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モンゴル人、ダライ・ラマ法王に長寿の祈祷を捧げる

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(2013年12月5日 CTA
Some of the many Mongolians with offerings for His Holiness the Dalai Lama during a Long Life Offering ceremony
in New Delhi, India on December 4, 2013. Photo/Tenzin Choejor/OHHDL

 

ニューデリー:4日(水曜日)、ダライ・ラマ法王のケンピンスキー・ホテルへの到着後、金剛畏怖の灌頂のための様々な予備儀式によって1日が始まった。法王が儀式を始められた頃、会場は静かで殆ど人が入っていなかったが、儀式が終わる頃には2人のモンゴル人音楽家が馬頭琴で心を打つ軽やかなメロディを奏で始めた。

法王が台座にお就きになると、モンゴル人たちはチベット語で、「精神的導師への祈り(ラマチェパ)」に基づいた法王の長寿を願う祈祷を唱え始めた。祈祷が終わると法王は次のように述べられた。

「まず、長寿の祈祷にお礼を申し上げます。祈祷のなかの『賛辞と懇願』の箇所には、モンゴル人とダライ・ラマの関係についてのくだりが登場します。博識だったダライ・ラマ三世ソナム・ギャツォがモンゴルに赴く時、従者は法王の馬の手綱を掴んで『ジェ・リンポチェの教えの灯明であるあなたが、生ける者たちの暗闇を取り払えますように』、と祈りました。その後のダライ・ラマ三世はモンゴルの地に仏教し、とくにゲルク派の伝統の確立に尽くしたのでした。

1979年に私が初めてモンゴルを訪問したときにも長寿祈願の儀式が行われ、その間、祈りを捧げる人々からはすすり泣きの声が洩れ、私も涙を誘われました。だが、会衆を率いていた人が帽子を被ろうとすると、その人の大きな頭に帽子が小さすぎたので、それをちょこんと頭に載せたのを見て私は思わず笑ってしまったのを覚えています。その後、モンゴルを何度か訪れましたが、私の訪問によってウォッカが飲めなくなるとしか思わない方もおられるかもしれません。いずれにしても、今後も私たちは何度もお目にかかれる出来るでしょう」と、法王は述べられた。

法王はそれ以外にも2つの話をした。偉大な学者で仏教の賢者でもあったセルコン・ドルジェ・チャンがラサで法話中に、会衆にある質問をした。誰も答えられなかったその質問にあるモンゴル人が答え、ドルジェ・チャンはその答えに大いに満足したという。また、ダライ・ラマ十三世の時代、後に現法王の問答の相手の1人となったンゴドゥップ・ツォクニは僧侶になるための誓いの儀式を受けていた。そこでは師の祝福を受けるために僧衣の内側の布を表側に出しておく必要があったが、彼はそれを忘れていた。ツォクニはダライ・ラマ十三世から突然、モンゴル語で話しかけられて不意を突かれたという。

かつてチベットの僧院で学んでいたモンゴル人留学生は全員、哲学を学んでいた。今日でもチベットの機関で多くのモンゴル人が学んでいる。そうした人々の将来に大きな希望を持っていると法王は述べられた。

前日に始まった金剛畏怖の灌頂を再開された法王は、夢をチェックするようにと信徒たちに自分が要望したことについて触れられた。アーリヤデーヴァの書物を引用し、肉体の構成要素で土の要素が強い人は極めてはっきりした夢を見ると法王は述べられた。その後、次の詩句とともに法王は「優れたあらゆるものの基礎」についての説明を再開された。

仏道に入る際に立てる
2つの境地に到達するとの清き誓い
その境地の真の理解に達し、
我が命を賭けて誓いを守れますように

経典を読み終わった法王は、仏教の学びは僧院だけに限られたものであるべきではなく、世俗の人々も機会を捉えて仏教を学ぶべきだと述べられた。そして再び灌頂に戻ると、灌頂の目的は日常の見かけの世界を乗り越えることだと述べられた。法王は、龍樹の「中論」の第22頌から次の句を引用された。

如来は五蘊ではなく
それと異なったものでもない
如来は五蘊の中にはなく
五蘊は如来ではない
では如来とは一体何だろうか

「私たちはこれを自分自身に当てはめられます。自己を探すと何も見つかりません。だからといって自己が存在しないわけではないのです。自分とはいくつかの要素に基づいた呼称に過ぎないのです」。

戒について、法王は波羅提木叉の戒あるいは具足戒とは他人を傷つけないためのものであり、菩提戒とは利己主義を抑制するためのものであり、密教の戒は日常的な見かけに執着することを抑えるものだと述べられた。波羅提木叉は身体と言葉の作法に関するものであるのに対し、菩提心と密教の戒は気まぐれな心を制御するためのものだと述べられた。法王は会衆に菩薩戒と密教戒を与えられた。

午後のセッションでは、法王は菩提心とは自分自身よりもまず他人のことを考える心の状態だという考察から始められた。 菩提心は悟りに到達するのに欠かせない要素である。ここで法王は再び龍樹の中論から引用を行った。

何かによって起きるものは空である
それは何かに基づいて名前を与えられるが
それ自体は中道である

密教修行には菩提心の目覚めと空の理解の両方が必要であり、両者は互いにバランスを取り合う必要があると法王は述べられた。

灌頂を終えるにあたり、法王はダライ・ラマ二世ゲンドゥン・ギャツォによる「金剛畏怖タントラの二段階のヨーガ」についての解釈と説明を行った。灌頂が終わると、修行に専念する者は灌頂の中で自分の必要な部分を必要に応じて取り込むようにと述べられた。会衆の要望に応え、法王は2年前にモンゴルで亡くなったカルカ・ジェツン・ダンパの早期の転生に向けた祈祷の口述伝授を行った。集まった会衆による奉納の後、法王は「モンゴル人のための仏教講義を終わります。今後大切なことは、心の覚醒と空の理解に向けて努力することです」、との結びの助言を行った。


(翻訳:吉田 明子)