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ダライ・ラマ、トルストイ財団賞を受賞

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2001年8月13日
Rediff.com ニューヨーク

世界中のインド人にとって、レオ・トルストイとダライ・ラマは、外国人であるにもかかわらず、インド人の文化の一部となっている。トルストイの著書は、広く読まれているというだけではなく、マハトマ・ガンジー自身の導師として敬われている。 そういうわけで、ニューヨークのバリー・コテージを拠点とするトルストイ財団がダライ・ラマに最も名誉な賞を授けるという発表に、インド人社会が喜びに湧いたことは驚くことでもない。

ダライ・ラマは、アレクサンドラ・トルストイ人道主義賞の2番目の受賞者となる。財団は、「ダライ・ラマのライフワークとキャリアは、アレクサンドラ・トルストイ人道主義の原則の精神を反映しているものである」と判断し、その個人的名誉として賞を授与する。

最初に受賞したアンジェ・ビドゥル・デュークは、ジョン・F・ケネディー元大統領やリンドン・B・ジョンソンの外交責任者で、スペイン、デンマーク、モロッコのアメリカ大使も勤めたことがある。彼は、避難民救済活動が認められ、1996年に受賞した。

アレクサンドラ・トルストイは、レオ・トルストイ伯爵の末っ子で、1939年にレーク・ロード農場でトルストイ財団を創立した。財団の当初の目的は、ロシアからの避難民を共産主義から救い出し、南北アメリカやヨーロッパでの定住を援助することだった。財団は、アフガニスタン人、アルメニア人、ブルガリア人、カンボジア、チェコ人、エチオピア人、ハンガリー人、イラン人、イラク人、ラオス人、ポール、ルーマニア人、チベット人、ウガンダ人を含み、十万人以上の避難民の定住を援助した。

財団にとって、ダライ・ラマは無縁の人ではない。約60年前、レオ・トルストイの孫であるイリヤ・トルストイが、アメリカ政府の使者としてチベットに行き、ダライ・ラマに会った。ダライ・ラマは当時7才であった。それは、有名なロシア人家族とチベット人の関係の始まりで、財団創立以降の現在でもその関係は続いている。

ダライ・ラマは、2002年4月のニューヨーク訪問の折に受賞することになる。 「ダライ・ラマは、トルストイ財団とチベット人との友情の印として賞を受け入れるだろう」と国際人道主義組織の実行委員長ゼニア・ワエヴェスキーは、ニュース・レポートで報告した。

1942年から1943年までの探検中にイリヤ・トルストイが撮影したフィルムの映写を含め、イベントは、財団とダライ・ラマの関係を祝うものとなる。

「トルストイ財団は、長年、チベット人にとっての親友だ。」と、長年、ダライ・ラマの代表として働き、現在、ニューヨークを拠点とする非営利組織、「チベット基金」の新しい責任者となったリンチェン・タルロは述べた。

中国がチベットを占領したとき、財団もチベット人を援助し始めた。 「共産主義の圧迫に苦しむ、我々の援助が必要な犠牲者が他にもいることを認識した」と(前述の)ワエヴェスキーは述べた。

トルストイ財団の規則は、国際的に、共産主義の犠牲者を援助するためだけでなく、その他の避難民も援助するために改正された。従って、財団は、ロシアの組織であることをやめ、国際的な組織になった。

1960年代には、アレクサンドラ・トルストイによって運営されているバリー・コテージ農場にやって来たチベット難民もいた。 1940年から1994年にかけて、再定住プログラムの一環である「ロックランド」には、財団の見積によると、約百万人を超える難民が参加した。トルストイ財団は、インドに帰ったチベット人に奨学金を与え、インドにいるチベット難民のための学校設立にも寄与した。

トルストイ財団はチベット人の様々な大変な努力を援助してきたが、それまで、ほとんどの国が、インドと中国の間でくさびで裂かれた国、チベットの存在を知らなかった。

イリヤ・トルストイは1970年に亡くなり、そのおば、アレクサンドラ・トルストイはその9年後に亡くなった。