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ダライ・ラマ法王の訪台への人間的アプローチ

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(2009年9月2日 文:ブチュン・ツェリン(Bhuchung K. Tsering))

ダライ・ラマ法王による今回の画期的な訪台に関連する出来事の数々を、私は大変興味を持って追っている。

この訪台はダライ・ラマ法王にとって3度目のものであるが、それに関連するさまざまな要素は、今回の訪台を画期的なものにしている。政治的レトリックの大部分がダライ・ラマ法王の訪台に関する「議論」で占められている一方で、私は、この訪台の人間的側面が今よりもはるかに称賛されるべきものなのではないかと思う。ダライ・ラマ法王が台湾を去られ、政治的なざわめきが治まったとき、その人間的側面こそが非常に大きな影響を持ち続けるのではないだろうか。

報道陣の前で訪台を許可する発表を行った際、馬総統はダライ・ラマ法王の訪台の本質を表現して、「死者のために祈り、生存者に希望をもたらすため」と述べた。この短い言葉の中で、馬総統は、ダライ・ラマ法王の称号で知られる人間の精神的、道徳的姿勢を端的に表したのである。自らの立場や海峡を隔てた関係の置かれた状況によって、身動きをとることが困難であったにも関わらず、国民党の指導部が出した政治的決断が、台湾社会における人々の基本的要求に基づくものであったことは明白なようである。

ダライ・ラマ法王もまた、CNNのインタビューの中で次のように述べられ、今回の訪台の人間的側面を非常に明確になさっている。「台湾からの招待があったとき、私の訪台がさまざまな問題を伴うであろうことはすぐにわかりました。しかし、つらく苦しい時期に直面している人々を訪問し、そこへ姿を現すことは、私にとっての道徳的責任なのです」

ダライ・ラマ法王は間違いなく、自らの訪台がどのような結果を招くことになるのかを熟考されたであろう。ダライ・ラマ法王は期待にお応えになり、今回の訪台によってもたらされた新しい機会を活用し、楽観的、実践的にものを考えて長期的な展望を持つことができるよう台湾人に勇気を与えられたのである。

ダライ・ラマ法王が訪問された会場のいくつかに現れた抗議者たちがその良い例である。抗議者らに対する反応を報道陣に求められたダライ・ラマ法王は、表現の自由を行使する抗議者の人々の権利を尊重すると述べられた。抗議者たちの背後にいる人々(ある犯罪組織の指導者は、抗議が自分の仕業であると中国メディアで公言している)は何らかの対立を求めていたかも知れないが、ダライ・ラマ法王の「素晴らしい」という言葉は期待外れのものだったであろう。台北市近郊のツォンリー出身のある台湾人は、ダライ・ラマ法王のイベントで深く感動し、「ダライ・ラマ法王の慈悲と寛大さは、彼を批判する全ての人々を超越しています」と台湾英字新聞に話した。

抗議者の訴えが台湾の世論を反映するものではないことが、ダライ・ラマ法王訪台中の公開イベントに出向いた人数の多さからうかがえる。ある推定によると、9月1日にはダライ・ラマ法王の話を聞くために1万7千人以上が集まり、会場に入ろうと待つ人々の長い列が写真に映し出されている。

中国の国営メディアの中には、被災者の大部分が仏教徒ではなくキリスト教徒であると指摘し、ダライ・ラマ法王が慰問する意味に疑問を投げかけるものもあった。新唐人テレビ(NTDTV)はそれに対し、「避難者がダライ・ラマ法王の宗教に従うかどうかは重要ではありません。彼の訪台は我々にとって有意義なものとなるでしょう。政治は関係がないのです。彼らは深読みし過ぎているのだと思います」と述べた、ある高雄市民の言葉を伝えた。

ダライ・ラマ法王の訪台に関して中国が取り得る姿勢は他に存在しないため、中国の政治的レトリックは理解できる。ダライ・ラマ法王の慰問が台湾の人々にもたらしている、精神的な癒しを歓迎できるほどの成熟を中国指導部に期待するのは高望みであろう。

中国政府や台湾の一部は政治的なアプローチをとっているものの、ダライ・ラマ法王は台湾への慰問に人間的に取り組むことをお選びになったといえるであろう。


(翻訳:櫻木晴子)