フィートのカイラス山は、特に挑戦するほどの価値があるとはみなされていないが、登頂できた者はいない。そこは、3つの重要な川の水源地で、ガンジス川の神話の発祥地でもある。虹色の岩でできた台地が美しく、感動的でドーム型の13,000フィートの山頂を登ることは、ジャイナ教、チベット仏教の前身のシャーマニズム、ボン教の信奉者に加えて、長い間、仏教徒やヒンズー教徒にとって、最も重要な巡礼目的地のひとつである。

アジアのオリンパス山と言われる神話上のメル山のように、ヒンズー教徒は、カイラス山を、シバ神が配偶者パールヴァティとともに永久に瞑想し鎮座する場所と信じている。麓のマナサロワール湖のサファイア色の冷たい水で沐浴をすると、一生の無数の罪を洗い流すことができると言われている。また、南斜面の卍(まんじ)など繁栄と永遠の命を表す古代のシンボルがあり、山には神秘的な様々な力があると考えられている。

1930年から1940年にかけて、インドで神聖視されたスワミ・プラナヴァナンダは、いろいろな科学的実験と結びつけ、一つの小さい湖に白い小石が囲み、次の隣りの湖には黒い小石が囲んでいるという地質学的に奇妙な事実を発見した。

毎年、オレンジ色の薄いローブを着た数百人のヒンズー教徒の巡礼者と行者は、カイラス山やマナサロワール湖周囲51,488キロの巡礼を始めるために、16,700フィートの凍ったリプ・レー峠を越えてチベットへ険しい巡礼に向う。木製の板を使い、五体投地をし、数年かけてカイラス山に巡礼するチベット人もいる。

歴史上、カイラス山頂を見た最初のヨーロッパ人は、17世紀初め、ムガール皇帝アクバルに取り入り、チベットのグゲ王国へ宣教するために出発した、イエズス会の宣教師アントニオ・アンドレードである。しかし、19世紀初め、イギリスが遠征軍を派遣するまで、カイラス山は忘れさられてしまう。 その100年後、後にラサへ使節団を案内したスヴェン・ヘディンやフランシス・ヤングバンドら数人の探検家は、インド人やチベット人が、何世紀もの間、ブラマプトラ川、サトレジ川、インダス川は、カイラス山中に水源地があると知っていたと気づき、西洋でその山が明らかになった。 1930年代にカイラス山を訪れたイタリアのチベット学者、ジョセッペ・トゥッチ教授は、「世界のへそ、天地を繋ぐはしご、360の神々の偉大な水晶宮殿」の存在が信じられていたことを手紙で知らせている。