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チベットに関する米国政策審議聴聞会 リチャード・ギア氏の証言

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2002年3月7日

国際関係に関する米国議会委員会 チベットに関する米国政策審議聴聞会
リチャード・ギア氏の証言
インターナショナル・キャンペーン・フォア・チベット代表

まずは委員長、チベットに関する国際関係委員会の審議にお招き頂き、ありがとうございます。長期在職権を得て間もないころからチベット問題調整官として、この問題にその能力を明確に示されてきたポーラ・ドブリアンスキー氏に続いて発言できることを、とても光栄に存じます。また、ダライ・ラマ法王特別使節であり、私の親友でもあるロディ・ギャリ氏とこのような機会を共有できることを光栄に存じます。

ここでは、チベットにおける信教の自由の問題について、また、新しいチベット難民—ほぼ半数が僧侶や尼僧—が直面する問題が深刻になっている状況について焦点をしぼって述べたいと存じます。

1月、私は、仏教の精神的な発祥の地であるインドのブッダ・ガヤを巡礼旅行しました。そこでチベット亡命者たちの大団体と合流し、ダライ・ラマ法王から授けられる最も重要な仏教との伝統的な教えのひとつであるカーラチャクラのイニシエーションを受けました。推定15万人のチベット人がブッダガヤを訪れ、加えてブータン、ネパール、その他の国々から5万人が出席しました。

チベット人の多くは、ごく最近チベットからヒマラヤ山脈を越え、ネパールを通って最終的にインドへと到達する冒険旅行をしたばかりの難民でした。徒歩でやってきたこれらチベット人全員が、中国・ネパール間の国境警備の目から逃れながら、彼らがイェシェ・ノルブ(願いをかなえる宝石)と崇める古老の指導者ダライ・ラマ法王に会いにやって来たのです。

ブッダガヤでは、チベットで同じような宗教迫害にあった体験をしている多くの僧侶や尼僧と話をしました。仏壇にダライ・ラマの写真を飾ることも含め、チベット人がダライ・ラマを崇拝することは、未だに法律で禁じられています。中国当局により僧院内の僧侶と尼僧の数に厳しい制限が課され、18歳未満の僧院入居を禁止し、60歳以降は除籍が必要とされています。つまり、僧院生活での重要な学習と教育の時間を効率よく切り捨てているのです。

ここ数ヶ月で、特に2つのチベットの大僧院が大規模な破壊と追放のターゲットとなりました。これらのケースは国際報道でも報告されています。私はこれらセンターの僧侶と尼僧数名に会いました。証言の最後で、彼らの報告について述べたいと思います。

カーラチャクラの儀式は、非常に特別な祈りであります。宗教的な言い伝えでは、ダライ・ラマ法王が1959年に亡命して以来、カーラチャクラの規模は極端に小さくなったとはいえ、チベットでは1000年間教えられてきたものです。チベット国内から巡礼に訪れるチベット人巡礼者にとって、ブッダ・ガヤに集まることは、チベット仏教の中でも最も重要な基本的教えをダライ・ラマ法王から授かるこの上ない機会なのです。

信じられないことに何日にも渡る説法に入って1時間も経たないうちに、法王は病気と疲労のためにカーラチャクラを延期することを余儀なくされました。

困難にあえぐチベットの人々が再び自由を手にできるよう法王が中心的な役割を果たしているからこそ、ブッダ・ガヤでの20万人近い集会がキャンセルされた結果どうなるか考慮するために、チベットの状況を調査することが大変重要になると思うのです。法王の病気の原因や程度についてのうわさが群集の間であっという間に、時には狂乱的に広がり、結果として政治的・精神的な謀略となりました。それは、混乱、大きな懸念、極端な感情の高まりが見られました。

法王はすでに完全に回復なさり休息を取っておられることは理解していますが、法王の病気とそれによって起こったこうした反応が示唆することは、チベット問題解決に向けたある種の決議や運動が今まで以上に緊急に必要だということです。

ダライ・ラマのリーダーシップがあればこそ、チベット人の苦難への抵抗が非暴力で抑えられていることを我々は十分認識しています。ここで言いたいのは、チベット人が状況次第では中国の抑圧者に対し武器を持つことを考え、また実際にそうすることができると私が信じているということではありません。チベット全土に中国支配の設備が広がれば、そうした行動は非現実的なものではなくなるということです。例えば、チベット在住のチベット人は誰でも自分の拳を突き上げ「ダライ・ラマ法王万歳」と叫ぶのは我々も知っています。それが数分の間に人民武装警察に捕らえられてしまうのです。チベット人を強制支配しようと中国がいくら努力をしようとも、暴力的な行動が法王を侮辱することになるという(チベット人の中にある一致した)理解が、チベットの人々を監視しつづける本来の力なのです。

皮肉にも、中国のプロパガンダ組織はダライ・ラマ法王の宗教的権威をターゲットにし、最も非難的な弁証術を用いています。中国の指導者は、法王とその教え−平和と忍耐の倫理の発展を奨励すること−がチベットにおいて究極の安定をもたらす大きな希望であるという認識に欠けているようです。

私がこの委員会のメンバーの皆様にお願いしたいのは、あなたがたの少なからぬ影響力を用いて、中国の指導力に対し、チベットでの計画を再考しダライ・ラマ法王や代表者と意義ある対話をして平和的な解決を見つけるよう説得して頂きたいということです。

アメリカ政府がより敏感にかつ迅速に行動するべきだと私が考える第2の地域があります。それは、中国が明らかに影響力を強めているネパールです。私がギルマン委員長に申し上げたいのは、南アジアと中近東分科委員会の聴聞会をこの委員会に召集し、チベットを含めたこの地域への影響、そしてネパールの弱い民主体制を強化するために合衆国ができ得る手段を考えることです。

ネパール王国は、政府と人々が悲劇に揺れ動いてきました。毛沢東主義者達は危険で凶暴な状態にあり、国内の遠隔地から人口の多い地域へと広がりつつあり、政府は緊急事態を宣言しました。ネパールからの報告では人々の間に激しい不安があるということです。この緊迫した状態の中で、これらの証拠が暗示していることは、中国の外交官がチベット人難民問題に関してネパール政府に厳しくあたってきたということです。

委員長、私はインターナショナル・キャンペーン・フォア・チベットがまもなく発表するレポートからいくつかの結論をこの委員会でお話したいと思います。このレポートでは、ネパールのチベット人にとって住むのに適さない状態が増加していることを述べています。幾つかの例を挙げると、

  • ネパール・チベット国境で暴行による事故が増加
  • 難民として長期間定住したという公式文書の無いチベット人に対する取り締まり
  • インドでの勉学を終了し自発的にチベットへ帰還しようとしているチベット人 学生の逮捕
  • 法王の写真を公的な場所に飾ることの不許可を含め、チベット文化や宗教 的行事に対する新たな制限的姿勢
  • カトマンズの中国大使館と明らかに関係のある若者の敵対グループの増加

国連の難民高等弁務官事務所がカトマンズに事務所を開設して以来、1993年にチベット人難民の数を調査し始めました。それによれば毎年ネパールに約2500人の一定した流入がありました。今年はその数が1,381人で、昨年より1000人減少し、大まかには平均的記録の半数です。事実、1月にブッダ・ガヤで予定されているカーラチャクラで、我々は新たに到着する難民の数が相当急増するだろうと予想していたのです。何が起こったのでしょうか。

チベット難民が往来するネパール各地では毛沢東主義者の反乱の影響で非常に危険な状況となっている一方、インターナショナル・キャンペーン・フォア・チベットは、難民の流入が減少したのは、基本的に中国とネパール政府間の新たな協調関係の結果だと考えています。この協調関係が明示しているものは、

  • ナンパ・ラ通路というチベット人が最も頻繁に使う避難ルート沿いに中国の 山脈国境の標識が増加
  • チベット難民にネパール−インド間の安全な通行を提供するというネパール政府とUNHCR間の口頭協定を守らずに、ネパール警察の間でチベット難民を中国国境警備隊に手渡す傾向が増大
  • かつては組織的に訓練を受けたネパール警察が安全通行の手続きをして いた国境地域において、UNHCRの立ち入りを拒否あるいは縮小
  • チベット難民問題に対し反応の無いネパールの内務省

さらに、チベット難民はもはやUNHCRの保護にも頼ることができず、あるいはネパール政府が積極的に彼らの安全な通過を許可する可能性にも期待できません。私がこの委員会で強調したいのは、自由を求め難民となったチベット人に対し、何が極めて重要な解決法であったのかという点に立ち返る感覚があるのかどうか、カトマンズの合衆国大使、ネパール当局、そしてUNHCRに尋ねて頂きたいということです。また合衆国政府がカトマンズのUNHCRに対し油断することなくチベット難民に関する保護義務を遂行することを奨励することも重ねてお願いいたします。最後に、適切な連邦議会の委員会において合衆国がチベット人保護施設を提供できるかどうかを模索して頂きたい。それにより、ネパール政府とインド政府の負担を和らげることができるかもしれません。

ここで、チベットでの宗教迫害の問題について簡単に触れて、ブッダ・ガヤで私が会った仏僧と尼僧の証言を皆様にお話したいと思います。彼らの話は、宗教迫害が個人に対してどういうふうなものかを示す例です。これらは事件という文脈で捉えられており、国際報道でも伝えられ、宗教迫害と人権に関する今年の合衆国省庁レポートでも報告されています。

2001年の夏に6週間という期間で中国の工作班がラルン・ガルというチベット東方にある遠隔地の野営僧院で3000軒もの家屋と瞑想小屋を破壊しました。この野営地には7000から8000人の仏層と尼僧が住んでいました。ラルン・ガルはその教師陣、学問のレベル、1000人の中国人仏僧を含めた学生達、そして尼僧に高度な学問を教えることで有名でした。

ブッダガヤで私はラルン・ガル出身の1人の若い尼僧に会いました。去年の7月、中国の役人が彼女に対しもう自分の家にはいられないこと、そして数日以内に退去せねばならないことを告げました。彼女はそこで、先にラルン・ガルから追放された貧しい尼僧のことを心配しつつも、近くの村で楽しい時間を過ごしました。彼女がある日家に戻ると、彼女の家は破壊されていました。当時この遠隔地域をさまよっていた他の何百名という新たに追放された尼僧とは違って、彼女には車で3日かかるヤチェンの僧院に友人がいました。彼女は夏の間その友人宅に滞在し教師達と勉強したのです。

9月に中国の工作班がヤチェンの僧院に到着しました。彼らは野営地で多くの家の前に「チャイ(拆)」という大きな中国文字を書き残して行きました。「チャイ」とは破壊という意味です。彼らは僧院のメインの礼拝所にポスターを貼りました。それには「自宅にチャイと書かれた仏僧と尼僧は特定の期日までに家を取り壊すこと。さもなければ、中国の作業チームが家を破壊して200元の罰金を徴収する」と書かれていました。宗教教育を続けて行くのに他の方法が無いまま、この若い尼僧はつらい決断をし、姉妹や教師、ふるさとを後にしたのです。彼女はチベットからの危険な旅をし、11月にカトマンズへ無事到着しました。

もう1つ皆さんにお話したい仏僧の話も同じくラルン・ガルからのものです。中国の工作隊が到着したころ、彼は10年間の勉学コースをほとんど終え、教鞭をとる準備をしていました。彼は若いとはいえ、勉学も瞑想も完成していました。つまり、彼は教師(ケンポ)に必要な知性も精神的能力も両方兼ね備えていたわけです。この特定の仏僧は追放されたのではなく、実際はラルン・ガルで彼に居住資格を与えている「民主管理委員会」からIDを受け取ったのです。

しかしラルン・ガルでの状況は大きく変わりました。第1に最も重要なことは、ラルン・ガルで高位のラマ僧、ケンポ・ジグメ・プンツォクとおそらくチベットに残っている中で最も重要な教師が退去されられてしまいました。第2に僧院本体が粉々にされてしまいました。文化大革命以来見られなかった規模で、3ヶ月という期間に、ラルン・ガルの人口は8000人から1000人の仏僧と400人の尼僧へと減少しました。この若い仏僧はしぶしぶラルン・ガルを離れ、そしてまもなくチベットを後にしました。というのも彼の宗教的実践に不可欠な3つの要素—ケンポ・ジグメ・プンツォクの教えにより彼が具体化できた仏陀、サンガという僧院のコミュニティ、そしてダルマという仏陀の教えを伝達するもの−がラルン・ガルでは取り返しのつかないほど冒涜されてしまったからなのです。

委員長殿、インターナショナル・キャンペーン・フォア・チベットを代表しまして、皆様が貴重なお時間を割いて頂いたことに感謝し、また皆様が引き続きチベットの人々を代表して努力していただけるようお願いいたします。チベットの状況が改善されない限り、チベット難民の流入は間違いなく続きます。そこで我々はさらなる支持を皆様に期待いたします。

実際、私の観点では、亡命しているチベット人の中には特別な配慮が必要な者もいます。ですから私は議会が何らかの解決法を見つけることに期待しています。これらの人々の中には、当時CIAと共にチベット作戦行動として活動した数千名のチベット人「退役軍人」がおります。彼らの話は元CIA諜報員ケン・ナウスが書いた「寒気の孤児たち Orphans of the Cold」に生々しく描写されています。魅惑的で教えられることの多い読み物として、私はこの本を当委員会に推薦いたします。