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ダライ・ラマ語る、テロに対してテロで戦うな

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2002年2月7日
ムンバイ(Rediff.com ラーマナンダ・セングプタ)

2月7日午後、豪奢なムンバイ・ホテルの小さくて居心地の良いラウンジの入り口近くで、「中国はチベットから出て行け」と書かれたポスターが貼られた。

この鋭い口調のポスターは、「フレンズ・オブ・チベット」のボンベイ地方支部によって貼られたものである。ポスターには、演壇を占領する男性と、非暴力主義への厳格な信奉者として知られる男性との鋭いコントラストを放つ絵が描かれていた。

ダライ・ラマは、憐れみと愛について語る代わりに、テロに対してテロで報いてはいけないことを説いた。

かくしゃくとした足取りとにこやかな物腰は、最近、リラワティ病院で腸炎の治療を受け、退院してきたばかりとはとても思えない。

ダライ・ラマによると、度重なる外国訪問と過労が症状を引き起こしたという。この突然の病気により、1月21日、ビハール州のブッダガヤで始まった10日間に及ぶカーラチャクラは中止とになった。

ダライ・ラマは最近胃にかなりひどい痛みを訴えた時、いつ、どんな感じだったか述懐してみた。1958年にインドのブドウが原因の時と、1959年にあったという。ダライ・ラマは回復が早くなるよう貢献し祈りを捧げてくれた人々に、感謝の意を伝えた。

チベットに自分の意思で戻ったチベット人に対して中国が最近約束した恩赦についての質問に、ダライ・ラマは少し表情を和らげてすぐに、「それは後々のことになるだろう」と言い、「チベットにいくらかの自治が戻った場合に限りそういうこと(恩赦)がありうる」と述べた。ダライ・ラマは、独立を求めているのではなく、中国によって容赦無い弾圧と破壊を受けているチベット人としての生き方を尊重してほしいことを強調した。

また、チベット人の闘いを進めて行く為、チベットを代表する人を選んだことも挙げた。それでダライ・ラマは少し時間が取れることになったと語った。

「私は休暇中」とダライ・ラマはにっこりと笑って言った。

9月11日以降、世界をあまりにも変えたテロリズムに対する意見について聞くと、ダライ・ラマはアメリカでの同時多発テロのその後のことについて語った。ダライ・ラマは報復を自制するようブッシュ大統領に書簡を出し、すぐに犠牲者を悼む祈祷式を執り行った。

「この出来事の計画は何週間も何ヵ月も練られた。実行犯の人々が、機敏で頭が切れた人物であったのは確かだろう。それ故にたまたま彼らが、家族、社会、または困難な国情などが原因のネガティブな感情に支配されていたということが言える。こうしたネガティブな感情を克服するための唯一の方法は、慈悲とお互いに尊重しあうということである」とダライ・ラマは語った。

チベットの未来について、ダライ・ラマは「楽観的」と答える

「中国は」とダライ・ラマは続ける。
「(中国は)変わっていった。そして、そうした変化のなかで段階的に法の秩序、民主主義、報道の自由は現実のものとなった。新しい指導者が現れ、チベットについてもっと柔軟な姿勢をとるよう希望している」と述べた。

インドで安全と感じるかどうかの質問に、ダライ・ラマは答えに困った顔をしたが、10・11歳くらいのとき、多くのインドのお経などを暗記していたことを挙げた。
「それに付け加えて、私はここインドで43年もの間過ごしている。もう私は実際にはインド人だ」と述べた。